続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

 

 With great power comes great responsibility (劇中のとある人物のセリフ)

 

 スパイダーマン新三部作の3作目。前作で世界中に正体を知られたスパイダーマン。果たして彼の運命は?

 

 見終わって気づいたのはこの三部作の構造がこれまでのスパイダーマンと大きく異なるとだ。このシリーズ三部作は「スパイダーマンが誕生するまで」を描いたと言ってもいい。過去の2シリーズが1作目の序〜中盤にかけてやってきたことを、3作丸々かけて描いたといえる。

 

 だからこそ、本シリーズのピーター・パーカーはいつまでもどこか甘いところのある「ふつーの学生」だった。スパイダーマンというスーパーヒーローはその超能力だけで成立するのではないのだ。心をともなって初めてヒーローといえる。それは上の劇中の人物の言葉に代表だされている。

 

 一方で、本作は過去のスパイダーマン・シリーズたちの総集編ともいえる。そのためにドクター・ストレンジを引っ張り出し、マルチバースの世界を舞台にした物語が紡がれた。どうしてそんなことをするのか。たぶん、大きなピリオドが打ちたかったのだ。スパイダーマンというコンテンツの映画に。たぶん、それは成功した。次のスパイダーマンはどうなるのだろう?実はそれこそが、ぼくの一番楽しみなところである。

奇跡の人 ヘレン・ケラー・著 小倉慶郎・訳

 

 1900年頃のアメリカ。目が見えず、耳が聞こえず、言葉もしゃべれない。ヘレン・ケラーは幼少期の病気により三重苦となる。しかし、家庭教師のサリバン先生の献身的な教育により、ヘレンはらラドクリフカレッジ(当時のハーバード大学女子キャンパス)を卒業するまでの学業を修める。そんな彼女が22歳のときに書いた自伝。

 

 ヘレン・ケラーの人生のうち、四半世紀にも満たない部分を整理した自伝。しかし、やはり数奇な人生を歩んだ彼女だけのことはあり、その密度は高い。時代背景を鑑みれば、まさに奇跡のような出来事が積み上がり、彼女がこの本を書くまでに育て上げたのだ。そして、もちろんそれだけの奇跡を受け止める彼女の器もすばらしい。

 

 「感じる」ということは実にその人を形成する。視覚と聴覚を失った彼女はあらゆるものを触覚、味覚、味覚、嗅覚で感じ取る。文字は手のひらに書いてもらう、本は浮き出し文字の特別製、花の香り、人の唇の動き、彫刻の手触り、お腹に響く音楽の振動・・・。彼女はぼく達とは異なる方法で世界を感じ取ってきた。そして、おそらく誰よりも世界を深く楽しんだ。

 

 もちろんこの奇跡の背景には豊かな財力があるのだ。だがサリバン先生を始め、彼女の周りに集まった人々はただ金を積めば得られる人材ではなかったのだろう。グラハム・ベルが同時代に生きていたことも運命的に思われる。いや、やはりサリバン先生だろう。彼女はなんと20歳で6歳のヘレンの家庭教師になったという。サリバン先生自身も視力が弱かったらしく、同じ障害を抱える人間であったことが、素晴らしく粘り強く献身的な教育をヘレンに与えることに繋がったのは間違いない。

 

 学び、教育について改めて考えられる一冊だった。学校ばかりが学びの場ではない。そう思えば、ヘレンがそうだったように、ぼくたちもまた学びの途上にいるのだから。

方丈記私記 堀田善衛

 

 1945年3月10日、東京大空襲である。当時27歳だった著者も空襲に巻き込まれ、その騒乱のなかで方丈記を再発見する。

 

 鴨長明方丈記はたしか中学だか高校だかの国語の教科書で読んだと思う。いわゆる「無常観」というものは、なんとなく僕の心を惹いた。「ゆく川の水は絶えずして、しかも元の水にあらず」。その一文でさえ、はっと気付かされるものがあった。ふと思い立って全文を読んだのは、このブログをたどると2年前。しかしまあ、当時のぼくの感想は実に浅はかであった。

 

 類まれなる知識と歴史観を持つ著者の頭脳では、戦争の騒乱は鴨長明が生きた平安時代の騒乱とリンクしていく。人間に、人間社会に大きな負荷が生じたとき、そこには共通するものが現れてくるのだろう。騒乱にある世の動きと、人の心をつぶさに観察する中で、著者は世を捨て山にこもり社会の傍観者たらんとした鴨長明とリンクしていく。その先に、鴨長明その人を紐解こうという趣向の一冊。

 

 まずはこんな読書の仕方があったのかと驚かされた。自身の体験と本の世界をリンクさせ、自由自在に思考は展開されていく。まさにインテリの業であって、ぼくにはとてもできそうにない。しかし、この本はその気分だけでも体験させてくれる。鴨長明という人についてもぼくはなんにも知らなかった。「世捨て人」という簡単な言葉でくくるには、鴨長明は複雑すぎる。

 

 歴史に弱いぼくには十分に理解はしきれていないが、平安の時代というものも感じることができる一冊だった。平安時代というのは、文字通りののほほんとした時代ではないのだ。庶民の暮らしは厳しく、都の中では現実逃避に近い朝廷文化が育っている。貴族は腐敗し、鎌倉時代へと続く武家の台頭がじわりじわりと迫ってくる。夜の闇は今の何倍も深かった。鴨長明という人は、都にあって朝廷文化のなかに生まれ育った今で言うところの勝ち組だ。しかし、その我の強さというか、自身の才覚が世の中に馴染まず、ついには出世の道をとざされ都を下る。単純な「無常観」で割り切れるほど簡単な人ではないのだ。いや、一語で簡単に人を表せるなどと考えること自体が間違いであった。

