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続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

まる子だった さくらももこ

まる子だった (集英社文庫)

まる子だった (集英社文庫)

相変わらずクスッと笑わせてくれるさくらももこのエッセー。
この本の最後には糸井重里との対談も収録されている。個人的にはここが一番おもしろかった。それぞれの人生観というか、世界観のようなものが垣間見えるように思う。ちょっと新鮮なまる子ちゃんの一面だった。

It follows ジェイムズ・ミッチェル

設定は面白い。映画を見てみたい気になる。だもそれだけ。ルールを生かして、もっと頭脳戦があるといいのだが。
いいアイデアなのでもっと寝かせて欲しかった。焦って作ってしまった映画という印象しかない。

スプリット ナイト・M・シャマラン

主人公の女子高生ケイシーは友人(?)2人とともに、ある日見知らぬ男にさらわれる。男に監禁されながらも、脱出を試みる女子高生達。しかし、男の中にはいくつもの人格が存在していた。果たして「彼ら」からケイシー達は逃れることができるだろうか。
シックス・センスのどんでん返しで名前を挙げたシャマラン監督の作品。本作も「ラスト3分は必見」という広告をどこかで見たように思う。どんでん返しばかりを期待されるシャマラン監督も辛かろう。
そんな本作は「犯人は多重人格」というミステリではすでに使い古された設定の集大成とも言える作品であった。
多重人格の犯人という設定の歴史は古い。おそらくジキルとハイドに始まり、現代まで連綿と受け継がれる。
それらの歴史に対するリスペクトが本作中も見られる。24人の人格は「24人のビリー・ミリガン」から来るものだろう。人格の主導権(照明)の設定とかもここから。1つの肉体に善と悪が存在するのは、ジキルとハイドの主題でもある。人格によって肉体そのものが変化するのはユージュアル・サスペクツからか。
今さらこんな使い古された設定で、シャマラン監督がやりたかったことはなんであろうか。
僕が思うに、おそらく監督はダーク・ヒーローを誕生させたかったのだ。
人間を超越した存在として描かれる第24の人格こと「ビースト」は人間を人間の限界を超えている。わずかな凹凸をつたい垂直な壁を登る。超人的な筋力で人間を圧殺する。鉄格子を素手でひん曲げる。
一方で、ビーストは「弱者こそ汚れなき存在である」という思想を持っている。この思想が叔父に性的虐待を受けていたケイシーに大きな影響を与えたことは作中否定できまい。彼女の心を救うという1点でのみ、ビーストはヒーローであった。ケイシーが最後にパトカーの中で魅せた決意の表情には、その真意を読み取ることはできないが、ビーストがケイシーに与えた影響の大きさを物語っている。
どうやら本作はシャマラン監督の過去作「アンブレイカブル」の続編であるらしい。登場人物達の決着は次の作品で着くのだろうか。
ケイシーの決意は何を意味するものであったのだろうか。ぼくは「性的虐待を繰り返した叔父をへの反旗の印し」であるとみた。絶望に囚われた少女は狂気のダーク・ヒーローに感化されよって自由を得るのではあるまいか。彼女にとってビーストはヒーロー以外の何者でも無い。作中、ビーストは唯一ケイシーのう存在を認め、そのことにケイシーは涙するのだ。
シャマラン監督の次回作こそが答えだろう。お願いだからスポンサー企業はシャマラン監督の好きにやらせてほしい。それこそがみんなが求めている答えなのだ。どうかシャマラン監督の答えを。
あと、もう一点。やはり本作では「1人で24人格役」をこなすじぇーむずえ・マカヴォイの演技に注目である。多重人格ものでは当たり前の要素なのだが、マカヴォイのクオリティはすごい。人間の外見が如何に信用できないものかの例題になるだろう。ー

陰摩羅鬼の瑕 京極夏彦

文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

『間違っているのではなく、違っているのですよ』(京極堂)

