時をかける少女 大林宣彦
最近だと「時かけ」といえば細田守監督のアニメ映画だけど、その前にはこの映画があった。大林監督の尾道三部作の1つ。実写版「時をかける少女」だ。
改めて見ると、時代の制約のの中で大林監督が実にチャレンジングな映画を作っていることがわかる。
まだコンピュータ・グラフィックスの無かった時代。フィルムと撮影の技術を巧みにいかして登場人物の心を絵にする技に、実に大林監督はチャレンジしている。
すごいなと思ったのは主人公・佐山和子がタイムリープの力を無意識に発生させるシーン。自転車に乗るおじさんがコマ送りのように観察される。もちろんフィルムの中を抜いているだけなのだが、「なんで?」という印象の強さが際立つ。パッと原因に行き着けない物語の構成が上手なのだろう。主人公の心の動きを映像で表現したようにみえてしまう、見事なトリックである。
このトリックを受けて、細田監督のアニメでは彼女が「タイムリープっていうのよ。思春期の女の子にはよくあることなの」と発言する。つまりこの描写こそ、心と時間の関係を見事に描写してるのではないだろうか。
この心と時間の描写こそが「時をかける少女」の内に秘められた心理のように思われる。時間や出来事は、それらを観察した個人の心に大きく左右される。おじさんにとって、かわいい女の子と過ごす3時間は矢のように過ぎるが、孤独に過ごす3時間は長いのだ。同じ仕事をしていても。
かつて、映画は「人の心を描く手法」だった。有象無象の映画が作られる中で、映画はそれを失ってしまった。これは、そういう時代の映画なのだ(そして、いま映画が立ち返るべき時代なのではないだろうか?)。