エクス・マキナ
- 発売日: 2016/11/04
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外界から隔離された研究所。主人公ケイレブはその所長ネイサンに呼ばれそこで仕事をすることになる。他言無用の契約を交わし、彼に与えられた仕事は、完全な人工知能の完全性を評価するという前人未到の仕事であった。まるで人間にような人工知能。怪しい雰囲気のネイサン。そして検証開始からほどなくして人工知能はケイレブに告げるのであった。「ネイサンを信じてはいけない…」と。
実に怪しい雰囲気がうまく出ているミステリ作品。果たして何を信じればいいのか。不安なグラグラする感じがよく出ている。音楽もよく、作品全体に漂う緊張感は一級品だ。
観客はケイレブに立場で、ネイサンと人工知能のどちらを信じるべきかをグラグラと考えることになる。この構図は見事。天才ネイサンは我々凡人には理解しがたい。怪しげな行動もおおい。いつも酒を煽っているし、やたらと秘密主義だったり。怪しいぐらいに怪しい。一方、人工知能も怪しい。人間らしい思考を見せるかと思いきや、人間と噛み合わない会話もする。表面上はいかにもピュアな、世間知らずな知性を感じさせるが果たして本当に思考しているのか。どこまで信じていいのかわからない。
本当の思考とはなんなのか。本当の知性とはなんなのか。本当の言葉とはなんなのか。
雨ン中の、らくだ 立川志らく
- 作者: 立川志らく
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2009/02/19
- メディア: 単行本
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立川志らく一代記、とみせかけて弟子の目から師匠立川談志を描く。著者も前書きで書くように、この一冊は立川談春の『赤めだか』に対して『青めだか』なのである。
この本では意外な談志の優しさが強調されている。やはり師匠が弟子に向ける顔にはいろいろあるようで、赤めだかでは弟子に厳しい師匠としての談志が強い。これは『同じ価値観を持っている志らく』と『同じ価値観を持とうとする談春』という視点の違いなのかもしれない。
また、本書では『落語の感じ入り方』とでもいうべきものが見えてくる。著者が凄いと感じた噺を冷静に分析している。もちろんそれは自分の芸のためなのだが、その説明がわかりやすくていい。
それにしても落語家さんの書く文章は読みやすい。本当に噺を聴いているようだ。著者は落語には独特のリズムがあると言う。確かにそうだろう。そのリズムは文字になっても失われることはないようだ。
Death Note light up the NEW world
デスノート Light up the NEW world オリジナル・サウンドトラック
- アーティスト: やまだ豊
- 出版社/メーカー: avex trax
- 発売日: 2016/10/26
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大人気漫画デスノートはパラレルワールドを描いた映画シリーズも成功した。そして10年の時を経て公開された映画シリーズの続編がこれである。
キラ事件から10年が経過し、今度は世界中に6冊のノートがばら撒かれた。そして10年前と同じ事件が起き始める。キラの後継者、Lの後継者もあらわれる。キラ事件捜査本部の三島はLの後継者である竜崎(仮名)と対立しながらも事件を追っていく。
で、結論からいうといまひとつ。映画館に行くことはなかった。金曜ロードショーを待つべきでした。デスノートの面白さ感じられない。
デスノートの面白さは緊張感だと思う。キラとLという天才2人の駆け引きが面白いのだ。「お前・・・ひょっとして・・・」とか「こいつ・・・まさか・・・」というのが面白い。リアリティ重視の世界観に、ファンタジーなデスノートと死神を放り込むことでこの駆け引きをわかりやすく、おもしろくしている。
今回の映画にも緊張感はある。しかし、それは質の違う緊張感だ。Lの後継者である竜崎はガラが悪い。こいつが声をあらげ、三島にくってかかり、すぐ銃を抜く。その粗暴な感じで緊張感が生まれている。そういう緊張感は求めていない。なので作品全体として「推理バトルもの」というより「アクションもの」の雰囲気になっている。アクションだと割り切ってみれば面白いのかもしれないが。
その他、ちょこちょこと気になることが多かったので羅列しておこう。まぁぼくが読み取れていないだけかもしれないので、バカなことを書いているかもしれない。
①竜崎のキャラ
これは明らかに原作マンガのメロを意識しているのだろう。しかし、Lとの共通点(チョコ好き、目的のためなら手段を選ばない、など)をあまり見いだせず、後継者らしさを感じられない。
②キラの目的
作中では後継者自身ではなく、彼に指名されたキラの使者が主に活躍する。しかしキラが6冊のノートを集める理由がよくわからない。粛清を行うだけであれば1冊のノートで事足りるのだ。リスクを犯して他のノートを取りに行くより、じっくり構えて体制をッ整えていくべきではないだろうか。まあ弥 海砂のようなこともあるので回収しておくに越したことはないかと思うが。
③死神はどこへいった?
