続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

レスラー ダーレン・アロノフスキー

 

レスラー スペシャル・エディション [Blu-ray]

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「あそこが、オレの場所だ」(ランディ)

 

プロレスラーのランディはかつては業界を牽引するスター選手であった。しかし年とともに体は限界に近づき、ランディは「かつてのスター選手」としてかろうじてレスラーとして生活していた。そうはいってもレスラーだけでは稼ぎも少なく、平日はスーパーでアルバイトに明け暮れる日々。近所の子供達にはあいそをつかされ、娘とも疎遠になる。熱をあげてたストリップ女優のキャシディにも距離をおかれてしまう。ついには心不全で倒れ、レスラー人生にドクターストップのかかるランディ。果たして彼のレスラー人生はどうなるのか。

 

ぼくはプロレスには詳しくないが、友人のプロレスヲタクがいうには「プロレスは人生」であるらしい。この映画も「プロレス=人生」という図式を描いている。

 

プロレスはショウである。大の大人が肉体を鍛え上げ、ファンタジックな格闘を繰り広げるのだ。虚実入りまじる幻想が観客を魅了する。

 

試合の価値を決めるのは観客である。観客が観て聴いて感じたものがそのプロレスの価値である。フィクションとわかっていてもなお、そこには価値が生まれる。

 

人生も同じだと思う。「あの人の人生」と言われるとき、それは常に「他人からみたあの人の人生」なのである。他人の評価にさらされる存在であると言う点で、人生とプロレスはよく似ている。その裏になにがあろうと関係ない。ランディが薬で体の劣化を無理矢理補って戦うように、小さな不正を犯してでも人生は突き進んでいく(真っ白な人間などいないだろう)。

 

ランディは迷った挙句に「レスラー」であることを選ぶ。それが自分の誇りなのだと。それしか自分の道はないのだと。一方で、年増のストリップ女優となってしまったキャシディは、その人生をランディと対象的に描かれる。彼女は彼女の幸せを考えて人生の舵をきった。彼女もプロとして誇りをもった人間であると思う。ガキにババア呼ばわりされても、プロとして客をとることを優先した。ランディに惹かれながらも、客との一線を明確に引いていた。

 

きっとほとんどの人間はキャシディなのだ。だからこそランディの選択が光る。この映画は、プロレスを題材にあげて人生を描いている。人生ほど人間にとって普遍的テーマはないだろう。そこにミッキー・ロークの哀しみ溢れる演技があいまって、本作は100年後に残る名作となったのだ。。

街道をゆく 司馬遼太郎 モンゴル編

街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 5 モンゴル紀行 (朝日文庫)

仕事でモンゴルへ行くことになったので、地球の歩き方と合わせて購入。無論、今となっては古い情報なのだが司馬遼太郎という賢人の眼を通してみるモンゴルには今に通じるものがある。

特に人、時代が変わってもモンゴル人の持つ本質的な気質は変わらない。朗らかでおおらかな国民性を、この本から学び、そして実際に体験した。

あとはざっくりと、モンゴルという国の成り立ちを知ることもできて良い。

ジブリの哲学 鈴木敏夫

ジブリの哲学――変わるものと変わらないもの

ジブリの哲学――変わるものと変わらないもの

最近、Podcastで鈴木さんのラジオ『ジブリ汗まみれ』を聞いている。これがなかなか面白く、鈴木さんの教養というか賢さというか、人柄のにじみ出る良いラジオである。

探してみると、3大ジブリ巨星である宮崎駿高畑勲、そして鈴木敏夫の著作派いろいろあるようだ。3人が一体何を考え、感じているのか是非ともいろいろ読んでみたい。

そんなことでこの本に行き着いた。読んで感じた第1のものは著者は『観ること』と『言葉にすること』の秀才だということ。

短い言葉で、ありありとその場の空気や個人の人となりを伝える。これは実に難しい。でも著者の文章はすんなりと制作の現場を伝えてくれる。常に良く観察し、特徴を抽出して言葉に置き換える。そのトレーニングの賜物なのだと感じた。

こんな人だからこそ、ジブリの経営を支えてこれたのだろう。なんだか妙に納得した。

ところで、あとがきで著者を述べているがこの本は編集が絶妙である。いろんな雑誌の記事をかき集めた本のため内容にバラツキがあるはずなのだが、そこに一本の筋を通し通している。

にんげんに背骨を入れたような、そんな仕事で編集って大事なんだと感じた。

赤緑黒白 森博嗣

Vシリーズもついに最終巻。スプレーで真っ赤に塗りつぶされた死体が発見された。一体犯人の目的は…。あざ笑うかのように、第2の死体は緑に塗装されていた。被害者の名前は赤井と美都里。いつもの阿漕荘メンバーも巻き込まれ、正体の見えない事件は進む。

