続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

ボヘミアン・ラプソディ ブライアン・シンガー

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

伝説のバンド・クイーンの伝説物語。虚実入り混じった物語は、バンドが史上最高のパフォーマンスを魅せたライブ・エイドへ向かって突き進む。

個人的にクイーンの音楽は好きだ。中学生ぐらいの時に何気なく聞いたボヘミアン・ラプソディに衝撃を受けたことを覚えている。「こんなに自由に音楽をつくっていいのか」という衝撃だった。当時、ぼくの周りに聴こえていたもっともらしいことを嘯く音楽とは全く違うものだった。

クイーンといえば個性的にして最高のボーカル、フレディ・マーキュリー抜きには語れない。この映画も基本的にはフレディの人生を中心に、クイーンの歴史を描く。その強すぎる個性と才能ゆえに仲間と衝突し、孤独に陥るフレディ。破滅的な生き方の中で、それでも彼を支えたのはほんとうの愛情だったのだろう。

映画はラストのライブ・エイドのステージに向かって進む。むしろこのステージから逆算されて物語が作られている。巧妙に虚実を織り交ぜた結果、ラストの盛り上がりは最高潮に達する。よく出来た脚本である。

予告映像時点ではフレディ役がそっくり驚いた。しかし映画を見ると他のメンバーもそっくりで驚く。ブライアン・メイなんて本人かと思ってしまった。ライブ・エイドのステージはほぼ完全コピーで驚くしかない。もうこの人達が新生クイーンを結成してもいいんじゃないかと思うほどであった。

オタクの迷い道 岡田斗司夫

 

オタクの迷い道 (文春文庫)

オタクの迷い道 (文春文庫)

 

 「ネットというものは差異がどんどんなくなる社会で、だからこそ差異こそが最も価値を生み出すんですよ」(著者)

 

OTAKU文化って、ここ10年ぐらいで広く認知されて、今では1つの趣味趣向として確立されたものだと思っていた。しかし、どうも違うらしい。この本には2000年前後のオタクの動向が記録されている。オタクはもっと根深く、そして「濃い」存在であることがおの一冊から十分すぎるほどに伝わってくる。

 

近年の「オタク」はどうやらファッションオタクとでもいうべきもののようだ。「OTAKU」とは「調べ尽くしたい。語り尽くしたい」というある種病的なまでの心の病(笑)である。アニメが好き、とか二次元に行きたい、みたいな薄っぺらい感情ではないのだ。

 

とはいえ、社会情勢は大きく変化し、オタク事情もかわっていく。これはある意味文化人類学的現象なのかもしれない。オタキング岡田斗司夫はその中心を駆け巡り、記録を残す存在である。50年後、100年後、1000年後には、この本が日本文化人類学の引用文献となるのかもしれない。それまで人類が存続し続ければの話だが。

ヴェノム ルーベン・フライシャー

映画チラシ ヴェノム トム・ハーディ

映画チラシ ヴェノム トム・ハーディ

「we are VENOM!」

スパイダーマンの宿敵、スパーヴィラン、VENOMがついに映画化。

サム・ライミスパイダーマンが大ヒットし、ヴェノムの登場が期待されたのはもうずいぶん昔の話だろうか。結局3作目に登場したヴェノムは「こんなのヴェノムじゃねぇよ」とつっこみたくなるガリガリ野郎だった。挙句、中ボスポジションであっさりやられ、メインヴィランの座はマッドマンに奪われる始末。そして進行中だったスピンオフ映画はいつのまにか忘れ去られるのであった。

そんなVENOMがついに陽の目を見る。デップーが大ヒットした時に、「これはヴェノムが来るぞ」と思っていたが、思いの外早く世の中には現れた。ありがとう、ソニー

本作のヴェノムはとりあえず宿敵スパイダーマンとは無関係ということになっている。宿主であるエディはデイリービーグル社をやめ、スパイダーマンに会うことなくニューヨークの街を離れた。新たにサンフランシスコの街で記者として活動するエディだが、持ち前の正義感と権力に立て付く衝動を抑えられず仕事をクビになってしまう。彼女にもフラれまさにどん底。さらには事件に巻き込まれ、とうとうエディはシンビオート(ヴェノムを含む寄生生物の名前)に寄生される。自分の中に巣食う化け物に戸惑うエディ。果たして、エディとヴェノムはどうなってしまうのか。

劇中のアクションシーンは実に楽しい。筋骨隆々、驚異的な動きで敵をなぎ倒すヴェノム。獣のように獰猛で、一方で一瞬の隙も無い冷静な動作。これをぼくらは待っていた。

また、宿主エディを気遣うヴェノムの言動も面白い。「扉を開けるな」という類の注意から、「今彼女に謝らないとチャンスがなくなっちゃうぞ」という恋愛関係のアドバイスまで。ヴェノムさんマジ優しい。なんて気遣いのできる寄生生命体なんだ。

