続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

史上最強の哲学入門  飲茶

 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

 「史上最高の真理を知りたいか!?」

 

「哲学ってなんだか難しいことを考えるだけで、なんにも役に立たないじゃん」と思う日本人が多いと思う。哲学の教育ってほとんど日本国内でされいないと思うし、学ぶ場もないんじゃないだろうか。

 

しかし、人間のさまざまな営みの根幹に哲学は根ざしている。政治、経済、歴史、宗教、科学、個人の生き方、国家の生き方。ものごとの基盤となる「考え方」を考えるのが哲学である。

 

そんな哲学を、広く、浅く、簡単に紹介してくれるこの一冊。平易な言葉と、マンガのセリフネタを交える軽いノリで、スラスラと哲学を学ぶことができる。「哲学入門」にふさわしい一冊だ。

 

この本を読むと、現代の日本人は哲学を持たない民族のように感じられた。僕たちはどこに自分の足場を置き、どこを目指して生きているのか。そして「哲学を持たない」ためにぼくらはどうなっていくのだろうか。次の時代を乗り越えるために、ぼくたちには今こそ哲学が必要なのではないだろうか。

本へのとびら ー岩波少年文庫を語る 宮崎駿

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

「児童文学は、そういう流行とは関係のない隅っこのところにあるということでしょうね」(著者)

宮崎駿監督がかつて読み漁ったという児童文学について語る。

3部構成で、第1部はスタジオジブリで配布されていた小冊子を再編したもの。短い推薦文だが、自分がかつて読んだことのある本のページを読むと宮崎駿の目線が垣間見えて面白い。また、素朴な言葉の中に読んでみたいと思わせる力を感じた。ハイジ、アリエッティ、マーニー、ゲド戦記など、監督が手がけた、あるいはジブリが映画化した作品の原作についてもとりあげられている。これを読んで映画を見たら、また見えるものがあるのかもしれない。

第2部と第3部は監督へのインタビューをもとに、監督の児童文学についてあれこれ感想や意見がまとめられている。監督の目線は「作り手」の目線で、子供にむけてものを作ることの面白さ、難しさが感じられる。また常に「時代」を意識する監督の目線も感じられる。宮崎駿とう人の仕事感じられる一冊だった。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎

 

 

 

【文庫 】君たちはどう生きるか (岩波文庫)

【文庫 】君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 


「人間て、ホントに分子みたいなものだね」(コペルくん)

 

これこそまさに「教養」というべい一冊だろう。人間社会で生きるては何か。その質問がこの良一遍に凝集されている。

 

人が日本人として生きていくとはどういうことか。その基本的こ考えがこの一冊にしたためられているといえるだろう。そして、この理念なくして日本人は日本人足り得るのであろうか。

正直、全中学生に読んでほしい。日本という国は失われ得るものである。国とはなにか、日本人とはなにか。今こそ、人々は知らねばならない。

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー ロン・ハワード

スターウォーズの準主役、大胆不敵なアウトローハン・ソロ」に若き日を描く物語。帝国に支配されたどん底からの脱出、チューイとの出会い、失敗の数々などkidであったころのアウトローがそこにある。

全体として展開が早く疾走感のある感じは好みが分かれるかもしれない。バタバタした感じはハン・ソロのキャラクターと合ってる気もするが、一方ごちゃごちゃしてよくわからないシーンもある。これはおそらくメインシナリオに、ファン向けの要素を盛り込んだせいだろう。オマージュシーンが随所に散りばめられている。

ソロだけでなくチューイにスポットが当たるのも良かった。これまでソロの相棒という以外は謎が多く、おまけ感が強かったチューバッカだが、ソロとの出会い、相棒になる経緯が描かれてキャラクターに深みが増した。そしてそのチューイだけが、現在進行するトリロジーで生存している。これからのチューイの活躍に期待したい (ディズニーさん、どうか)。

総じて、一本の映画として悪くない。ただ、世間では評価が分かれるようだ。これは観覧車がスターウォーズファンか否か、という点が影響するのだろう。ご存知の通りスターウォーズはディズニーに版権が移り、現行のトリロジーはあからさまにディズニー映画になっている。わかりやすく、大衆に響く映画だ。ジョージ・ルーカス監督のスターウォーズとは違う。エイリアンの造形1つとっても、ディズニーが無難な (というよりルーカス監督がぶっ飛んでいるのかもしれない) ものを作っているにが良くわかる。「スターウォーズ?昔みたけどどんな話だっけ?」「初めて見るから楽しみー」というような人には普通に面白いアクション映画に見えるのだ。一方で、過去作を繰り返し観てきたファンには粗がみえるのだろう。

個人的には宇宙空間で襲ってくる馬鹿でかい怪物が、普通に眼とか口を持ってるのが嫌だった。ルーカス監督ならあんな造形にはすまい。あとモブも含めてエイリアンにヒト型のものが多すぎる。本当に銀河を駆ける物語なのか?

