続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

鬼滅の刃 無限列車編

 

 

 鬼。無限の生命と再生力を持つ化け物。弱点は陽の光と首の切断。人間を遥かに凌駕する鬼が暗躍する世界。人は鬼に対抗し、やはり闇の組織・鬼殺隊が暗躍していた。主人公たちは鬼の関与が噂される無限列車に乗り込む。鬼殺隊を支える「柱」の一人である煉獄と合流し、鬼を討つ任務を帯びて。

 

 今更という感じだがやはり映画館で見るべきだと思い観に行った。いろいろと特殊な気もするが、やはり1つのエポックメイキングな映画であったことは間違いない。そんあ映画はやはり映画館で見ておくべきだ。

 

 僕自身は原作漫画は全て読んだ。TVアニメはみていない。

 

 映画の感想の結論は「これはいい映画化だ」の一言である。原作漫画はダイヤの原石だった。アニメ化で輝くダイヤとなったのだ。もちろん原作漫画も十分輝くダイヤだったのだが、この作品はアニメ化で更に輝やいた。まさに「いい仕事」とはこういうことをいうのだ。

 

 漫画はほぼ一人の人間が描きあげている。だからいろいろと限界がある。その限界がまた作品に味を生み出す要素でもあるが、いいアニメ化はその限界を汲み取って、より良い作品を生み出すということであろう。

 

 まず、背景がいい。実にリアルだ。もちろんアニメなのだが一瞬写真ではないかと思うようなリアリティがある。これは漫画ではできないことだろう。鬼滅の刃の重いストーリーはリアリズムのなかでこそ生きる。「世界の重み」をこの映画は作品に加えたと言ってもいい。

 

 次に動きがいい。つまりアニメーションがいいということだ。すっごい動く。特にバトルシーンはすっごい動きに縦横無尽のカメラワークが加わり「凡人の目では追えない超速のバトル」という感じが出ていていい。ただ、3DCG部分はちょっと画面から浮いていて残念だった。いっそ全部描いてくれたらやばかったかもしれない(鬼の所業)。

 

 そして総合的に理解が深まる。フルカラーで、動きがあって、音声やBGMがついている。いろんな補助が加わることで作品の理解が恐るべく深まる。個人的には煉獄さんの無意識が「燃え続ける石畳」であることにしびれた。漫画を読んだときには気が付かなかったが、煉獄さんの心の中はまさにキリスト教の「煉獄」であったのではないか。つまり天国には行けないが、地獄に落ちることもない。天国へ昇るための魂の精製を必要とされる空間。それこそが煉獄さんの心だったのだ。煉獄さんの逝去に伴い母が現れることがそれを裏付けている。煉獄さんは救われたのだ。

 

 あと、これもいまさらではあるが「日光を弱点とする敵」という設定はうまいもんだと理解した。もちろんこの設定自体は使い古されたものだ。オリジンはどこになるのだろう?吸血鬼のような気がするがもっと古いものがあるのかもしれない。オリジンが1つではない気もする。とにかく「光が弱点」という設定は物語を盛り上げる。なぜなら、光が弱点である敵は夜に行動するからだ。必然的に主人公たちは夜間に戦わざるを得ない。人間は夜が苦手だ。恐怖を感じる。詰まるところ、人間は視覚に頼った人間だからなろう。これが主人公の、いあや読者の恐怖を煽る。つまり物語の舞台を作る上で「日光が弱点である敵」は実に有効なのだ・・・いや、いまさら自信満々に書くことでもないか。ぼくはアカザ戦の最後の炭治郎のセリフでやっとこれを理解出来たのだ「鬼殺隊はみんなお前らが有利な夜の闇で闘っているんだー!」みたいなセリフ。当たり前のことを言っているだけのようにもみえるが、鬼殺隊が夜の闇の中でこそ戦いを意識するのは、鬼は光に弱いという設定があるからこそなのだ。

 

 流行り物ではあるが、個人的には十分に観るに値する映画であった。注目すべきは「なぜこの映画がヒットしたのか」であろう。個人的には「苦しさ」が共感を生んでいるように思う。アニメ映画のターゲットはせいぜい30代までだろう。この映画の主人公たちは実に苦しい環境に追い込まれている。そこに感情移入できる人間が日本社会には多い。つまり、現代の若い世代は多かれ少なかれ自分達をとりまく環境に苦しみを感じているのではないか。