続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

市民ケーン

 

 

 

 「バラのつぼみ。」謎の言葉を残し大富豪ケーンは死んだ。その言葉の意味はなんなのか。とある新聞社ではその意味をめぐり社を挙げての取材が行われる。そして、客観的に、多面的な視点から、ケーンという一アメリカ市民の姿が解き明かされていく。

 

 こんな映画他にはないし、今では作れないと思わされる一作。エンターテイメントであること以上に、人間の切る姿を裏の裏まで描いている。強さも弱さも、エゴも、優しさも、全部ひっくるめて人間なのだ。この映画は人間を描いているし、人間を描いしてしかいない。

 

 今のはハリウッドにこの映画は作れない。だからこそ、見る価値があるのではないだろうか。

この世界の片隅に

 

この世界の片隅に

この世界の片隅に

 

 

最近の日本映画では考えられないロングランを達成した一昨。今日でちょうど1000日だそうだ。ざっと2年半。とんでもないことである。

 

映画は、常に時代(社会)の鏡である。特にヒット作は、その時代をはっきりと写し出す。この映画のヒットはどんな時代を反映しているのだろうか。もちろん映画の出来は良いし、クラウドファンディングに支えられて制作されたという点も注目を集めるところだと思う。でもそれだけでここまでのヒットにはならないだろう。

 

ヒットの理由の一つはリアリティであると思う。まるですずさんが本当に実在していたと錯覚するような感覚がこの映画を観た後にはある。当然、全てフィクションなのだが、それだけ地に足つけた映画作りがされているのだろう。

 

多分スターウォーズに始まるSFブーム以来、映画はフィクションの世界を作ることに傾倒してきた。映画を見るとき人々は現実ではない何処かへ連れて行ってもらえることを期待していた。それは現実の苦しさからの逃避であったのかもしれない。

 

時間とともに世の中はずいぶん変わってきた。なんだかんだ言って日本の社会も豊かになった。現実を生きる苦しさが無くなった訳ではないが、多少はマシになった。そしてそろそろみんな現実からの逃避に飽きてきたのかもしれない。

 

「現実にあった(かもしれない)こと」に世の中の興味が移ってきたのかもしれない。夢のような世界や抜群にかっこいいヒーローよりも、ごく普通の人の暮らしを観たい。現実世界での出来事を知りたい、ということだろうか。

歌丸ばなし 桂歌丸

 

歌丸ばなし

歌丸ばなし

 

 

落語界の巨匠桂歌丸師匠の噺を納めた一冊。歌丸師匠の言葉をそっくりそのまま文字に起こしてあるので、落語を聞いているような気分で読むことができる。もっとも身振り手振りや客の反応はわからないので、ちょっと物足りない感じはあるが。

 

収録されているものはメジャーな噺で落語初心者にもおすすめしやすい。コンパクトな噺に仕上げてあるのでちょっとした時間で読める。落語の雰囲気を味わってみたい人にオススメの一冊。

ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲

 

 

良質なコメディ。コメディとはこうあるべきだ。それはかつて、王様の前で道化師だけが無礼を許されたことに似ている。

 

こんな映画を作れるのがイギリスの強さだ。自分たちが作り上げたものを、その一方で笑い飛ばす。多様性を認める懐の広さと市民の強さが共存している。

 

コメディの力を感じる映画だった。日本のコメディにもこんな力があると良いのだが。

この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義 池上彰

 

 

池上彰教授が東工大で行なった全15回の講義をまとめた一冊。

 

流石のわかりやすさで、現代社会の成り立ちや問題点、そしてそんな今の世の中でどう生きるのか。様々な視点を与えてくれる一冊。こんな授業を学生時代に受けていたら、僕の人生もまた違っていたのかもしれないな、と思う。

 

生きていくためには現実をクリアに理解していくことが大切だ。日々のニュースはも大事だが、それらは断片で、全容を把握するのは難しい。

 

この本自体はすでに少し古くなってしまったが、しかし、世界はこの延長線上にあるのだ。現代を理解する上でも十分役に立つ。

 

邪魅の雫 京極夏彦

 

文庫版 邪魅の雫 (講談社文庫)

文庫版 邪魅の雫 (講談社文庫)

 

 

京極堂シリーズ代9弾。相変わらず熱い…いや、分厚い一冊にファンは安心するだろう。文庫本で1300ページである。講談社はもしかして重さで原稿料を支払っているんじゃなかろうか。いや、ページ毎でも同じだけど。文字数ではない気がする。いや、そんなことはどうでもいい。

 

本作のトリックはミステリとしてはありきたりである。誤認というかいわゆる「信頼できない語り部」である。それはミステリ慣れした人であればどこかで気づくものだろう。僕も大体半分ぐらいのところでなんとなく筋書きは読めた。いや、精々70パーセントぐらいなのだが。

 

というわけでトリックが読めてもなお、その先があるのが京極夏彦のすごいところだ。つまるところ、誤認であり、間違いであり、勘違いが事件を複雑化させている。そして物語が誰かの口から語られる以上、すべての物語は語り部の主観を逃れられないのだ。

 

この作品のすごいところは、このありきたりなトリックを何重にも仕掛けて見せたところであろう。Aの勘違いと、Bの勘違いと、Cの勘違いはそれぞれ違うのだ。でも結局それが噛み合って、物語を作る大きな勘違いの連鎖を形成している。そして、作者はコレを実にうまいことそれぞれの視点で描くのだ。その断片から、読者は違和感を覚えても、それをうまく言語化できない。「絶妙な誤差」がそこにある。

 

この辺りは作者の得意とする、あるいは関心の強いところなのであろう。処女作である姑獲鳥の夏からしてその要素は顕著であった。もちろん、ここまで複雑ではなかったが。そしてこれまでの作品全知を通して著者のテーマと思われるものが「個人の認知」である。人はそれぞれ身の回りの情報を取得し、噛み砕き、認識している。それは共通しているようで実に個人的な事象なのだ。だから、人が集まればそこには当然のように認知のずれが生じるし、埋まらぬギャップは超常の現象として認識される。そのギャップの刹那的な解決策の1つが怪異であり妖怪なのである。本作は「個人の認知」というテーマをぐっと押し広げた著者の実験的作品と言えるだろう。

ウケる日記 水野敬也

 

ウケる日記

ウケる日記

 

 

「夢をかなえるゾウ」の著者でお馴染み水野敬也さんのブログが書籍化されたもの。なんかKindleのPrime readingで0円だったので読んでみた。

 

飄々とした文章で肩の力を抜いて気楽に読める。でも時々面白い着眼点とか思考が垣間見えて楽しい。というわけで気楽に読めば良い。というか本を買わなくてもブログを読めば良いと思う。なんとなく、インターネット黎明期のテキストサイトってこんなノリだったような気がして懐かしい気がした。