超思考 北野武

 

超思考

超思考

 

 

天才・北野武が世の中をぶった切るエッセイ。

豪快に、大雑把に、斜め上から世の中を見下ろす視点は実にらしい。

 

一方で、北野武でさえもマザコンなんだと思わせる記載が多い。男はみんなマザコンだというけれど、北野武でさえもそうなのかもしれない。それは母の教育ともいえるし、トラウマであるともいえる。

 

また、「昔は良かった」的な話も多い。おっさん特有のこういったストーリーは、北野武もやはり惹かれるものがあるのだろうか。

 

個人の意志とはなんだろう。北野武でさえも、完全な自由っではないようだ。「人間」とは実に言い得て妙であるとこの一冊によって納得した。

万引き家族 是枝裕和

 

万引き家族 クリアファイル

万引き家族 クリアファイル

 

 「おれたち、フツーじゃねぇからな」(とうちゃん)

 

カンヌでパルム・ドールを受賞した日本映画。観ない訳にはいかないだろう、と普段邦画は観ないのに映画館へ足を運んだ。

 

血縁関係などまるでない、訳ありの5人は、せまいボロ屋で暮らしていた。稼ぎはとうちゃんの肉体労働と、かあちゃんのパート、それからばあちゃんの年金。それだけで当然生活はなりたたず、日常的に万引きでそれを補っていた。ある時、万引き帰りのとうちゃんと翔太(にいちゃん)は真冬に家から閉め出され、うずくまっている女の子を拾う。家族に虐待されていたその子は鈴(りん)と名付けられ、万引き一家の一員となる。

 

最初は利害関係だけで、無理やり共同生活をしていた5人(最初の食事シーンで皆好きかってに座り、ばらばらに食事をしていることから人間関係の希薄さがみえる)は、鈴ちゃんの登場で次第にまとまっていく。か弱いものを守ろうと、彼らは本当の家族のようになっていく。鈴ちゃんが来てから、5人は一緒のこたつ机を囲んで食事をするまでになった。

 

光へのこだわりがすごく感じられる映画である。鈴ちゃんを加えた6人の生活は、けしてまともなものではない。相変わらず万引きしまくってるし、金に汚く、荒っぽい生活が続く。それでもどこか家族の愛を感じさせる、暗くとも温かい光が6人の生活シーンには採用されている。

 

一方で、ばあちゃんの旦那の家(ばあちゃんは旦那に捨てられた、らしい)や終盤に重畳する警察の尋問シーンは不自然に明るかったり、暗かったりする。世の中で普通や正義とされているものが、むしろ人間性を欠いた存在のようにみえるのは、この光の演出によるところが大きいと思う。

 

本作は、日本社会の闇を集合させたような作品だ。貧困問題、家庭内暴力育児放棄、捨て子、変に熱狂的なメディア、外面を取り繕う体質・・・。これらをつなぎ合わせ、ひとつの設定として消化しているあたりはすごく面白く、そして残酷な試みだ。そしてこんなテーマに取り組む是枝監督には頭が下がる。この映画の制作は、そうとうメンタルにくると思う。

 

そして、この映画を観て思い出した。映画の大切な仕事の一つは「暗闇を照らす」ことである。華やかなドンパチだけが映画ではない。皆が眼を背けようとしていることを、あえてまっすぐ見つめ、それを皆に知らせることはともも大切だ。是枝監督はみつめた。ぼくなど、アイロンで根性焼きをされたらどういう傷跡がつくのか想像するだけでも嫌である。

 

ところで、ラストシーン。本来の両親のもとへ戻され(戻ったのではない、戻らされたのだ)、マンションの廊下で遊んでいた鈴ちゃんは何かを見つける。それをじっと見る。これは何を意味するのだろう。ぼくは一見しただけではよくわからなかった。おそらく、にいちゃんが妹を助けに来てくれたのだと思うが・・・。

