続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

007 No time to die

 

 007シリーズ最新作。MI6を引退したボンド。前作のボンドガール・マドレーヌとすっかり出来上がってしまい、彼女を連れてイタリア旅行。悠々自適の引退生活を送るも、彼にスペクターの影が忍び寄る。果たして黒幕の正体は?MI6内部に見え隠れする不穏な動きは一体?ジェームス・ボンド、一世一代の大立ち回りが始まる。

 

 僕自身は世代的にはピアース・ブロスナン世代で、今のダニエル・クレイグのボンドはちょっと苦手。ちょっとワイルドすぎるんだよなぁ・・・。しかし、今の007シリーズは一話完結でなく大きな流れが全体を貫いていて、映画としての出来は素晴らしい。先入観だけで映画作品を否定してはいけない。本作は、ダニエル・ボンドの最終作。それに相応しい最高の映画に仕上がっている。

 

 ジェームズ・ボンドに結末が与えられたのはたぶん本作が初めてではないだろうか。ピアースのころにはミッションが終わったボンドは世界を放浪しバカンスを楽しむものだった。あくまで過去のボンドはミッションの中で己の情熱とそのスキルを最大限発揮するのだった。本作でダニエル演じるボンドはもっと直感的でプライベートな存在だ。彼はまさに一個人として巨大な悪と退治し、持てる力をふりしぼって戦うナイスガイなのである。

 

 本作では複数のボンド・ガールが出てくるが、個人的にはキューバでちょっと出てくる女の子・パロマが最高にかわいい。いやもうこの人をメインに持ってきてほしかった。やっぱスタイリッシュなガンアクションで、ボンドと流れるような絶妙なコンビネーションを発揮するセクシーガールは最高である。

 

 エンタメ映画として流石の出来のこの映画。シリーズの締めくくりとしてもよくできている。しっかり地に足ついた良作である。ダニエル・クレイグジェームズ・ボンドは完成したといってなんら問題ないだろう。

うつノート 精神科ERに行かないために 備瀬哲弘

 

 現役精神科医である著者が具体的な患者例をあげて、うつ病をとりまく実情を綴る一冊。うつ病患者が5例。そして「D'」と表現されるうつ病と正常の境界の症例が5例。

 

 全体を通して興味深かったのは、うつ病と診断される患者さんほど自覚はなく、D'のあの患者さんのほうが自分をうつ病かもしれないと考えていることが多いということだ。うつ病という病気が恐ろしさは「自分がおかしい」ということを自覚できないほど、認知能力や判断能力が鈍ることにあるのではないだろうか。他の病気と同じく、うつ病に関しても早期発見・早期治療がやっぱり有効であるようだし、無理を重ねれば重ねるほどうつ病が進行する可能性もある。本人が追い込まれてしまう前に周囲の人間が手を貸すことがうつ病という病気への対応として非常に重要だと思われる。

 

 

 一方、D’の患者さんは自分の状態が悪いことを自覚できている。それだけ判断能力が残っているということなのかもしれない。だが、著者はD'の患者さんを「病気ではない」と診断したうえで「境界」からより正常なところへ進めるべく治療を行う。当たり前のようだが、人間の精神というものはそんな画一的に線引して扱えるものではないのだ。かつては社会の中にそういう「弱った人」を助ける余裕があったと思う。でも現代は、どんどんと効率化が進んでいて、社会の中から余裕が少なくなっているように思う。D'の患者さんは最近増えてきているらしい。その背景にあるものを考えて、サポートすることが今必要なのかもしれない。

精神科ER 緊急救命室 備瀬哲弘

 

  現役精神科医が語る精神科「救急」のドキュメント。

 

 精神というものはなんなのか。僕にはもう一つクリアでは無い。しかし、この本に記されるように、確かに精神を病む人というのは存在する。誰かに狙われていると感じすべてを疑う人。公正な論理に異常なまでのこだわりを見せる人。首をつる人。周囲からの接触に一切反応しなくなる人、などなど。原因はさまざまだが、過剰な負荷がかかったとき、人間の精神は「壊れて」しまうのだ。

 

 そして「精神科に救急なんて必要あるのか?」と思っていたことを反省したい。なるほど、精神の破綻というのは時として緊急事態なのである。そして壊れた精神も、身体の病気と同じように、適切な治療を受けることで治すことができるのだ。

 

 この本は精神科医の本当の必要性と精神科医療の価値を提示している。日本だと、医療のなかでは精神科は随分と軽んじていられるのではないだろうか。だれが言ったか「精神科医は医者も頭がおかしい」などと笑い話にされたりする。しかし、彼らなくしては社会の中で苦しむ人がおおぜいいることを認識しなくてはならない。特に、日本社会は精神に問題を抱えた人に対して厳しいのだから。

 

 他方、この本に出てくる患者さんたちの背景には、日本社会(または都会)が抱える問題があるように思う。ネグレクト、過労、アル中、引きこもり(を許さない社会)、過密な人口etc。患者さんたちはそういった根深い問題が、一つの形として表層化した存在なのかもしれない。

