続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

オックスフォードからの警鐘 グローバル化時代の大学論 苅谷剛彦

 著者は元東大教授。そして現在はオックスフォード大学教授である。そんな、日本と欧米のトップ大学に籍を置いた著者の目線で日本の大学教育を語る一冊。学者らしく資料に基づき、また明確でわかりやすい主張が論述される。著者は、日本国内と海外の両方の目線で大学教育を語ることができる稀有な人材といって良いだろう。その目線は日本の大学関係者全てが可能な限り共有すべきものである。その全てをお伝えするのは難しいが、ぼくの印象に残った点を以下にまとめる。

 日本の教育は歪だ。国の最高学府である大学を卒業した若者に、一体どれだけの社会人が期待しているのだろう。日本人は医者などの業種を除けば「みんな行くから大学へ行く」のだ。現代日本社会はそんな時代の中にある。高卒も大卒も、仕事を始める瞬間に能力的な大差がないのであれば、早く働き就業期間が長い方が成長できる可能性は高い。生産性も上がる。大学で学ぶことに、社会は期待していない。

 本書は全5章からなり、日本の大学教育の成り立ちと現在の問題点を、国内、海外の視点から解き明かしている。現代を表すキーワードは「グローバル化」だ。この言葉自体も多くの日本人は(たぶん日本政府の偉い人たちも)理解できていない。著者はグローバル化という言葉の意味も明瞭に指し示してくれる。「グローバル化」とは大学教育のビジネス化であり、欧米諸国の大学が放った生き残り戦略である。

 素晴らしい大学は海外からの留学生を惹きつける。留学生の獲得はすなわち外貨の獲得であり国家の収益に繋がる。さらには世界中から集めた優秀な学生が自国で働いてくれる可能性も高い。世界中から優秀な人材を獲得することが欧米の大学での受容な任務といえる。そして、欧米の大学では共通の文化圏のなかで激しい競争が起きている。その中で国家へのアピールという意味で留学生の獲得は最大の懸案事項と言っても良い。それは大学の地位確立、予算獲得etcに大きな影響も持つのである。「グローバル化」とはその競争に関する大学内外の取り組みと言っていいだろう。

 では、そういった欧米諸国の生き残り戦略に、日本という国はどう対応するべきか。「日本の教育者は、あるいはその制度を司る政府はこの目線で大学教育を考えるべきではなかろうか」と著者は問いかける。あなたはどう答えるだろう?

 もう一つ。僕の目から鱗が落ちた点をメモしておこう。「欠如理論」である。もともとは著者ではなく園田英弘という方が提案した言葉であるようだ。「追いつき型の近代化」を果たした日本という国に染み付いてしまった呪い。つまりは自国が西洋列強に対して劣っているという価値観からうまれたこの理論は、西洋にあって日本にないものを求め、西洋になくて日本にあるものを諸悪の根源と断罪する。そういう思想が日本文化には深く根を張ってしまった。そして今も、追いつき型の近代化を終え、目指すべきモデルを失い、自ら方向性を自身で模索せざるを得ない時代と自負しながら、なお「西洋に追いつこうとする慣性」から逃れられないのである。欧米の国々が「自己の歴史と文化に立脚し内省と問題解決の繰り返しによって洗練したものを」後から追い求める「だけ」のこの姿勢から脱却することが、日本がまともな教育を行う第一歩ではなかろうか。

 現実を見つめ、日本という国が目指すべき位置を見定め、その為の取り組みを現実に落とし込む。実は本書が訴えることは、日本という国のあり方全般に関わるのではないかと思える。そういう意味では、大人たち全てが読むべき一冊だと思う。