続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

グリコ・森永事件 捜査員300人の証言 NHKスペシャル取材班

 

 1984年グリコ・森永事件は幕を上げる。警察を翻弄し、社会の注目を浴びながらもまったく手がかりを残さない犯人。日本初にして最悪の劇場型犯罪はどのように展開していったのか。2011年にNHKで放映されたスペシャル番組を整理した一冊。

 

 この事件は未解決事件である。だから犯人は今も世の中でのうのうと生きているのかもしれない。それ故に取材の雰囲気は重苦しく、とくに警察関係者からは苦渋に満ちた発現が多い。それでもこの本が世に出たことで、われわれは学ぶことができるのだろう。

 

 個人的には「犯罪は時代の中で起きるものである」という感じを受けた。事件が起きた当時はまだインターネットはおろか携帯電話をない。警察官が広域で連携をとるのは一苦労であった。その一方で交通網が発達し、人の動きは速く広くなってきた時代。犯人は情報と移動の速度のズレに生じた隙間を、ある意味見事についてこの大事件を成し遂げたといえるのではないだろうか。逆にいえば、警察側にはこの時代の「盲点」を見抜いて備える力がなかった。いや、見抜いても対応できるだけの組織力がなかったのかもしれない。

 

 あらゆるものが速度を増す現代社会。またきっとあたらしい隙間が社会の中に生まれてくる。そこに如何に犯罪の芽を見出すか。永遠の課題がそこにある。

人間の建設 小林秀雄・岡潔

 

 昭和40年に日本の知の巨人2人が行った対談をまとめたもの。

 

 わずか150ページほどの本の中で、じつに様々なテーマを取りあつかっている。学問のあり方、芸術論、ゴッホ、酒、本居宣長、関数学、批評論などなど自由に話が展開される。それでいて、両者共に1つ1つの発言におそるべき鋭さが込められている。なんだか、侍の真剣勝負に立ち会っているような、そんな緊張感を感じる一冊だった。

 

 個人的には学問に対する姿勢を論じたあたりが印象に残った。主に岡さんの発言になるが、小我を超越した学問への向き合い方、無明を認識すること、学問を楽しむ心、それらを育てるための工夫、日本の現状(昭和40年の)。

 

 現在にも通じる示唆が盛り込まれた一冊だと思う。逆に言えば、日本人は昭和40年の最先端をいく人間の意識からすれば未だ同じところにいるのかもしれない。多くの日本人に読んでもらいたい一冊。

シャーロック・ホームズ 最後の解決 マイケル・シェイボン著 黒原敏行訳

 

 コナン・ドイルが生み出しだ名シリーズ、シャーロック・ホームズの二次創作本。こういうのをパスティーシュというらしい。

 

 老境を迎えたホームズはある日オウムを肩に乗せて線路沿いを歩く少年に遭遇する。オウムは不思議な数列をドイツ語で発声するも少年は一言もしゃべらない。そして、痛ましい殺人が起こる。ホームズは萎えた身体をひきずり、重い腰をあげるのであった。

 

 こういう二次創作はたいてい賛否両論だ。個人的にはあんまりおもしろくなかった。たぶん、ぼくが好きなホームズはコナン・ドイルが描いた切れ味鋭い頭脳と抜群の行動力をもつ私立探偵であって、こんなヨボヨボのじいさんがみたいわけではないのだ。「引退する」といったホームズがのこのこ現場に戻ってくるのもなんだがスッキリしない。

 

 いろいろパロディ要素もあると思うのだが、ホームズマニア度がそこまで高くないぼくにはもうひとつ。せいぜいわかったのは原作の発現通り、ホームズが引退してから養蜂をやっていてうれしく感じたところぐらいだ。正直、ミステリとしてのオチもいまひとつ・・・というか、このオチはミステリとしてありなんだろうか。

 

 なお、邦題は上記の通りであるが、原題は「The Final Solution」とのこと。また、作中にはホームズの名前は一切出てこない。主人公は「老人」である。つまりこの作品は、読みすすめるうちに「あぁ、この老人はシャーロック・ホームズじゃないか!」と読者に気づかせるところが最高の仕掛けなのだと思われる。そのためのパロディ要素なのだ。だから、この邦題はネタバレもいいとこである。まぁ、原作シリーズの邦題に準拠したかったということなのだろうが。

 

 総じて、これはマニアがマニアのために書いた作品である。素人はうかつに手を出してはいけない。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ 川上和人

