全は一、一は全
「全は一、一は全」という言葉について考えてみたメモ。
この言葉自体は、漫画「鋼の錬金術師」で錬金術の基本概念として出てくる言葉なのですが、これはなかなか深い言葉ではないでしょうか。あ、ハガレンは漫画史上に残る名作だと思います。興味のある方は是非どうぞ。
- 作者: 荒川弘
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2002/01
- メディア: コミック
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正直、最初に漫画を読んだときは意味がわからなかったのですが、
この言葉には「全てのものはつながっている」という概念が集約されているのではないかと思います。
すべてのものは、実在するものでも概念的な存在しないものでも、必ず他のものと関係を持って存在している。人は一人では生きていけなかったり、植物は太陽の光が必要だったり。ウイルスには宿主細胞が必要だったり、細菌は病気と関係があったり。物理と数学の関係とか、宗教と科学だったりとか。うまくはいえないけど、つまり一つキーワードがあれば、必ずそれに結びつく他のキーワードが存在するはずなのだ。
どんなものも大きな世界の「切れ端」であって、世界を構成する一要素にすぎない。孤独に存在するものはありえない。それが「全は一」という感覚だと思う。これは大切なことなのに忘れがちになりがちだ。僕らは世界を切り取って得た「知識」をついついそれ単独で完成されたものだと思い込んでしまう。でも実際はもっと深いとこで必ず他のなにかに結びついる。それが見えていないから、世界から切り離された、役に立たない浅い知識になってしまうわけだ。
逆にどんなつまらないことも必ず世界にとって意味がある。どんなにくだらないことも世界を構成する一要素として何かの役に立っている。それが「一は全」という感覚だ。
世界を知るということは一つ一つのつまらない知識、世界の断片、を集めてその関係性を見出すことだ。全を知るために一をないがしろにしてはいけない。無駄なものは存在しない。
一つ一つを大切にして、その関連性から世界を探る。そういう感覚がものごとを楽しんで、深いところに至る上で、すごく大事な気がするのです。