続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

シン・ウルトラマン

 

 

 エヴァンゲリオンシン・ゴジラの監督・庵野秀明が仕掛ける昭和特撮ヒーローのリメイク。

 

 シン・ゴジラインパクトが強すぎてどうしても比べてしまうが、やってることは大体同じ。ウルトラマンという作品を分解して部品をアップデートし再構成する。熟練されたメカニックのような技でウルトラマンは現代に蘇ったのだ。

 

 たぶん、この「シン」シリーズの狙いは、庵野秀明監督が子供のころ受けた衝撃を、可能な限りそのまま現代へ移植することなのではないだろうか。当然時代が変わっているので、かつてウルトラマンが放映されたばかりの頃と同じことをしても、鑑賞者の受け取り方が変わってしまう。だから、作品側を現代にあわせてアップデートする必要があるのだ。

 

 個人的にはウルトラマンが完全に「宇宙人」として描かれているのが斬新だった。昔のウルトラマンは子供向けということもあって、宇宙人でありながらもある程度人間っぽいところがあったように思う。そこを完全に地球外の生物で、人間の文化の外にある、しかも人類より遥かに進歩した超越者として描いたところがおもしろい。

 

 ウルトラマンは最初に人間のことを学ぶために読書をしていた。作品中に出てくるのは一瞬だけだが、その時手にもっているのは「野生の思考」である。レヴィ=ストロースの名誉であり、構造主義を花開かせた一冊だ。わざわざ作中に出てくるのは、ウルトラマンの人類に対する立場が、かつてレヴィ=ストロースと未開人の関係性と似ているからではないだろうか。レヴィ=ストロースは未開とされてきた民族はには西洋文明とは異なる思考があり、決して文明の遅れた存在ではないことを説いた。それは淘汰したり無理に西洋文明と同じ道に進歩させるものではないのだ。ウルトラマンもまた人類を超越した存在という立場から、未熟な現代人類を見てきた。そして、そんな未熟な人間を好きになったのだ。決して劣った存在ではなく、興味深い、自分たちとは異なる文明をもつ、か弱い存在として。映画のパンフにも「そんなに人間を好きになったのか、ウルトラマン」との言葉がある。

 

 あと、メフィラスとウルトラマンが居酒屋で一杯やるのが最高でした。バルタン星人も出てほしかったなー。