続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

TENTET クリストファー・ノーラン

 

 

 主人公(名前は決まっていない)はその腕を見込まれて、秘密組織の一員となる。与えられたのは「TENET」という言葉のみ。秘密組織のなかで彼は時間逆行技術の存在と、それによる未来人からの過去への侵略を知ることになる。果たして、事件の黒幕は何者なのか。主人公は深く事件に関わっていく。

 

 ノーラン監督最新作。時間を扱うということで「メメント」のような作品を予想したが、ちょっと違った。たぶん、本作は「ノーラン監督が好き放題やってみた映画」だ。

 

 作中世界では、未来において物体の時間を逆行させる技術が生まれたらしい。どうも第三次世界大戦に関連したとか。そして、映画的にそれはフィルムの逆再生で表現される。たぶん、いや、間違いなくノーラン監督はフィルムの逆再生を面白いとおもっているのだろう。この感覚は子供でもわかるものだ。そして、そこから発展して、時間が順行する現在の人々と、時間を逆行する未来の人々の戦いを一画面に捉えたのが本作である。その映像は、正直常軌を逸していて、その制作の量力たるや並外れているだろう。逆光と順行を一画面に収めるた、実際に逆行行動を俳優・スタントマンはとったという。驚愕の演技である。凄まじいリテイクの賜物ではないだろうか。

 

 タイムスリップではなく、時間逆行という概念を映像にしたのがこの作品の面白さだろうか。しかも、”個”の時間逆行なのだ。時間が逆行する世界ではなく、あくまで世界の時間は順行するなかで「逆光」する存在を描く。つまり「時間の流れ方は個々によって違う」という設定が新しい。

 

 時間ものにありがちな「伏線」は張り巡らされている。オーソドックスなものは一見して先読みできた(過去に闘った敵が実は未来の自分自身である、とか)が、たぶん細かいことは読み切れていない。この映画はたぶん2回以上観ることを想定されている。

 

 この2回以上観ることが前提であることに、現代という時代におかれた映画の立ち位置を感じる。つまり、映画の配給形態が大きく変わったのだ。映画は、劇場で上映されるものではなく、家でパソコン画面で配信されるものになってきた。この時代の変化にノーラン監督が敏感に反応しているのだろう。露骨なほどに伏線のキーアイテムをクローズで映すのがその証拠だ。映画館のスクリーンでみせることを前提としていない。小さなパソコンの画面でもわかるように作っている。

 

 個人的には、映画は映画館でみるものだと思う。少なくとも、”映画体験」とは劇場で映画を観ることを指すと思う。そういう意味ではちょっと残念だ。ただ、この映画近いうちにもう一度みたいとは思う。