相変わらずのレンガ本。しかもだんだん厚くなっている。それでもたまに読みたいと思うのは、恐るべき情報量で造られる物語と、京極堂の憑き物落としの爽快さを求めているだろうか。
前作、塗仏の宴はオールスター戦という感じだったが、今作は少数精鋭。姑獲鳥の夏を思い出すメンバー構成になっている。鳥の妖怪である陰摩羅鬼を扱うにあたり、同じく鳥である姑獲鳥を意識しているようだ。
トーリーもなんとなく姑獲鳥の夏に近い。周りから隔離された華族の屋敷。そこで起きる殺人事件。朦朧とする関口、探偵なのか榎木津、出番が少ない木場、そして我らが京極堂
残念ながら謎解きは簡単。中盤まで読めば、ここまでシリーズを読んできた飼いならされた読者には結末が概ねわかってしまうのだろう。この辺り、賛否両論であるようだ。
それでも十分楽しんで読めた。変に登場人物が多くごちゃごちゃした話より、今回のようなスッキリしたスタイルがぼくの好みであるようだ。

天地明察(下) 冲方丁

天地明察(下) (角川文庫)

天地明察(下) (角川文庫)

「この国の暦を斬ってくれ」(保科正之)

上から少し間を空けて読了。下巻ではすべての黒幕ともいうべき保科正之が登場。ついに春海は生涯をかけた大仕事、改暦の儀へ挑む。
生きたの登場人物が糸のようにからまり合い、春海の元へ集結して行く様は心打たれる。何度も失敗を繰り返し結果を残すことはできなかったが、無駄なことばかりではなかった。春海の人生そのものが改暦の儀へ向けて集結して行くようだった。

夜を乗り越える 又吉直樹

その夜を乗り越えないと駄目なんです。(著者)

なぜ本を読むのか?その疑問に正面から向かい合った一冊。

本業芸人である著者らしく、読みやすいスッと入ってくる言葉で読書ということを分解していく。なんとなく本を敬遠している、食わず嫌いな人にぜひ読んでほしい。

またこの本で著者が紹介する名著のあれこれを読んで、著者の感想と自分の感想を比べてみるのも楽しいのではないだろうか。

あとがきで「もう自分の人生に必要な一生分の本は確保できています」と述べる著者。35歳でこんな境地にぼくはとても立てる気がしない。

天地明察 冲方丁

天地明察(上) (角川文庫)

天地明察(上) (角川文庫)

「羨ましい限りですねぇ。精魂を打ち込んで誤謬を為したのですからねえ」(伊藤)

御城碁で幕府に仕える渋川春海。しかし、彼はすでにその仕事に飽きていた。趣味の算術のほうがよっぽど面白かったのだ。そんな彼に与えられる大仕事は、この国の暦を作り直すことであった。春海と天との壮絶な勝負が始まろうとしていた。
この上巻では、一瞥即解の天才・関孝和、子供のように星を読むことを楽しむ伊藤と建部といった春海の師にあたる人物との出会いが描かれる。己が何を為すべきか、いまひとつ定まらぬ気持ちでいた春海は、師との出会い、勝負を通して自分の道を見出して行く。なんともワクワクする熱い展開で、時代物を読んでいる感じがまるでしない。今も昔も、仕事に生きがいを感じるという人の心は変わらない。
そんなストーリーより、途中に出てくる算額の問題にぼくは惹きつけられた。どうも解かずにはいられない。解かないと先が読めない。そんな性分のくせ、頭がいいわけでもないのでずいぶん苦労した。本を読んでる時間より、問題を解いてる時間のほうが長かったんじゃないだろうか。
がっかりなのは2問目の招差術の問題で、この問題は不適じゃないだろうか。どうも等差数列であることが前提でないと解けないようだ。問題文にそのような記載はない。また、等差数列だとしても星の数は14も要らない。無駄な条件が多い。
この2問目はストーリー的にも大事だ一問なので、なんだかがっかりしてしまう。作者や出版社を含めて、誰も気がつかなかったのだろうか。大変残念である。