続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

地下室の手記 ドストエフスキー

 

 

ぼくは病んだ人間だ・・・・・・ぼくは意地の悪い人間だ。(手記の著者)

 

地下室にこもり手記を綴る作者。この作品はその手記そのものであり、全ては作者の独り言に過ぎない。そこに描かれるのは、人の世に苦しみ、世を捨て、人間とは何かを追い求め、結果身動きの取れなくなった悲しい男の姿である。

 

すべてはフィクションである、しかしドストエフスキーはまえがきでこの手記の作者のような人物は広く存在するだろうと書く。それはもちろん当時のソ連の社会においてと言う意味であるが、ぼくには今の日本にもこの手記の作者のような人が多いように感じる。

 

歴史に詳しくないので当時のソ連の社会のことはよくわからないが、バリバリの社会主義というのは窮屈なのだろう。手記の作者も、理性にとらわれず人間の本能の開放を訴える。いまの日本も、どこかそういうところがあるんじゃないだろうか。人間の本能をむき出しにする場が失われているのではないだろうか。

 

人間は理性の皮をかぶった獣かもしれない。だが、獣の部分も含めて人間なのだ。そういう目線も、社会を作る上では必要なのかもしれない。