 

 歴史・人・戦争。いろんなことに思いを馳せることができるまさに名著であると思う。ぼくはどの分野も弱いのでなかなか読むのに苦労した。しかし、苦労しただけのかいはあった一冊だと思う。

野生の思考 クロード・レヴィ=ストロース

 

 私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。ーーー著者

 

 文化人類学者である著者が、長い年月をかけ非文明社会の現地調査を積み上げた結果到達した1つの結論。それが野生の思考である。哲学の世界に大きな波紋を起こし、構造主義ブームの発火点となった一冊。

 

 いやー、むずかしい。フランス語の翻訳本なので当然日本語で書いてあるのだが、大半は何が書いてあるのかわからない。たぶん10%ぐらいしか内容を理解できなかった。この本を読む前に、もっと読むべき本がぼくにはあるのだろう。そんなに分厚い本ではないが、なんとか読破するのに3ヶ月もかかってしまった。

 

 それでも、かつて「未開人」「野蛮人」とされたいわゆる先住民族に対し、著者が全く新しい視点を与えたことはわかる。西洋文明がより優れた最新の文明と考え、未開人の社会は遅れたものだとする見方は、西洋文明側の非常に驕ったものなのだ。先住民族の文明は決して非論理的でいい加減なものではなく、そこにはその社会がもつ詳細な自然観察と一般化された知の体系が存在している。それは決して遅れた文明などではなく。西洋文明とは異なる理をもつ、また別の文明ととらえるべきなのだろう。

 

 たぶん、この著者無くして、現在の「SDGs」とか「多様性」という思想は生まれてこなかったであろう。偉大な一冊であることは感じ取れた。まずはそれで良しとしたい。

 

「独裁者」の時代を生き抜く27のヒント 池上彰

 

「国家に対して、バラバラになった個人は弱いわけですね」(池上彰佐藤優との対談にて)

 

 ニュースををわかりすく知りたいなら池上彰の話を聞くべきだ。この本ではそんな著者が読み解く世界の情勢が伝えられる。世の中問題が山積みだ。日本の中にも、外にも放置できない問題がごろごろ転がっている。そのうえにCOVID-19騒ぎである。

 どうしようもなく、世の中の不安感が高まっている。世の中自体も不安定になりつつある。その反動として強いリーダーが求められているように思う。自分たちから不安を取り除いてくれる人がほしいのだ。しかし、一方で、強いリーダーは心ひとつで独裁者にもなりうる。

 そんな状況で、われわれ個人はどう生きていけばいいのだろう?いま、われわれは生き方を考えなくては行けない時代なのかもしれない。

マトリックス リザレクションズ

 

 

「みんなすぐに自由を忘れてしまうからな」(ネオ)

「ええ、こいつのせいでね」(トリニティ)

 

 まさかのマトリックス第4弾。18年前に完結したトリロジーの正当な続編。トーマス・アンダーソンはゲームクリエイター。「マトリックス」三部作を作り上げ、世界的なクリエイターとして知られていた。しかし、彼のもとにモートフィアスが訪れる。自分が作ったゲームの世界が現実に現れ狼狽するトーマス。しかし、次第に彼は記憶を取り戻していく。

 

 いやー、笑った!監督ブチギレである。そもそもマトリックスは昔の三部作で完結していた。それを無理やり続編を作らせたのはワーナー・ブラザーズである。そのへんが、包み隠さずおもいっきり映画の中で暴露されている。さらに、監督は最近の映画界、映像クリエイターにも思うところがあるようだ。ようは拝金主義に溺れ、薄っぺらな動画の氾濫に警鐘を促している。登場人物の言葉を借りて入るものの、中身は完全に監督の言葉であり、ここま好き放題言っていいものかと笑ってしまった。

 

 そして、今まさに映画界は選択のときなのだろう。チープな娯楽品になりさがるか、アートの一つとして世界を切り開くか。映像が溢れる世の中だからこそ、映画という映像の最先端がその世界の方向性を示さねばならない。Youtubeの猫動画ごときに映画が負けていていいのだろうか。映画の目指す高みが今問われている。

 

 一方で、この映画ストーリーの完成度は高い。さすがウォシャウスキー監督である。しかし、おもしろくない。いや、おもしろくないように作られている。もう絶対続演なんて作らないという監督の意思表示だろう。その意志をちゃんと最後まで貫いた監督の立ち回りは神がかっている。かつて「マトリックス」は映画の歴史に楔を打ち込んだ。本作もまた、1つの楔ではあるまいか。映画はエンターテイメントだが、エンターテイメントだけではない。エンターテイメントの形に乗せて、いろいろなものを乗せることにこそ映画のおもしろさがある。昨今の拝金主義は映画からその余白を失わせてしまった。映画とはなにものか。ウォシャウスキー監督は自らの監督人生を欠けて大きな問を世間に投げかけている。

一枚の絵から 海外編 高畑勲

 

 ジブリの漫画映画監督・高畑勲が一枚の絵から、思うままに語る一冊。

 

 圧倒的インテリで理屈屋の高畑監督の語りはとても楽しい。本当に一枚の絵から、じつにいろいろな話を展開してくれる。「絵を楽しむ」とはこういうことかと、改めて思い直すことができた。また、監督の記憶力にも驚かされる。いつ、どこで、どんな展覧会があり、自分がどんな絵をみて何を感じたのか、次から次へとよく出てくるものだ。資料が残してあるのかもしれないが、それにしてもすごいと思う。

 

 絵が好きな人にぜひ読んでほしい。絵の印刷も大きくてきれいだ(残念ながらいくつかの絵はページにまたがっているので完全には見えないが)。高畑監督と一緒に絵をみて、その含蓄を語ってもらっているような気分になれる。