テーマとしてはSMシリーズの『封印再度』に近いが、ちょっと違うか。

どちらかといえば、他で公開されている短編やSMシリーズとのつながりが見えるのがファンとしては嬉しいところ。

SMシリーズと比べるとパンチに欠けるイメージのあるVシリーズだけれど、クラシカルでシンプルなミステリとして完成度は高い。同じミステリでも、こういった細かい描きわけができるのが著者の凄さなさだと改めて感じた。

朽ちる散る落ちる 森博嗣

朽ちる散る落ちる (講談社文庫)

朽ちる散る落ちる (講談社文庫)

前々作の舞台である超音波研究所には地下室があった。なぞの地下の密室で、男の死体が発見される。一方、紅子は奇妙な縁から宇宙船での皆殺し事件を知る。2つに事件の影にうっすらと見える共通点。果たして事件の真相は?

やっと手に入れたVシリーズ9作目。なぜかこの一冊がなかなか見つからず苦労した。

事件に挑むのはいつものメンバー。もはやおきまりのパターンだが、このクラシックな感じが本シリーズの持ち味でもある。ただ、ちょっと飽きた感じも否めない。

前作を読んでから間が空いたからかもしれないが、いまひとつお話に乗り切れずわくわくさせてはもらえなかった。トリックも森博嗣ファンなら気がついてしまいそう。

ちょっと楽しかったのは、過去の短編との繋がりがそこはかしこで見えたことだろうか。あとやっと「へっくん」がしゃべった。たぶん今作が初ではないだろうか。

今回の見どころは「紅子さんの母の顏」だろう。事件にへっくんが巻き込まれ、紅子さんが珍しく冷静さを失う。垣間見える新たな一面に紅子さんファンは心震わせることになる。

とはいえ、全体としてあまり切れ味を感じる作品ではなかった。次作がVシリーズラスト。こっちのほうに期待したい。

人造人間キカイダー The Novel 松岡圭祐

「人は単純かもしれない。それが生命か物体かなんて吟味する前に、ただ人の姿かたちをしているだけで、愛情を持ってしまうんだよ」(服部)

何年か前にキカイダーのリメイク映画が作られた。本作はそのノベライズである。

世界有数のロボット会社ダークは、裏で戦闘ロボットを作り軍事産業推し進めていた。ロボット工学の天才、光明寺博士は家族を人質にとられ仕方なくダークの望むロボットを作る。しかし彼は秘めた計画により、キカイダー/ジローを作り出す。そして、キカイダー/ジローとダークの因縁の戦い幕を開ける。

キカイダーは世代ではないのだけれど、なんとなく好きだった。赤と青の左右非対称なデザイン。透明な頭部。こんなにエキセントリックなのに、何故か全体として調和がとれてかっこいい。石ノ森章太郎おそるべし、と思ったものである。原作漫画もずいぶん昔に読んだ。ピノキオをベースにしつつ深すぎるテーマと、驚愕のラストで度肝を抜かれた。

さて、本作では原作の基本設定は守りつつ、まったく新しいキカイダーが描かれる。

とくに著者は、キカイダーのデザインの意味を解釈することにこだわったようだ。何故、体のデザインが左右半分で違うのか。なぜ頭が透けているのか。黄色い筋はなんなのか。ストーリーに絡めて、なるほどよくできている。

また、ロボットの生命とはなにかというテーマもよい。ロボットは死んだ(壊れた)ら消えさるのみ。明確になにも残らない。だからこそロボットは人間以上に死を恐れる、という解釈はおもしろい。ロボットものはついつい「死をも恐れぬ無敵の軍団」になりがちなところを、うまくコントロールしている。

ストーリーの大筋やバトルシーンは特にひねりはない。退屈なくらいだが、逆にキカイダーをはじめとするヒーローものの王道を描いているともいえるだろう。

石ノ森翔太郎の漫画が印象に強いので「やっぱり原作が…」と思ってしまうが、本作も悪くはない。奇をてらったりしない、いいノベライズだ。

千年女優 今敏

『今だって毎日、あの人を好きになってくんだもの!』(劇中劇にて、藤原千代子)

『パプリカ』から今敏監督に入った口なのだが、これはすごい。『パプリカ』は面白い。『ディープブルー』は凄まじい、と感じた。そしてこの作品はもう言葉にできない。

恐るべき情報量と表現力です畳み掛ける映像としてストーリー。カントクの頭はどうなってはのか。完成度が高過ぎて表現できない。

夢とも現実の世界メタファーともとれるギリギリの境界線、まさにアニメーションが描くべきものを今敏監督にしか出来ないであろう切り取り方で表現する。ふるえる一昨だった。

個人的に、宮崎駿監督の感想を聞きたい。