今回は地上に6冊のデスノートがばら撒かれる。確かノートが人間の手に渡った場合、死神はそのノートと所有者の末路を見届ける掟になっていたはずだ。しかし、作中に出てきた死神は3体のみ。そのうち1体はちょっと出てきてすぐ姿をくらませてしまった。全然ノートの末路を見届けてないけどいいんだろうか?まぁ予算の問題かもしれないが。
④ロシアとアメリカのノート
6冊のノートのうち4冊は日本に落ちたが、2冊はアメリカとロシアにそれぞれ舞い降りている。この2冊は割とサクッとキラの使者が回収されてしまう。詳細も描かれない。ただ、使者はどうやら直接現地へ赴いてノートを回収しているようだ。所有者や死亡した日は竜崎が割り出している。渡航記録を調べれば、ある程度犯人(キラの使者)を特定できそうな気がするのだが。
ついでに、このキラの使者の頑張りであっさりとノートはキラ陣営4冊、L陣営2冊という状態になる。6つの組織による複雑な駆け引きとかは全くなかった。ストーリー上はノートが2冊でも十分っぽい。
⑤竜崎からのメッセージ
これが最大の疑問。竜崎はキラの使者とのコンタクトに成功し、CG画像にメッセージを仕込む。「最後のノートの所有者は私だ」と。で、これをきっかけにキラの使者が脅しを書けてくる。Lのノートと警察が保管しているノート、2冊のノートを渡さなければ大量に人を殺すというのだ。Lは逆にこれが犯人と接触するチャンスと見て行動する。
必要か?自分が所有者であることを明かすことが?警察の保管する1冊だけを使者に伝えて取引を組めばいいんじゃないのか?最後の1冊はキラの使者からすれば世界中のどこにあるのかもわからないんだし。
しかもこの隠しメッセージは、あっさりと三島に解読されてしまう。その程度の暗号化で大丈夫か?このCG画像は不特定多数に公開されているのだ。このあたり、竜崎の手腕がビミョウすぎてLの後継者を名乗るには苦しい感じが否めない。
他にもいろいろあるのだが、たぶんそのあたりはHuluで公開されているスピンオフドラマを見れば解決するのだろう。これも個人的にはマイナス評価。映画はひとつの作品として完成させてほしい。合わせて観ないとわからない、というのはなんだかずるい。
結局、なによりも衝撃だったのは、デスノートの連載がもう10年以上前だということだった。年取ったなぁ。
ライフワークの思想 外山滋比古
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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『人生を芸術にするーこれぞ最高の知的生活である』(著者)
著者がこの文章を書いたのは1970年代だそうだ。もう40年も前の文章である。データも古い。しかし、なにか今にも通じるものを多く感じる。日本人として生きる、とはどういうことかと考えさせられる。
思えば、日本人のアイデンティティはなんなのだろう。イギリス人の紳士精神、アメリカ人の個性といったものが日本にもあるのだろうか。なにかふと寂しくなった。
300
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古代、ペルシア戦争の激戦、テルモピュライも戦いを描いた映画。ペルシア軍からギリシャを守るためスパルタ軍はたった300人の兵で戦いを挑むのであった。
ムキムキマッチョがこれでもかと戦う映画。なぜか基本半裸なわけだが、盾も持っているので防御力は高い。腹筋を魅せないともったいない、という強い意志も感じる。陰影を強調した画像処理もあって大変迫力のある筋肉が画面狭しと踊り狂う。正直お腹いっぱいです。
戦闘シーンはなかなかの迫力で格好いい。たまに入るスローとか、漫画の決めゴマみたいなシーンもいい。主人公レオニダス王の強い意志を感じる。ストーリーはベタベタだが、弱者が強者に立ち向かう展開は基本的に面白いので問題ない。熱くならざるを得ない。背景のCGの「いかにも合成しました」って感じも熱苦しさでカバーされる。
とにかくかっこいいマッチョの戦闘シーンが見られる。なんというか、これはそういう映画だ。深く考えてはいけない。
とにかくマッチョが格好いい。
モダン・タイムズ
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いわずと知れた喜劇王チャップリンの映画。有名なシーンは知っていても、全編通して観たことは無かった。
そして開始十分で衝撃を受けた。白黒なのはもちろん、まだトーキー映画が普及しかけに時代なので台詞がない。でも、ちゃんとわかるのだ。
つまり演技とか、舞台設定とかでヴィジュアルの要素だけでちゃんとわかる。一部に、時間経過を省略するため画面に文字でストーリーが表示されるが、それだけで十分なのだ。映画の本来はこういう動きで魅せる所にあるにだと感じた。台詞は補足でいい。逆に最近の映画は台詞で状況を説明しすぎるように思う。観ることで伝わるものがもっといっぱいあるはずだ。
ストーリーは今となってはありきたりかもしれない。極端な資本主義の結果、効率ばかりを求めて機械のように働く人間。そこから脱却し「人間らしさ」を求めて彷徨うチャップリンとヒロイン。すでに世の中には受け入れられない存在である2人が、励ましあいながら生きることを模索する。そしてその悲哀を喜劇に昇華させるのがチャップリンの巧さだ。
多少過剰な表現で、失敗や苦しさを笑いに変えていく。なんだか手塚治虫の漫画に似たものを感じた。立川談志の落語にも似ている。たぶん、こういう人たちに大きな影響を与えたのがチャップリンという喜劇王なのだろう。
立川談志まくらコレクション 談志が語った日本の業
立川談志 まくらコレクション 談志が語った“ニッポンの業" (竹書房文庫)
- 作者: 立川談志,和田尚久
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2015/01/22
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立川談志は矛盾の人だ、と思う。たぶん、論理的に物事を捉え続けると最後には無理が生じて矛盾に行き着くのだろう。人間に神さまみたいな真似はできない。わからないこともあるのだ。
だから普通はある程度自分の論理に満足したら考えるのを止めてしまう。でも立川談志は止まらない。『あえて逆に言え考えてみる』『全く関係ない要素を混ぜてみる』『タブーっぽい所に踏み込んでいく』あれこれ手を尽くして考えて続ける。
もう立川談志が死んで6年ほど経つのだろうか。今の世の中なら、一体彼は何を考えているのだろうか。