 

 誰が読んでもいいし、広くいろんな人に読んでもらいたい一冊。

9つの、物語 橋本紡

 

  ゆきなは大学生。読書家のお兄ちゃんと二人で暮らしている。大学では彼氏もできた。でも、おかしなことがある。お兄ちゃんは死んでいるのだ。9つの有名文学を章に冠して、心温まる物語を送る。

 

 表題はサリンジャーの「Nine stories」から。章のタイトルはいろんな文学作品から取られている。そこのとこが気にいって何気なく購入した。とくに「山椒魚」と「ノラや」が入っているのがいい。

 

 中身は、なんというか、少女漫画の世界だった。両親は長期の海外旅行中。お兄ちゃんは読書家で賢くいつも優しい。女にもモテて彼女をとっかえひっかえしている。彼氏も優しい映画好きの好青年。ケンカしても最後は謝ってくれる。ついでに、ゆきなの大学の同級生には、ちょっとヤンチャでゆきなに気があるものの、男女ではなく友人としての立場を堅持してくれる男の子もいる。そういえば、登場人物には女の子がほとんとどいない。そして、おにいちゃんは幽霊なのだ。どういう奇跡かしらないが、ゆきなにとって切ない別れを予感させる。こんな感じで夢見る少女の理想をそのまま描いた作品だった。

 

 個人的にはいまひとつ楽しめなかった。あまりにも甘ったるい。おっさんには胸焼けである。

 

 

 

 

とりつくしま 東直子

 

 この世に生きるものは皆死ぬ。死んだあと、魂だけになったあと、この世に未練のあるものは「とりつくしま係」に声をかけられる。最後にもう一度だけ、モノにとりついてこの世に戻ることができるのだと。

 

 独特の世界観で描かれる短編集。人が違えばそれぞれ事情もちがうので、十人十色にモノへとりつき現世への想いを成し遂げようとする。想いはときに愛情であり、ときに呪いであり、ときに文字にならない感情であったりする。短い物語のなかで死者の感情(変な言葉だが)を強烈に描いた作品ばかりだ。

 

 お話もおもしろいが、個人的には独特の世界観のほうが気になる。この作品世界の魂のルール、とでもいうべきものは「とりつくしま係」に関すること以外明らかにならない。あえて想像の余地を残したというところで、そこをあれこれ想像してみるのも楽しい。いや、一部にはむしろ恐ろしいところもある。

 

 短いながらもエンターテイメント性に富んだ作品集。電車で読むのに丁度いい。

金子みすゞ童謡集

 

 

 大正時代の詩人・金子みすゞの童謡集。その優しい視線はすべての読者の心にさわやかな風を送り込む。

 

 最近だと”こだまでしょうか”の詩でおなじみの金子みすゞ。しかしそれ以外にも素晴らしい詩がたくさんある。その目線は常に周囲のものを優しく見守り、そして想像は宇宙を駆け巡っている。

 

 この素晴らしい詩人が、わずか26歳で自殺したという。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という言葉が頭をよぎる。金子みすゞは優しすぎたのかもしれない。

 

 さわやかな詩であるが、ことばの1つ1つには重みを感じる。これは大正という時代がそうかんじさせるのか。いや、ぼくらが普段目にすることばには重みがないのかもしれない。SNSいうことばの氾濫する今の世の中では、ことばの真の力は薄れてしまっているように思われる(このブログもその一因である。反省)。そのつぶやきはあなたの本当のことばだろうか。そんなことを考えてしまう。

 

 心に影さす人に読んでもらいたい一冊。少しの間かもしれないがさわやかな風を感じることができるだろう。

大学とは何か 吉見俊哉

 

 

 だから大学が、単に国家のものでも、国民のものでも、産業界のものでも、教師たちのものでも、さらには学生たちのものではないとするならば、大学はいったい誰のものなのか。

 

 大学とは何か。その問の答えを大学誕生の歴史から紐解き、日本と世界を取り巻く環境の大きの変化の中で、変わらざるをえない現代の大学と、その目指す姿を論考する一冊。

 

 日本の大学は欧米の大学とは随分違う。教育や研究に対する姿勢も、学生の質も異なる。そして、日本社会全体が明治の文明開化以来、西洋文明の後を追い続けていることもあり、日本の大学は欧米の大学のあとを一生懸命追っかけている。この本を読めば実にクリアだが、日本の大学はそもそもの成り立ちが欧米の大学とは成り立ちも置かれている環境も全く違うことに気付かされる。それにも関わらず、日本の大学は欧米のあとを追う。果たしてその意味はあるのだろうか。

 

 なんにせよ大学という組織は、現在大きなうねりの中にある。だからこそ、大学という存在の意味を、価値を再考し、いまこそ地に足つけて屹立していかねばならないのではないか。ぼくには 著者がそう問いかけてくるように感じた。

 

 大学の先生を含め、教育・研究に携わる人々に読んで欲しい一冊。