 

さて、いろいろ書き殴ったがトータルとして、ぼくはすごくいい映画だと思った。と、同時にこの映画がパルム・ドールを受賞したことを素直には喜べない気持ちにもなった。この映画に見られる日本社会の闇は、国際社会からみてもやはり闇なのだろう。そして、この闇は確かに日本社会に存在している。しかし、日本人はあまりそのことを意識できていないのではないか。もちろんマレなことなのかもしれない。だが、アパートの隣の部屋に住んでいる人の名前も知らないような日本人が、果たして実情を把握してるのだろうか。日本の闇は着実に広がり続けているのではないだろうか。それがこの映画に「もしかしたらありえるのかも」というリアリティを与えているのではないか。ぼくは、この映画が称賛される現代の日本社会を怖いとさえ思った。この映画が、誇大妄想で馬鹿らしいと、そう言われる社会であればと思った。

 

 

追記(2018-06-24)

よく考えたら、この物語の基礎となる「貧困問題」は、資本主義の社会にはつきものである。金というものを価値観の主軸に据える限り、金稼ぎの能力に乏しい人間は出てくる。〇〇主義とは◯◯「◯◯を持つものが正義」という考え方である。どんな国もなんらかの「主義」を掲げざるを得ない。主義を掲げてはじめて国民を導けるし、国際社会での立ち位置を明確にできる。

 

資本主義、社会主義、民主主義・・・。いろんな主義があるが、完璧なものは存在しない。そんななものがあれば、すべての国家はその◯◯主義を採用しているはずだ。すべての国は、国際社会の声と、国民の声のバランスをとって自国に都合の良い主義を選択する。ただ、今は資本主義が多くの国の利害に一致するのだろう。

 

資本主義は、金を持たぬものを救えない。資本を持たぬのは本人の責任であり、資本を持たぬものは、悪である。金を持つものが正義だ。金を稼ぐ才覚のないものは、アクに堕ちるしか無い。

 

どうしてこの映画が生まれたのか?資本主義が抑えきれなくなっったのだ。資本的弱者を。あるいは資本主義の限界に、気づいた人間が多々いるのだ。

 

なんだがネトウヨっぽい文章になってきた。でも、そんなつもりはない。現状、資本主義と民主主義以上の主義はないだろう。日本は、一応その2つを採用している。

 

しかし、資本主義である以上貧困問題はつきまとう。どうにかできないものか?

よるのばけもの 住野よる

よるのばけもの

よるのばけもの

「……また、明日も来てくれ、る?」(矢野さつき)



主人公のあっきーは夜になると化け物になる。理由や機序はわからない。ただ、夜になると突然黒いつぶつぶで形成された、目が8つ、足が6つ、尻尾がたくさんある化け物になるのだ。大きさも自由自在。身体能力は人間を凌駕する。「夜」を適当に楽しむ生活を送っていたあっきーはある日宿題を学校に忘れ、化け物の姿で宿題を取りにいく。そこには、クラスのいじめられっこ矢野の姿があった。2人の奇妙な夜休みの日々が始まる。

設定が個人的にストライクだったので購入。帯に書かれた「夜になると、僕は化け物になる」でぼくのハートは鷲掴みである。

物語は主人公の視点で進む。変わり者に見えるためクラス中からいじめの対象とされている矢野。そのクラスの中のパワーバランスやいじめの構図が説得力のあるリアリティで描かれる。今思うと、学校のクラスってこんなにも閉鎖的な独特の空間だったのか。

丁寧なキャラクター描写で、次第に矢野がどうしていじめられているのか。不可解な矢野の行動の意味が見えてくる。教室の中の人間関係もはっきりしてくる。そして、このいじめがどうしようもないこともわかってくる。しかし、これは全て主人公の側から見えることに過ぎない。実は主人公自身もずれている、というのがこの物語のミソである。

個人的にはアニメとか映画向きの作品だと感じた。簡潔な文章ながら、読むと映像が思い浮かぶ。昼と夜を交互に展開する場面展開も映像向けに思われる。ただ、正直映画化されても観たいかといわれると微妙だ。ストーリーがシンプル過ぎてパンチ力がない。ただ、女子少学生ー中学生あたりに受けそうな気がする。