 

 

 鳥類学者・川上和人さんのエッセイ。日々の研究活動、とくに離島等への調査活動についておもしろおかしく語る。

 

 なんというか、こういうのが生粋の研究者なのであろう。意味があろうがなかろうがおもしろそうなものを知ろうとする。基礎科学をないがしろにしてきた現代日本において、大変貴重な人材である。

 

 根っからのオタク気質らしく、あれこれと小ネタをはさみつつ、語られる研究談はとても楽しい。そこには純粋な興味があり、楽しみがあり自虐がある。恵まれた人が世の中にはいるものだ。もちろん、自分で勝ち取ったものだろうけれど。

六番目の小夜子 恩田陸

 

 とある進学校には伝説とも言える伝統があった。3年に一度、学生の一人が「サヨコ」に選ばれる。サヨコは正体を知られぬように一年間のイベントをこなし、学園祭の劇で主役を務めるのだ。サヨコの活躍はその年の大学受験の成否と関わるとされていた。謎にみちた伝統を下敷きに、高校は今年「6番目の小夜子」の年を迎える。

 

 青春・ホラー・ミステリ。そんな言葉をかけ合わせてできたような小説。たぶん、中学時代に読んだら楽しめたのだと思うが、今現在いいおっさんのぼくには少々辛い。というのもこの小説は「雰囲気」を味わうことが求められるからだ。想像力たくましく、あれやこれやと妄想を繰り広げながら読まないと楽しめない。仕事でくたびれたおっさんは休日とはいえそんな馬力が残っていないのだ。

 

 というわけで、ぼくはこの本について何もいう資格がない。強いて言わせてもらうなら、オチはちゃんと付けてほしかったというところか。しかし、まぁそれも雰囲気作りの一環といわれればそのとおり。うーむ。

ひとはなぜ戦争をするのか  アルバート・アインシュタイン、ジークムント・フロイト

 1932年、国際連盟は物理学者・アインシュタインに依頼した。「この文明において最も重要な問題について、最も意見交換したい人と書簡を交わしてください」と。テーマは「戦争」に決まった。相手は心理学者・フロイト。20世紀最大の頭脳が、人類最大の問題に今向かい合う。

 往復書簡なので、手紙は一通ずつ。本としても薄い一冊。さらりと読める本ながら、現代にも通じる示唆に富む議論が応酬される。結局、人類は2度の世界大戦を経てもまだ同じところをウロウロしている。それ程にこの質問は深い。

 個人的には、こういう理系と文系の対話(この表現が既に日本独特な考え方かもしれない)を西洋文明が大事にしていることに感心した。自然科学と人文知、それらは補い合うものであり、表題のような質問に答えるには方法論として両面からのアプローチが必要だ。「そういう問題があること」にすら多くの日本人は気づいていないのではないだろうか。理系は理系、文系は文系と、世界を分断してもこの世界を知ることができるわけもない。学問の価値…みたいなものがこの一冊に顕れているような、そんな気がする。一生懸命、国や世界や世の中を良くしようとするのに、研究分野など関係ない、ということだろうか。

 戦争について考えてみたい人がまず読むべき一冊。

 

キャノンボール

 

 

 違法なアメリカ大陸横断レース。賞金と名誉をもとめて集まるのはどいつもこいつも曲者ばかり。警察に捕まらずにニューヨークからカリフォルニアまでぶっちぎれ。果たして優勝は誰の手に?

 

 明るく楽しいコメディ映画。豪華キャストでお祭り騒ぎといった感じの映画。あー、なんか映画ってこんなので良かったんだよなー、という気分にさせてくれる。脚本がどうとか、芸術性がなんとか、CGの出来がうんたらとか、案外そういうのは映画の枝葉の部分で、幹がしっかりしていれば十分主題を表す映画ができるのかも。

 

 とはいえ映画は時代が作らせるものなので、1981年公開のこの映画には当時の世相が反映されている。日本人チームの扱いが代表的で、演じてるのはジャッキー・チェンだし、申し訳程度に日本語のセリフがあるけど、基本的に中国語でしゃっべている。日本製の4WDとかコンピューターの力を自慢しつつも、ヘマをやらかして大失敗。当時のアメリカ人からみた日本人への目線がよくわかる。

 

 何にせよ、肩の力を抜いて楽しめるいい映画だ。意外とこれからこういう映画がまた作られるようになるんじゃないかと思ったり。