続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

傷物語 <III冷血篇>

 

傷物語 〈III冷血篇〉 [DVD]

傷物語 〈III冷血篇〉 [DVD]

 

 

化物語シリーズでも個人的には一番好きな傷物語。まあシリーズを全部読んだ訳ではないのだけれど、原作を読んでよくできた物語だと思ったものだ。

 

で、こちらはそのアニメ映画。3部作の最終話。

 

映像になるとまた一段と各シーンが印象的だ。アニメの雰囲気も独特だし、かなり凝った画で、しかもよく動く。台詞回しは原作通りで言葉遊びが面白く、また切れ味がいい。

 

怪異を扱う物語ということで、グロテスクなシーンも多い。ゾワっとするような気持ち悪さが映像に出ていて、この辺りは原作の小説で、文字だけでは難しいかもしれない。

 

いい意味で原作にさらにパワーを与えた映画だと思う。改めて、よく出来た物語だなぁと思った。

銃・病原菌・鉄(下) ジャレド・ダイアモンド

 

 

ずいぶん間が空いたけど下巻を読んだ。本題に入り「どうして欧州の人々が世界の覇権を取ったのか?」という疑問に対する著者の答えが示されていく。

 

蓋を開ければ答えはシンプル。「たまたまいい環境にいた人類が最も文明を発達させたから」ということであった。ただ、著者も説明しているがこれは「環境が全てで個人の能力など関係ない」ということではない。個々が生きる努力を積み重ねる中で、巨視的な視点で見ると良い環境に生きる大きな群れの中にはイノベーションが起きる可能性が相対的に高い。そのイノベーションの積み重ねが文明の進歩の違いになる、ということだ。

 

いずれ文明は衝突する。その時により進歩した文明を持つ方が有利なのだ。欧州の人々はいい環境で、最も進歩した文明を獲得した。故に世界の覇権をとったのだ。

 

とにかく驚かされるのは著者の知識の幅広さ。本当に世界中の歴史を縦横無尽に考察する。

 

本書の中では様々な文明の発展の流れが紹介されるが、多くの文明の発達の基盤として共通するのは食糧供給の安定化だ。狩猟生活を送っていた古代人は、条件が整うと農耕を始め、これにより食糧供給が安定する。食糧に余裕が生まれれば、みんなで狩りに行かなくてもよくなる。生きることに余裕が生まれたことで文字や道具が進歩し、知識階級が現れれば政治が始まり、徐々に規模の大きな集団が形成されていく。最終的には国に行き着く(もっと先もあるのかもしれない)。

 

だから、この本によれば国の基盤は食糧だ。食糧を自給することが国の土台だ。その余裕の中で文明が進歩していく。日本は食糧自給率が40%を切っている。もちろん、古代と現代は全く状況が違う。ただ、人は食わねば生きていけないというのは変わらない。僕らは足元を見直してみるべきなのかもしれない。

 

〜追記〜

 

この本で一番大きなメッセージは「人間の力が現代の社会勢力の違いを作ったんじゃないんだよ。ただ、いい環境にいた奴らが有利な位置に立っただけなんだ」という点だろう。これはあくまでも巨視的な視点での話だが、個人レベルに落とし込んでもある程度は当てはめられるかもしれない。

 

金持ちの子と貧乏人の子なら、金持ちの子がいい生活(幸せと表現する場合もあるだろう)をする可能性は高い。仲間に恵まれた人とそうでない人は前者の方が生き残りやすい。

 

人間の置かれた環境は実に多様だ。まずもって全く同じことはない。人間の能力も多種多様だが、その振れ幅は環境ほどではない。ただ、それでも人間はそれぞれに努力するしかないし、努力する必要がある。「世界」はきっと少しずつ広がっていく。でも、生き残るのは強いものだ。ただ、弱いものも生き残れるといいなと思う。

 

ホーホケキョ となりの山田くん 高畑勲

 

 

