続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

1917 命をかけた伝令 サム・メンデス

 

1917

1917

 

 

第一次世界大戦。イギリス軍第8連隊のブレイクとウィルは前線から下がり春の野でまどろんでいた。そこに突然の招集がかかる。敵陣を突破して第2連隊に突撃中止の命令を伝えろ。それが将軍の命令だった。ドイツ軍が撤退したのは、こちらの攻撃を促し罠にはめるブラフだというのだ。第2蓮連隊にはブレイクの兄がいる。2人は決死の覚悟で塹壕を飛び出すのであった。

 

全編ワンカット風で送る驚異の一作。「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦のシーンで”戦場”のリアリティに戦慄したものだが、本作では”戦争”のリアリティに震えさせられた。

 

カメラは常にブレイクとウィルを追うわけだが、視点は二人と同じか少し上から。全体を通して、観客は二人に同行しているような感覚に陥る。そして、二人は戦場をくまなくあるき回るのだ。前線から離れたつかの間の安息地、将軍の指揮する司令部、最前線、無人地帯、敵地(敵軍撤退直後)、捨てられた民家、敵地(敵軍支配下)、そいて味方陣営へ。まるで一兵卒になったような気分が味わえる。

 

一兵卒に戦争の全体はわからない。敵の動きも味方の動きもわからないのだ。だから、頭の上を飛ぶ飛行機が敵か味方かも通り過ぎなければわからない。すべてが敵に思えるし、何が事実かも確かめるすべがない。ただ、戦争なのだ。いつ殺されてもおかしくないし、自衛のためには殺すことも厭わない。

 

どんな人間も戦争の全体はわかない。すべての人が恐怖し、すべての人が生き延びるために行動しているとも言える。戦争の恐怖や理不尽さを描き出すのに、ワンカット風の撮影がじつにうまく生きている。ここ最近で「もっとも戦争を批判した映画」といってもいいんじゃないだろうか。

 

〜追記〜

もうちょっと書きたくなったので追記。

 

この映画は主役よりもその周りを見せるようにできている。特に第一次世界大戦の特徴である「塹壕」の雰囲気がすごい。だからこそ画面に引き込まれるんだろう。英軍の塹壕は土で塗り固め、雨水がたまりドロドロしている。対して独軍塹壕はコンクリで塗り固められて整然としている。画面の端に映るちょっとしたポスターや品物にも違いがある。塹壕で蠢く軍人たちにはそこで生きている生活感がある。捨てられた民家、壊された橋、燃える遺跡、地下に隠れる市民、後方支援の余裕、前線の感覚、突撃直前の緊張感。この映画は主人公たちの旅を通して、戦場を歩き回るのだ。

 

あと、戦争ものなのに敵軍はほとんどでてこない。敵と味方なら圧倒的に味方の人数のほうが多い。わずかに出てくる敵兵も、顔を含め詳細はよくわからない。ワンシーン。ウィルが燃える夜の旧都市を歩く前方に人影。相手がよくわからない。疲れたウィルはぼんやりと会話できる距離まで近づこうとする。あと一歩、その刹那に、人影からの発砲。そう影は敵兵だったのだ。辛うじて敵地を逃れるウィル。しかし、敵の正体は全くわからない。この感じがよくできている。突き詰めれば、人間はよくわからないものが「怖い」のだ。よくわからないから怖い。そしてその恐怖に耐えられないとき、恐怖は暴力に変わる。戦争が止まらないのはそういうことなんだろう。