ラストシーンは鋼の錬金術士オマージュだろうか。めっちゃグリードっぽい。グリードの元ネタ自体がヴェノムみたいなところもあるので、不思議な感じだが、もしそうならいいなと思う。

原作のヴェノムとは結構設定が変わっているので、気に入らない人もいるかもしれないが、個人的には十分楽しめた。75点ぐらいだろうか。シリーズ化はどうかと思うが、スパイダーマンが登場できれば熱いかもしれない。

陰陽師 酔月ノ巻 夢枕獏

 

陰陽師 酔月ノ巻 (文春文庫)

陰陽師 酔月ノ巻 (文春文庫)

 

 「この天地すらも、往くものじゃ」(天帝)

 

陰陽師シリーズ第・・・何作目だ。もうわからなくなってきた。もはや夢枕獏のライフワークとも言えるシリーズ。あとがきをみるともう25年も続いている。いや、この先のシリーズもあるから、すでに30年は経っているのだろうか。

 

ライフワークとなっていることもあり、作者の人生のあれこれが如実に反映される作品である。本作のあとがきには、作者は自分が「秋」にあると述べている。若い始まりの春にはじまり、血気盛んな夏を過ぎ、落ち着きと豊穣の秋に書かれた陰陽師。平安の夜の闇を、より詩的に描いていく。

 

本作には李白漢詩がよく出てくるのが特徴的であった。平安の暗い闇を思いながら読む漢詩はまた趣があって良い。心地よい読後感が残る。

カエルの楽園 百田尚樹

カエルの楽園

カエルの楽園

「大丈夫よ。ひどいことにはならないわ。だってナパージュには三戒があるんですもの」(ローラ)

百田尚樹が寓話で描く日本の安全保障問題。ちょっと露骨すぎる感じはするけれど、著者はこれぐらいにしないと今の日本人には響かないと考えているのだろう。

思えば「国が滅びるかもしれない」という危機感は、僕たち日本人には乏しい。海に阻まれ他国が攻め込みにくいこともあり、内側に意識が向かいがちなのだろう。あまり国と国と関係や、国際社会における自国の位置付けに意識が向かわない国民性なのだ。

人間は理性の皮を被っているが、その中身は獣である。手に入るものは欲しくなってしまうものだ。もし、他の国が日本を手に入れられる状況になれば、日本は奪われてしまうだろう。国や文化や歴史は、守らなければ失われてしまうものなのだ。

陰陽師 夜光杯ノ巻  夢枕 獏

 

陰陽師―夜光杯ノ巻 (文春文庫)

陰陽師―夜光杯ノ巻 (文春文庫)

 

 「おまえの笛を聴かせてくれぬか」(安倍晴明

 

安倍晴明が平安の闇をほとりほとりと歩む。その静かな暗闇は恐ろしくもあり、おもしろくもある。

 

シリーズの空気をしっかり保った安定感のある一冊。平安の夜の闇を感じたい人はどうぞ。

日日是好日 大森立嗣

「まずは形をつくるの。そこに心が入るのよ」(武田先生)

1997年。大学生のノリコは、ひょんなことから近所の武田のおばちゃんのもとへお茶を習いに行くことになる。武田のおばちゃん改め武田先生のもとへ毎週土曜日はお稽古に。最初はいやいやながらの習い事だったが、次第にノリコの生活からお茶は切り離せないもになっていくのであった。


あんまり邦画はみないのだが、映画館で予告をみて「これは観とこう」となった作品。禅宗に由来するタイトルもいいし、お茶にもへうげものの影響で少し興味がある。なにより樹木希林演じる武田先生が良さそうだったのだ。

これは「現代の茶道」の映画である。平成の世の中に茶道を学んで何の得があるのか。なんの意味があるのか。その答えのいくつかがこの映画の中にあると思う。

1つは静けさを得ることだろう。週に一度のお稽古は茶道の型を学ぶ時間であり、決まった所作を繰り返し研磨する時間である。日々雑然と生きる平成の人間にはこのような安定感のある時間は滅多にないだろう。貴重な時間である。もちろん稽古中であるから、自分の所作に集中する。この静けさこそが重要である。

感じ入るためには、己を安定した状態に置かねばならない。自分がフラフラしていては、見えるものも見えない。劇中、ノリコはお湯と水の発する音の違いを感じ、雨音の違いを感じていた。心穏やかに静けさを会得したからこそであろう。

作中では時代が大きく変化していく。2000年前後はいろんなことが変わった時代だった。携帯電話、パソコン、インターネットの普及など、世の中を大きく変えるものが続いた。時代に振り回されず、自分の目線を保つため、茶道は大きな役割があるといえる。

これに呼応するように、ノリコを含む大くの登場人物は時間とともに変わっていく。しかし、武田先生は変わらない。ずっとおばあちゃんである。武田先生の不変がノリコを際立たせるのである。とかく時代の流れが早くなり、それに合わせた変化が賞賛される世の中、見直すことがあるのではないだろうか。