続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

ロボット(R.U.R) チャペック作 千野栄一訳

 

ただもう引き返すには遅いんでは(ガル博士)

 

 ロッムス・ユニバーサル・ロボット(R.U.R)工場。その本部に重役たちが集まる。商売の成功を祝うのだ。彼らの作り上げた「ロボット」は世界中の人々を労働から開放しつつあった。楽園は地上にもたらされるのだ。人類はるいに神の御業に到達したのか。物語の幕が上がる。

 

 「ロボット」という言葉はどのように誕生したのか?答えはこの作品である。「ロボット」とはもともとフィクションの世界の言葉だったのだ。ロボットとう言葉はロボットが作られるよりも前から人間界に存在していた、というのはとてもおもしろい気がする。

 

 けれども、この作品の「ロボット」は僕たちが思うロボットとは少し違う。僕らが想像する鉄人28号とか、ガオガイガーみたいな金属で出来た存在ではない。「ロボット」は人造人間なのだ。人工的な身体を持ち、脳も筋肉もなにもかも人によって作られた。神が自身に似せてアダムを作ったように、人は己の似姿として「ロボット」を作ったわけである。たった一つ、ロボットには心が無かった。それがロボットをヒトと区別する唯一の違いであるほどに、「ロボット」は限りなくヒトに近いものであった。「ロボット」は機械工学の到達点ではなく、生物工学の究極の形として描かれる。こちらがオリジンなのだから、むしろ機械のロボットがまがい物といえるのかもしれない。

 

 驚くべきことに、「ロボット」達は人類に反旗を翻す。いまでこそよくある展開だが、ロボットはその誕生の時から、すでに奴隷として生まれ反逆の意思を内在する存在であったのだ。これが原義の「ロボット」だとすると、手塚治虫メトロポリスの主役・ミッチィが「ロボット」の翻案であったことは間違いないだろう。そういえば火の鳥のロビタも「ロボット」に通じるものがある。ジェームズ・キャメロン監督のターミネーターなんかも「ロボット」の影響下にあるといっていい。

 

 「ロボット」は言葉の誕生とともに完成していた概念であったのかもしれない。意味的に派生したロボットも数多生まれたが、原義の「ロボット」は現代にも通用している。本作の発表は1920年。ロボットの歴史は約100年ということになる。これからもロボットは派生していくだろう。それでも、オリジナルに勝るロボットはなかなか生まれてこないにちがいない。

 

 詳細は書かないが、エピローグも圧巻である。人類の科学が頂点に達したところからはじまり、人類の終焉で物語が頂点に達したあと、それでも最後には壮大な希望が残っている。言葉にできない感情が僕の中に生まれるのを感じた。すべての人に読んでもらいたい傑作である。