ミリオンダラーベイビー
クリント・イーストウッドが監督を努めて描くボクシング映画。時代設定ははっきりしないが80-90年代ぐらいだろうか。その時代の女子ボクシングは今以上に日陰の世界であったろう。主人公マギーは30代。ボクサーとしてはすでに遅い。しかもアマチュアだ。そんな彼女はイーストウッド演じるフランキーにトレーナーについてくれるようにたのみ、半ば強引にかれのジムに居座る。本人の努力と、エディの助けもあり、フランキーは嫌々ながらも彼女のトレーナーにつく。そして、物語は動き出す・・・。
クリント・イーストウッドが監督で、イーストウッドとモーガン・フリーマンが揃って主演するのだから悪い映画になるわけがない。暇なら見とけという映画。
イーストウッド監督らしい演技で見せる映画だ。CGも特撮もたぶんほとんど使っていない。使う必要のない画面作りができている。今はもうない、かつての古き良き映画作りが、むしろ観客にはストレートにメッセージを伝える。
この映画の素晴らしさは光の使い方にあると思う。まるでレンブラントを思わせる光の使い方は実に印象的だ。レンブラントが光を描こうとした結果影を描いたように、この映画でも巧みな光がむしろ登場人物の影を色濃くするのだ。
例えば、エディやフランキーが深夜のジムでマギーにアドバイスを送るシーン。エディもフランキーも首から下に光があたり、顔は闇に包まれている。どんな顔で、どんな表情で、どんな気持ちでマギーに言葉を送っているのか。観客には想像することしかできない。この映像が彼らが聖人ではない影を背負った弱い人間であることを示唆するし、同時に物語の深みを作る。また、エディとフランキーが言い争うシーン。光源は二人の真ん中にあり、二人の顔はそれぞれ光の指す方向が真逆だ。二人の立ち位置を明確に光が指し示す。
前半はロッキーよろしくの成り上がり映画だが、後半は尊厳死を扱う重いテーマが扱われる。この辺は賛否両論あるようだが、賛否両論ある映画こそがみるべき映画だ。明確な答えが無いからこそ議論する価値がある。問題は解決したものより問題提起したものが評価されるべきだろう。
ただ、映画のボクシングシーンはリアリティが無さすぎて微妙である。マギーはパワーファイターのようだが、どうもそんなにパワーがあるようには見えない。戦い方もアウトボクサーなのかインファイターなのかよくわからない。劇中で出てくる反則は、たぶんやりすぎだろう。ゴング後に背後からぶん殴るとか、あり得な差すぎる。一発免停とかなんじゃ。
もう一つ印象に残っているのは、ジムの脇役、デンジャーとウィリーだ。ボクサーのハートはあるが身体が全くついてこないデンジャーとボクサーとして申し分ない身体を持つがメンタルが弱すぎるウィリー。どちらもボクサーとして大成はできまい。だからこそというか、マギーたちプロボクサーの希少価値というか凄さが活きるし、プロボクサーの存在意義を抉り取っている。
グダグダ書いたがいい映画だ、見ておいて損はないと思う。高校生以上なら見ておいていい。どこかしら惹きつけられるいい映画であるはずだ。