続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

超高速!参勤交代リターンズ

 

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和製SF。その一言に尽きるだろう。

 

日本映画が目指すべき路線の一つかもしれない。映画は「その国の映画」になってしまう。ハリウッドだけが例外だ。そのような状況の中で、これは日本らしい映画だと思う。世界には通用しないだろうけど。でも、そんな映画が必要なのだ。それは文化の象徴なのだから。

 

惜しむらくは3匹目のどじょうを狙う気配が有ったところか。まぁスポンサーの意向なんだろうけど。映画は一作一作が勝負である。自作のことを考えた時点で、映画はダメになる(例外はありますよ。もちろん「)。でも、この映画には、自作は必要ない。

スパイダーマン:ホームカミング(Spider-Man: Homecoming)

 

 マーベル・シネマティック・ユニバースについに(諸々の事情を解決して)スパイダーマンが参戦!前作「シビル・ウォー」で顔見せを済まし、今度は主役で堂々の登場。どんだけ映画化されるんだスパイダーマン

 

冴えない高校生ピーター・パーカーにはもう一つの名前があった。クモの力を持つ超人「スパイダーマン」である。アイアンマンにその可能性を見出されたピーターは、アベンジャーズに加入すべく、自分の実力を示すべく、親愛なる隣人としてニューヨークの街を飛び回っていた。ある日偶然怪しい武器商人、そして翼を持つ怪人「バルチャー」に遭遇したピーターは、犯人を捕まえるべく立ち上がる。しかし、そこは高校生。空回りしながらもピーターは事件解決に奔走する。

 

スパイダーマンは良い。サム・ライミ監督の初代スパイダーマンからずっといい。ええ、初代はもう16年も前の作品なの?びっくりした。

 

「ひとりの人間」と「スーパーヒーロー」。その矛盾というか、不思議を描くのがマーベル作品の良さだと思う。スパイダーマンの「ドジで多感な高校生」という一面は、どうも幅広く人々の心に沁み込むらしい。陽気で明るく軽口をたたき続けるスパイダーマンのキャラも高校生っっぽくて良い。

 

本作のスパイダーマンは、アイアンマンのバックアップで特殊機能を満載したスーツを装備している。またクモ糸は個人の能力ではなく機械で放つ。とんでもない身体能力と、壁や天井を伝って歩く以外は、これいった能力が無いことになっている。アイアンマンと同じく、中身は人間だけど、スーツの力で強化される風のキャラに仕上がっている。特殊能力満載の超人が、姿を隠すべくスーツを来ていた過去のシリーズとは大きく異なる、

 

これはキャラ付けを大ヒットしたアイアンマンに寄せているように思われる。アインマンも心も体も普通の人間であるトニー・スタークがスーツの力でヒーローとしての力を得た姿である。力の使い方が肝心だ。トニーはさんざん失敗しながらも、アイアンマン3のラストで「スーツは要らない。私自身がアイアンマンなのだから」と心の弱さを(一応)克服した。本作のピーターもトニーの言葉に導かれ、同じ様にヒーローの心に目覚める。この先の活躍が実に楽しみだ。

 

その他、スパイダーマン要素をあえて薄くしたのも本作の特徴ではないだろうか。ベンおじさんは出てこない(すでに故人っぽい)ので、あの名言は出てこない。代わりを務めるのがアイアンマンことトニー・スタークともいえる。正体を隠し、恋人にしか正体を明かさなかったスパイダーマンだが、本作では身バレしまくる。頭は良くともドジっこなピーターのキャラ付けのせいでもあるが、これからどうなってしまうのだろうか。トニーみたいに顔出ししていくのか?そういえばJJJも出てこない。

 

とかく新しいスパイダーマンの物語は動き出した。今後が楽しみで仕方がない。

レディ・プレイヤー・1(Ready player one)

 

メイキング・オブ・レディ・プレイヤー1

メイキング・オブ・レディ・プレイヤー1

 

 スピルバーグ監督が手がけるSF・サブカル・お祭り映画。

 

時は2040年頃。現実世界は究極のバーチャルリアリティゲーム「オアシス」の取って代わられてた。そこではほとんどすべての夢がかなう。食事とトイレと睡眠以外はなんでもできる。誰にでもなれるし、どんな無茶もできる。気がつけば辛い現実に愛想を尽かし、人々はオアシスの虜となっていた。

そんな中、オアシスの開発者ハリデーが亡くなる。最後のメッセージで、彼はオアシスの中にイースターエッグ(隠しアイテム)を残し、これを3つ揃えたものに莫大な遺産と、オアシスの管理権限を与えると伝えるのであった。かくして、現実世界をも巻き込んだ一大ゲームイベントが幕を開けるのでった・・・。

 

「ゲームの世界」という設定を最大限利用して、スピルバーグ監督がやりたい放題の映像を作る!

