続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

 「ぼくは君たちのパッションだけは信じる」(三島由紀夫

 

 

 実際の映像を用いたドキュメンタリー。1960年代。左翼活動を続ける「東大全共闘」は安田講堂を追い出され、次の一手として討論会を開く。白羽の矢がたったのは当時の右翼の急先鋒・三島由紀夫だった。

 

 討論会なんてのはぼくの人生と縁がないので、あんまりよくわからないのだが、イメージとしては喧々諤々としているものだと思っていた。しかし、この映画の中で繰り広げられる討論は実に知的な闘いであった。笑いが起きたりもするもんである。特に右翼と左翼なんて絶対噛み合わないと思うのだが、それはぼくの間違いだった。立場や思想が違えども言葉で対話することはできる。もっとも映画の中では、この時代が言葉が生きた最後の時代だと言われたりするのだが。

 

 新鮮だったのは三島と全共闘の間に「共闘」という考えがあったことだ。もちろん表立ってはどちら側も拒否するのだが、当時は右翼も左翼もその根底にあったのは反米反体制であったようだ。戦後、おおげさに言えばアメリカの属国となった日本において、詰まるところ三島は「日本人としての自立」を求め、全共闘は「体制からの自由」を求めたんじゃないだろうか。目指した方向の微妙な違いが立場としては右翼・左翼という大きな違いに表れたということなのだろう。

 

 ぼくが生まれるずっと前。こういう時代があったのだ。実際の映像と現在の当事者へのインタビューによって「解釈」ではない時代を肌で感じることができたような気がする(もちろん、気がするだけである)。ぼくにとっては時代の風を感じられる映画であった。