続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

自閉症の世界 スティーブ・シルバーマン

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

ぼくたちの存在を嘆くみなさんの声は、僕たちにはそう聞こえます。回復を祈るみなさんの声は、ぼくたちにはそう聞こえます(シンクレア)

自閉症ってなに?
この問いにクリアに答えられる日本人は何人いるにであろうか?いや、世界中に何人いるにであろうか?

狂人か天才か。

自閉症アスペルガー症候群。果たしてそれは病気なのか?どう定義すべきなのか?その歴史がこの一冊にまとまっている。とはいえ、文庫600ページを超えるこに分厚い本は、決して答えを提示しているわけではない。ただ、人類が到達した場所をその過程と共に示すだけだ。

この一冊から学ぶことは、真実に迫るのは科学者だけではない、ということだ。真実は、真実を求める者の前に垣間見える。

脳髄は人間の迷宮である。病も、奇跡も、紙一重なのかもしれない。

ダニー・ザ・ドッグ ルイ・レテリエ

ギャングのボスに戦闘マシーンとして育てられたダニー。彼は人としての教育を受けることはできず、首輪のついた番犬であった。ある日、取り立て先の骨董品屋でダニーは心優しいピアノ調律士に出会う。少しずつ「人」として成長していくダニー。一方、ボスは闇のファイトクラブでダニーを戦わせ金を手にすることを目論む。

ジェット・リーの演技が際立つ。ダニーの戦闘マシーンと純朴な少年の顔を見事に演じ分けている。

他のキャラクターもしっかりキャラが立っており、物語をしっかりと固める。モーガン・フリーマンの安定感はさすが。

しっかりとしたキャラを際立たせることで、単純なストーリーでもしっかり楽しむことができる。そんなことを再確認した映画だった。

オーケンののほほんと熱い国へ行く 大槻ケンヂ

オーケンののほほんと熱い国へ行く (新潮文庫)

オーケンののほほんと熱い国へ行く (新潮文庫)

『熱い国を旅したい!』(著者)

オーケン初の書き下ろしエッセイとのこと。
インドとタイ。2つの熱い国をオーケンがほてほてと旅する。

インドでは常識をぶっ飛ばされ、タイでは多くの人と出会う。くだけた読みやすい文体で綴る旅の思い出を読むと、居酒屋でオーケンから旅の話を聞かせてもらっているような気分になる。

長らく旅なんてしていない。海外なんていつ行っただろう。どこか遠くに行ってみたい。どうせならギャフンと常識を知らぶっ飛ばされたい。ぼくもインドに行ってみたくなってきた。

風の谷のナウシカ 宮崎駿

『もうこれ以上、死んでも殺してもいけない。生きろ、と』(ナウシカの言葉を伝えるチクク)

映画はもちろん超有名。その原作漫画であり、宮崎駿が映画を作るために連載した一作。当時は原作なしのアニメ映画なんて作れなかったので、まず漫画から書いたというのだ。人気が出ないと映画は作れないわけだが、その辺はさすがに天才・宮崎駿ということだろうか。

今読んでも全く色褪せない面白さ。1980年代にこんなストーリーと設定で漫画を描ける人はそうは居なかったのではないだろうか。

宮崎駿監督の世界観、歴史観などが濃厚に詰まった作品。多少の変化はあるだろうが、根底にはこの漫画で描かれるようなものが後のジブリ作品にも息づいていると思う。

映画を見たなら是非読んで欲しい。

22年目の告白 ―私が殺人犯です―  入江 悠

 

映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」オリジナル・サウンドトラック

映画「22年目の告白-私が殺人犯です-」オリジナル・サウンドトラック

 

 

5人を殺害した連続殺人犯。その手口は、ロープで首を締めてターゲットを殺害し、それを被害者な身近な人物に正面から見せつけるという残酷極まりないものであった。警察の必死の捜査も実らず、事件は時効を迎えてしまう。その日は日本から死刑に相当する罪の時効が撤廃される、わずか1日前のことであった。そして事件から22年後、突如犯人が名乗り出る。事件の告白本の出版を引っさげて。メディアに露出し、被害者を挑発するように宣伝活動を行う犯人。果たしてその狙いはなんなのか。

 

映画館で予告編をみて惹きつけられた。いい予告編だったのだと想う。一方で、この予告を見てしまうとなんとなくストーリーは予想できる。オチある程度予想がつきそうなもの。そんなわけで予告編を観ないで映画館へ行った人の感想も聞いてみたいところ。