ジブリ映画の中ではぶっちぎりでマイナーな作品ではないだろうか。その一方でめっちゃチャレンジングな作品でもある。なんせ原作は新聞連載の4コマ漫画。一体誰が、その原作で長編映画を作ろうなんて言い出したのか。いや、長編にしてしまったのは高畑勲監督なのか。

 

1999年公開の作品だが、改めて見ると面白い。

 

まず、アニメ。日本の漫画がそのまま動いている。鉛筆で手書きしたような、背景もキャラクターもちゃんと描ききらない。デフォルメや省略が日本の漫画の特徴なんだろう。それこそ鳥獣戯画の時からそうなんだろう。

 

スパイダーマン:スパイダーバース”を観たときに「アメコミがそのまま動いてる!ハリウッドのアニメすげえ!」と思ったが、今思えば20年も前に高畑勲は日本の漫画をそのまま動かしていたのだ。そして、それはそのままかぐや姫に繋がっていくのだろう。いや、本当にすごいのは高畑監督のイメージを現実のものにしたアニメーターの人々なのだろうか。

 

ストーリーはほとんど無い。そもそもが4コマ漫画なんだから当然かもしれないが、むしろ「ストーリーなんかなくてもいいやん。そのまま映画にしよう」という判断がぶっ飛んでいる。誰だって映画を作る以上、ストーリーとか物語の意味づけを考えてしまうのでは無いだろうか。

 

なので、短編を大量にくっつけたような、テンポの良い映画となっている。そこに描かれるのは昭和〜平成(前半)の日本のごくごくありふれた家庭だ。キャラクターは個性的で、それでいてどこにでもいるような山田一家だ。おっさん・おばちゃんは「ああ、そんなことあるある」という気持ちで見てしまう。一方、今の子供にはもう伝わらないかもしれない。気がつけば時代が変わっているということなのだろう。

 

ラストシーン。ののちゃんにせがまれてか、山田一家は家族でプリクラをとる。腹も減ったし飯を食いにいくかと歩き出すお父さん。残る4人はプリクラを見ながらわいわいしつつ、お父さんのあとをついていく。ポチも気が付いてあとを追って走り出す。ポチはそのままみんなを追い抜いて駆け抜けていく。犬って走ってると楽しくなっちゃう時あるよね、というのがこっそり入っていて、犬派の僕としては大変嬉しかった。いやしかし芸が細かい笑

もう内向型は組織で働かなくていい

内向型の人間へのアドバイス本。

自己診断本とでもいうか、自分のことを改めて見直すのによいかもしれない。

自分の性格と仕事に折り合いがついてない人は読んでみるといいかも。

恥知らずのパープルヘイズ 上遠野浩平

 

 

一昔前にジャンプが押しまくったジョジョのノベライズシリーズの1つ。

 

ジョジョ5部の少し後のこと。ブチャラティの元を離れたフーゴの所へ、今や組織の幹部となったミスタが現れる。それは組織のボスとなったジョルノからの指令であった。かつての仲間からの信頼を取り戻すため、フーゴは与えられたチームとともに、指令”麻薬チーム潰し”に動き出す。

 

作者がジョジョが好きなんだな、ということが伝わる一冊。細かいセリフとか、設定とかのこだわりにそれが垣間見える。

 

とにかく設定は面白い。個人的には「群体型スタンドの持ち主は心の一部に欠落がある」という設定が良かった。なるほど、という感じ。重ちーとかリゾットも確かにそんな感じだもんなあ。

 

しかし、設定はよくできているけど、物語の走り方にいまひとつ乗れず。作者の愛に圧倒されて物語に落ち着いて取り組めなかったというのも一つの要因かもしれない。

 

 

雑誌のススメ

天は人の上に人を作らず。しかし、実際には人の力には違いがある。それはなぜか。福沢諭吉は学ぶと学ばざるの違いであると説いた。

 

と、大げさなことをいうわけではないが、最近、いろんな雑誌を読んでいる。主にビジネス誌だ。週末に本屋に行って、適当に気になった雑誌を買う。それを一週間かけてのんびり読んでいる。個人的にはとてもいい。世の中を広く浅く知る上で、雑誌はとてもいいのではないだろうか。

 

