続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

夜行 森見登美彦

夜行

夜行

『春風の花を散らすと見る夢は、さめても胸の騒ぐなりけり』

かつて京都の英会話スクールに通った仲間たちは、10年ぶりに『鞍馬の火祭』を見物に行こうと話をまとめる。久しぶりの再会に心躍らせつつも、心の片隅には暗闇があった。かつて同じように祭りを見物した際に、行方不明となった友人『長谷川さん』のことが気にかかる。そして謎多き銅版画家の『岸田道生』。彼の連作『夜行』とは一体なんなのか。

本作は帯にあるようにまさに森見登美彦10年の集大成といえる。京都を舞台に、ミステリーとホラーの中におどけたような可愛らしさが混ざり込み、著者独特の世界を作り出している。

テーマが銅版画であるのも良い。銅版画は表と裏で全く違う絵のように見える。『夜行』が裏なのか表なのか?いや、そんなことは重要ではないのだ。作者が認めれば、見るものが認めれば、それが表である。

人生の裏側にはif世界が広がる。文学の面白さは、if 世界への侵入にあるのかもしれない。

小説の究極のテーマは「現実と虚構」である。優れた文学作品は読者を虚構の世界へ連れて行ってくれる。それはリアリティによって成されることもあれば、独自の世界設定によるものかもしれない。

虚構と現実。現実と虚構。胡蝶の夢から続くこの永遠のテーマを、著者なりに見事に咀嚼した作品であると思う。現実は虚構であり、虚構は現実なのだ。そこにはただ人があるだけなのだ。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

アメリカの大学生3人組は、伝説の魔女『ブレア・ウィッチ』についてドキュメン映画を作成することにした。彼らはハンディカム片手に魔女の住む森へ分け入り、行方不明となり、ハンディカムだけが発見された。

映画自体がハンディカム映像ということになっており、あえて画質、音質の悪い映像が恐怖を誘う・・・.はずがレンタルビデオを家のテレビで観ても今ひとつこの恐怖は伝わってこない。

これは映画館で観る映画なんだろう(ほとんど映画はそうかもしれないが)。家で小さな画面でリラックスして観ても仕方がない。

評判が良かっただけに少し残念な一本だった。

自閉症の世界 スティーブ・シルバーマン

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

ぼくたちの存在を嘆くみなさんの声は、僕たちにはそう聞こえます。回復を祈るみなさんの声は、ぼくたちにはそう聞こえます(シンクレア)

自閉症ってなに?
この問いにクリアに答えられる日本人は何人いるにであろうか?いや、世界中に何人いるにであろうか?

狂人か天才か。

自閉症アスペルガー症候群。果たしてそれは病気なのか?どう定義すべきなのか?その歴史がこの一冊にまとまっている。とはいえ、文庫600ページを超えるこに分厚い本は、決して答えを提示しているわけではない。ただ、人類が到達した場所をその過程と共に示すだけだ。

この一冊から学ぶことは、真実に迫るのは科学者だけではない、ということだ。真実は、真実を求める者の前に垣間見える。

脳髄は人間の迷宮である。病も、奇跡も、紙一重なのかもしれない。

ダニー・ザ・ドッグ ルイ・レテリエ

ギャングのボスに戦闘マシーンとして育てられたダニー。彼は人としての教育を受けることはできず、首輪のついた番犬であった。ある日、取り立て先の骨董品屋でダニーは心優しいピアノ調律士に出会う。少しずつ「人」として成長していくダニー。一方、ボスは闇のファイトクラブでダニーを戦わせ金を手にすることを目論む。

ジェット・リーの演技が際立つ。ダニーの戦闘マシーンと純朴な少年の顔を見事に演じ分けている。

他のキャラクターもしっかりキャラが立っており、物語をしっかりと固める。モーガン・フリーマンの安定感はさすが。

しっかりとしたキャラを際立たせることで、単純なストーリーでもしっかり楽しむことができる。そんなことを再確認した映画だった。

オーケンののほほんと熱い国へ行く 大槻ケンヂ

オーケンののほほんと熱い国へ行く (新潮文庫)

オーケンののほほんと熱い国へ行く (新潮文庫)

『熱い国を旅したい!』(著者)

オーケン初の書き下ろしエッセイとのこと。
インドとタイ。2つの熱い国をオーケンがほてほてと旅する。

インドでは常識をぶっ飛ばされ、タイでは多くの人と出会う。くだけた読みやすい文体で綴る旅の思い出を読むと、居酒屋でオーケンから旅の話を聞かせてもらっているような気分になる。

長らく旅なんてしていない。海外なんていつ行っただろう。どこか遠くに行ってみたい。どうせならギャフンと常識を知らぶっ飛ばされたい。ぼくもインドに行ってみたくなってきた。

風の谷のナウシカ 宮崎駿

『もうこれ以上、死んでも殺してもいけない。生きろ、と』(ナウシカの言葉を伝えるチクク)

映画はもちろん超有名。その原作漫画であり、宮崎駿が映画を作るために連載した一作。当時は原作なしのアニメ映画なんて作れなかったので、まず漫画から書いたというのだ。人気が出ないと映画は作れないわけだが、その辺はさすがに天才・宮崎駿ということだろうか。

今読んでも全く色褪せない面白さ。1980年代にこんなストーリーと設定で漫画を描ける人はそうは居なかったのではないだろうか。

宮崎駿監督の世界観、歴史観などが濃厚に詰まった作品。多少の変化はあるだろうが、根底にはこの漫画で描かれるようなものが後のジブリ作品にも息づいていると思う。

映画を見たなら是非読んで欲しい。

22年目の告白 ―私が殺人犯です―  入江 悠

 

映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」オリジナル・サウンドトラック

映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」オリジナル・サウンドトラック

 

 

5人を殺害した連続殺人犯。その手口は、ロープで首を締めてターゲットを殺害し、それを被害者な身近な人物に正面から見せつけるという残酷極まりないものであった。警察の必死の捜査も実らず、事件は時効を迎えてしまう。その日は日本から死刑に相当する罪の時効が撤廃される、わずか1日前のことであった。そして事件から22年後、突如犯人が名乗り出る。事件の告白本の出版を引っさげて。メディアに露出し、被害者を挑発するように宣伝活動を行う犯人。果たしてその狙いはなんなのか。

 

映画館で予告編をみて惹きつけられた。いい予告編だったのだと想う。一方で、この予告を見てしまうとなんとなくストーリーは予想できる。オチある程度予想がつきそうなもの。そんなわけで予告編を観ないで映画館へ行った人の感想も聞いてみたいところ。

 

この作品で力を魅せつけたのは藤原竜也だろう。デスノートカイジの映画化の頃から、この人は独特の緊張感を放つのがすごくうまい。その緊張感がこの映画では最大限に活用されている。映画全体をしっかりと引き締め、何が起こるかわからないハラハラ感を観客に与えている。

 

映像やBGMもこの緊張感を活かすようにしっかり方向性が立てられている。臨場感のあるハンディカム風の映像、ニュースの生放送を模した映像などで現場の雰囲気がでている。BGMも主張のはげしくない、単調なピコピコ音がリアリティがあって良い。

 

そんなわけで「藤原竜也の緊張感」を大いに味わえるこの一作。この方向性に耐える藤原竜也もすごいし、この方向性を見出した監督もすばらしい。映画館で観ることをおすすめしたい一作だった。