 

この作品で力を魅せつけたのは藤原竜也だろう。デスノートカイジの映画化の頃から、この人は独特の緊張感を放つのがすごくうまい。その緊張感がこの映画では最大限に活用されている。映画全体をしっかりと引き締め、何が起こるかわからないハラハラ感を観客に与えている。

 

映像やBGMもこの緊張感を活かすようにしっかり方向性が立てられている。臨場感のあるハンディカム風の映像、ニュースの生放送を模した映像などで現場の雰囲気がでている。BGMも主張のはげしくない、単調なピコピコ音がリアリティがあって良い。

 

そんなわけで「藤原竜也の緊張感」を大いに味わえるこの一作。この方向性に耐える藤原竜也もすごいし、この方向性を見出した監督もすばらしい。映画館で観ることをおすすめしたい一作だった。

水木サンの幸福論 水木しげる

 

水木サンの幸福論 (角川文庫)

水木サンの幸福論 (角川文庫)

 

 「実はてんぷらは嫌いなんだよ」(著者)

 

妖怪マンガ家、水木しげるが幸福とは何かを考える。生涯を通して考え抜き、そして老いてなお答えのでない「幸福」とは何か。著者なりの考えが第一部にまとめられている。

第二部は、著者が自身の人生を振り返る「私の履歴書」。壮絶な人生を、軽く愉快な調子で語る。

 

水木しげるさんはぼくのイメージでは「のんびりした漫画家」であった。

手塚治虫と対比されることが多いと思うし、実際、最近の著者はのんびりした人であったのだろう。しかし、この一冊でぼくの水木しげるに対するイメージはがらりと変わった。好奇心旺盛に、自分の夢を目指したとてつもなく芯の強い人である。また、臨機応変に状況を読み、実に活発に行動した人でもあった。並外れた生命力を感じる。とてものんびりなんて言葉で表せる人ではない。

 

その人生は壮絶である。

絵を描く仕事を夢見るもなかなかうまくはいかず、職を転々とする。気がつけば戦争が勃発し世情はいっきにきな臭くなる。ついには著者も戦線に送り出されてしまう。

 

有名な話ではあるが水木しげるさんの片腕はない。戦争でラバウルに行き、爆弾でふっとばされたのだ。味方も全滅し、たった一人密林を逃げ惑う。奇跡的に生き残り他の部隊に合流するも、今度はマラリアを発症して生死の境をさまよう。

知ってはいたが、本人の言葉を読むと臨場感がちがう。本当に凄まじい修羅場をくぐり抜けてきた人なのだ。

 

戦争を乗り越え日本に戻っても、今度は貧乏が著者を襲う。また職を転々としつつ、やっとこさ紙芝居作家として絵を描く仕事に就く。しかし給料は安く、自転車操業の日々。食うものに困ることさえ有ったという。

必死に食らいつき、50を超えてついに売れっ子漫画家になるも、今度は超多忙な日々。

身体に鞭打って働くことになる。

 

うーん。全然のんびりしていない。激務の中で思いを馳せたのは南方の人々とのゆっくりとした暮らしであったようだ。著者はそこにこそ幸せを見出した。

 

著者の幸福論には「なまけものになりなさい」という言葉がある。著者の壮絶な人生を踏まえてこそ、この言葉の重みがよく分かるような気がする。なまけものになるのも、結構大変なことなのだ。

若きウェルテルの悩み ゲーテ

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

「天上の神様よ、人間は物心のつかぬ以前か、分別を失ってしまった以後かでなければ幸福にしていられない。あなたはこれを人間の運命と決めたのですか」(ウェルテル)

青年ウェルテルの恋と青春を描くお話。

前半は書簡形式で、ウェルテルが妹ウィルヘルムにあてて自らの近況を語る。愛すべきロッテとに出会い。恋。失恋と未練の心。ウェルテルの赤裸々な告白は恥ずかしいくらいだ。ロッテの一挙手一投足をを読み解き、一喜一憂する姿は滑稽なほど。しかしこれが恋なのだろう。周りが全く見えていない。

後半は編集者の記述としてウェルテルが死に至る最後の日々を描いている。ウェルテルは死に対峙してなおもロッテの恋心に支配される。死さえもロッテの為として、自己犠牲の心を胸にまっすぐ突き進むウェルテル。悲しいほどの愚直さ。燃え上がるような激情。どうもぼくには激しすぎて、実感がないのだった。