正直、今まで雑誌は無視してきた。情報の真偽がとても曖昧だし、雑誌ごとに思いっきり色眼鏡の記事が多い。公平性に欠ける上に曖昧な情報である。文字にするといかにも胡散臭い。しかし、改めて思えばこれほど実社会に促した情報の形態もないのではないだろうか。早い話、世の中には胡散臭い話しかないのである。

 

この胡散臭い世の中で、必要なことは多角的な目線である。同じ物事でも様々な視点を持つことで、その実存をより正確に捉えることができる。特に雑誌は、出来事や事実に対する誰かの解釈を記事として掲載しているので、多様な雑誌を読むことで様々な視点を持つことができる。

 

「おいおい。情弱かよ。インターネットを知らないのか?」といわれる方もいるだろう。だが、ぼくは(日本の)インターネットは匿名性が強すぎると思う。情報は発信源を合わせて考えなくては意味がない。大企業の社長が「景気はいい」と発言するのと、駄菓子屋のばあちゃんが「景気ええよ」と言うのでは全然意味が違うのだ。「Yahoo!News」にだって記者の名前が書いてあるが、正直誰なのかわからない。顔写真もなければ略歴も書かれていない。「お前誰やねん」と言う程度の情報しか後悔してないやつは匿名と同じである。

 

新聞と比べても雑誌は良い。新聞に求められるのは「即時性」である。スピードが命というわけだ。だから、情報の真偽とか、その解釈は二の次である。賢い人はそれでいいのだが、ぼくみたいな馬鹿には、誰かの解釈が必要だ。自分だけでは深い解釈を得られないのだ。多角的な解釈も難しい。それに、そこまでスピード感のある情報の収集を求められる立場にもない。ぼくレベルであれば雑誌の速度で十分だ。

 

というわけで、ぼくみたいな二流・三流の人間は雑誌を読もう。あと中高生も雑誌を読むといい。特に中高生は狭い世界に縛られがちだ。でも雑誌の力を借りれば脱出できる。

 

景気の悪い世の中だけど、雑誌社には頑張ってほしい。たぶん、きっと、日本の再生の一端を担っているのはあなたたちなのだ。

 

 

 

 

彼女はひとりで歩くのか 森博嗣

 

 

少し未来の日本。独立歩行者(ウォーカロン:Walk alone)が普及した時代。クリーンな細胞でから作られた人間に限りなく近い人工生命体であるウォーカロンは世界的な人口減少に対して一つの切り札であったのだ。一方、人工的に作られるクリーンな細胞は人間から寿命という概念を消し去った。身体のパーツを人工のクリーンな組織・臓器に交換しながら、理論上ヒトは死ぬことがなくなった。その一方、なぜかヒトの生殖能力は失われていった。主人公・ハギリは研究者。なぜか何者かに命を狙われることになった彼は、少しずつ世界の謎に迫っていく。

 

森博嗣版「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」といったところ。いや、僕は「アンドロイドは〜」をちゃんと読んだことはないんだけれど。映画「ブレードランナー」は観たので(そして名作だと思っているので)そっちのイメージが強い。

 

人工的に作られた何かが、人間と区別するのが困難になる時代。つまり、人間が人間(に限りなく近いもの)を作る時代はいつかきっと来るのだろう。人間は進歩することを止められないからだ。そして、その時代が1つのエポックになるのだろう。人間にとって大きな変化がもたらされる時である。それでも人間は生きていなかなくてはならない。一体何が起こるのか。SF好きならどうしても無視できないテーマだろう。

 

このテーマと切り離せないのが「人間とは何か」である。しかし、その疑問に取り組みつつ、この本ではその時代や社会情勢が断片的に掘り下げられるのが面白い。どんな思想があって、どんな集団がいて、その背景には何があるのか。あるいは些細な日常にも僕らの時代の現実から進歩した(あるいはただ変化した)ものがあるのか。

 

きっと30年後ぐらいには映画化されていると思う。多分ハリウッドで。下手に日本人監督が手をつけなければ、だが。きっといい映画になると思う。僕はそう願っている。