続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

書を捨てよ町へ出よう

 

書を捨てよ町へ出よう

書を捨てよ町へ出よう

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 戦後しばらくたって日本の復興も進んできた頃、主人公はどん底の中にいた。二十歳ぐらいの主人公は線路沿いの長屋に暮らす。働かない父親、万引を繰り返す婆さん、兎に狂う妹。何もかもうまくやってのける憧れの先輩の影を追いつつ、現実と理想の間で主人公は鬱屈し、そして爆発する。

 

 「映画館の暗闇で腰掛けて待ってたって、何も始まらないよ…」。冒頭からガツンとくる台詞を主人公が観客に語りかけ物語は始まる。そしてエンディングでは「ライトが点けば映画の世界も消える…」と。たぶん映画ファンが一番聞きたくないことを真正面から言ってのける。そして、エロ・グロ・ナンセンス、なんでもありの映像と音楽が、観客の感情をガンガン揺さぶる。「怪作」とはこんな映画をいうのだろう。ぼくはパソコンの画面でみたが、それでも途中で耐えられずに一回休みを挟んで見た。これを映画館の大スクリーンと音響でみたら立ち上がれなくなってしまいそうだ。

 

 物語には多くの弱い人々が登場する。主人公の家族はもちろん、その周囲にも弱い人々が多数いる。しかし、それは普通のことなのかもしれない。この映画に登場するような弱者は、いま現代にも同じように存在している。ただ当時も今も眼を向けられることがないだけだ。

 

 社会というものは光ばかりではなない。光のあるからには影もあるのだ。最近の映画ではすっかり描かれなくなってしまったが、本当は影にこそ眼を向けることが必要なのだろう。眼をこらしてよくみなければ、われわれの社会の枠組みから外れて苦しむ人々に気づくこともできない。

 

 多くの人が若い頃には胸の内に炎を宿している。この映画では、その炎に一人の人間が焼き尽くされる姿が描かれているのではないだろうか。あらゆる手段でこの映画は実験的に、挑発的に観客の心をゆさぶってくる。そして観客は自分の心の炎に気がつくのだ。燃え尽きたもの、燃え盛るもの、炭のようにジワジワと熱を放つもの。この映画には、人の心の奥底に有るものを確かめる試金石としての働きがあるように感じた。