 

様々な作品から、アバターやゲームギミックとしてキャラクター達が登場する。冒頭からT-Rexキングコングが大暴れし、その中をバック・トゥ・ザ・フューチャーデロリアンに乗った主人公が駆け抜ける。街中にはどこかであったキャラクターがそこかしこにあらわれる。バトルシーンでもこれらのキャラが盛大に活躍する。まさかハリウッド映画でガンダムvsメカゴジラが見れるとは思わなかった。

 

映像面では絶妙なCGの使い方がおもしろい。「ゲームの世界」の雰囲気をだすため、わざとちょっと画質を落とした感じの、以下にも「ゲーム」というクオリティでキャラクター達は造形されている。実にうまいというか、CG技術はとうとうそんなレベルに達したのかと驚いた。

 

30-40代ぐらいのおっさん。特に、ファミコンを夢中で遊び、金曜ロードショウを毎週楽しみにしていたようなかつてのギーグっ子はぜひ観て欲しい。この楽しさはぼくらに突き刺さるのだ。

 

追記(2018-04-21)

イースター・エッグを一つのキーワードとする作品なので、マニアックなイースター・エッグが隠されていそう。スピルバーグ監督だし。むしろパッとわかるようなものはそれを隠すフェイクなんだろう。何が隠れているんだろうか。すごく気になる。

 

追記2(2018-04-21)

よく考えたらこの映画はめちゃくちゃロックである。

作中世界では現実(リアル)はバーチャルである「オアシス」に負けていた。バーチャルがリアルを支配する世界であった。しかし、物語終盤、ある人物が語る。「現実こそがたった一つのリアルなんだ。現実は辛く苦しいことばかりじゃない。現実でしかうまいメシは食えないんだ」と。現実に生きる大衆にも、空想に生きるギーグにもケンカを売った。

 

「どっちか」ではない「どっちも」人生には必要だし、無視できないのだ。スピルバーグ監督の意図はその辺ではなかろうか。「彼岸と此岸」は全ての創作の根っこにあるテーマである。この作品はそのテーマをえげつないまでに掘り返したといるのではないだろうか。

血と肉

 

血と骨

血と骨

 

 「なんなんすか?あのおっさん?」(ヤクザの下っ端)

「化物だよ」(ヤクザのアニキ)

 

大正時代。朝鮮から日本へ渡ってきた男・金俊平(キム・シュンペイ)。ギラついた目をし、暴力にものをいわせ自分勝手に生きる男は、ヤクザにも恐れられる存在として大阪の下町に君臨する。かまぼこ製造業で成功し、金貸しとしてさらに頭角を表す金。しかし、老齢を迎えその人生は転落していく。化物の成功と破滅を描く。

 

猜疑心溢れる主人公・金の存在は痺れるような緊張感作品に生み出している。えげつないシーンが続くが、一方、そこには何が何でも生き抜いてやろうという金の執念を感じる。「生きること」とは元来この執念なのかもしれない。文明が発達し、人間はその執念を失っている。いや、見えにくくなっているだけか?化物と呼ばれた金も、人間にはちがいないのだから。

新訂 方丈記 鴨長明 市古貞次 校注

方丈記 (岩波文庫)

方丈記 (岩波文庫)

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

日本人の大半は、上の最初の一文を読めばこの本を思い出すことができるのではないだろうか。

内容は至って単純だ。すなわち、諸行無常である。人々はそこに絶望を覚え、希望を感じる。希望と絶望の源は同じであると気づかされる。
時代は変わっても人の営みは変わらない。いつの世も変わることの喜びと苦しみがあるのだ。

オーシャンズ11

これぞエンターテイメント。完成度の高さに唸らせられる。

弱者が強者に立ち向かうストーリーは燃える。仲間を集めていくシーンは印象的だ。そして、こいつらが一体どんな手を繰り出すのか。ワクワクしながら見守らざるを得ない。

これは黒澤明の7人の侍にも通じるし、南総里見八犬伝なんかにも通じる黄金パターンだ。このパターンで面白くないはずがない。しかも、ハリウッドの大物が集結している。こんな映画に挑んだ監督の心意気に乾杯!

ナイン・ストーリーズ サリンジャー

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

どうもサリンジャーは僕に合わないらしい。選りすぐりの短編が含まれるこの本は、ぼくをぐっすり眠らさせるだけだ。たぶん、サリンジャーのテーマと思しき「青春」とでも言うものをぼくが苦手だからだろう。「ライ麦畑でつかまえて」もただただ退屈だった覚えがある。

というわけで、お好きな人はどうぞ。