グロテスク【(フランス)・(英)grotesque】[大辞泉]
[名]異様な人物や動植物などに曲線模様をあしらった装飾文様。古代ローマに始まる。
[形動]ひどく異様なさま。怪奇なさま。異様。グロ。「―な形」
「グロテスクということばについてどう思う?」
こんな質問を昔読んだシャーロックホームズの短編の冒頭で、ホームズがワトスンにしていたような気がする。結局、明確な答えは示されずじまいで、ただ、どうもこの言葉にはいわゆる”気持ち悪い”では片付けられないような、何かが含まれているらしい・・・というような印象だった気がする。
なんでこんなものを思い出したかというと、今日フジでやってた鬼太郎の映画をみていて”グロテスクが足りない”と感じたからだ。映画自体はThat's entertainment!という感じで、わかりやすいストーリー・演出、出演陣も豪華で細部に散りばめられたネタも小気味よく、映画のエンターテイメント性を十二分に引き出していると思う。
ただ、”グロテスクが足りない”気がする。題材として妖怪を扱っているにも関わらずだ。
特に感じたのは鬼太郎が体を再生するシーン。別に映画全体として大事なところというわけではないのだが、ここが特にグロテスクに欠けている気がする。鬼太郎はほんのわずかな時間で、しかもちゃんちゃんこに包まれたままムクムクと大きくなりあっさりと再生・復活を遂げる。別にそれでいいっちゃいいのだが、なんともあっさりしている。あと、ラストにでてくるでっかい骸骨。これも”グロテスクが足りない”、いやそんなことを言ってると妖怪全体にもっと”グロテスク”が欲しい気がする。少なくとも水木しげるのマンガの妖怪にはもっと”グロテスク”があったと思う。
で、肝心なのは「グロテスクとは何なのか?」ということなのだが、考えれば考えるほどこの表現はむずかしい。少なくとも「気持ち悪い」ですませてはいけないし、上の訳にあるような「異様」「怪奇」でもやはり足りないと思われる。そういった要素をすべて含みつつ、さらに「神秘」とか「美しさ」あるいは「愛らしさ」といったものを含まなければ”グロテスク”は完成しないと思われる。
”グロテスク”の代表格といえば「不思議の国のアリス」に出てくるキャラクターだと思うのだが、彼らはたしかに「気持ち悪い」が別に嫌われているわけではなく、むしろ愛されているし、鬼太郎の妖怪だって同じような感じだと思う。あと上の訳にもあるように、本来は古代ローマ建築の装飾様式に用いられる言葉らしい。やはりこれも「気持ち悪い」だけでは装飾として成立しないだろう。結局万人受けするような答えは見つからなかったが、自分なりに表現すると次のようになると思う。
グロテスク
異形であるが、それゆえに魅力あふれるということ。
うまい表現はできないけれど、ヒトが離れたがる「怪奇」とヒトを引き付ける「魅力」の本来矛盾するものが奇跡的に交差したものが”グロテスク”なのだと思う。こんな奇跡的なものをポンポン「足りない」なんていうのは、ぼくのが欲張りすぎる気もするので、鬼太郎映画にそれを求めるのは無茶だったかもしれない。
そもそも大して普段映画を見ないぼくが映画をどうこう語るのもおかしいし。
こんな感じでぼくなりに”グロテスク”答えを探してみたが、本質にはまだまだ遠い気がする。いい知恵をお持ちの方がいらしたら是非教えてくださいm(__)m