続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

奇跡の人 ヘレン・ケラー・著 小倉慶郎・訳

 

 1900年頃のアメリカ。目が見えず、耳が聞こえず、言葉もしゃべれない。ヘレン・ケラーは幼少期の病気により三重苦となる。しかし、家庭教師のサリバン先生の献身的な教育により、ヘレンはらラドクリフカレッジ(当時のハーバード大学女子キャンパス)を卒業するまでの学業を修める。そんな彼女が22歳のときに書いた自伝。

 

 ヘレン・ケラーの人生のうち、四半世紀にも満たない部分を整理した自伝。しかし、やはり数奇な人生を歩んだ彼女だけのことはあり、その密度は高い。時代背景を鑑みれば、まさに奇跡のような出来事が積み上がり、彼女がこの本を書くまでに育て上げたのだ。そして、もちろんそれだけの奇跡を受け止める彼女の器もすばらしい。

 

 「感じる」ということは実にその人を形成する。視覚と聴覚を失った彼女はあらゆるものを触覚、味覚、味覚、嗅覚で感じ取る。文字は手のひらに書いてもらう、本は浮き出し文字の特別製、花の香り、人の唇の動き、彫刻の手触り、お腹に響く音楽の振動・・・。彼女はぼく達とは異なる方法で世界を感じ取ってきた。そして、おそらく誰よりも世界を深く楽しんだ。

 

 もちろんこの奇跡の背景には豊かな財力があるのだ。だがサリバン先生を始め、彼女の周りに集まった人々はただ金を積めば得られる人材ではなかったのだろう。グラハム・ベルが同時代に生きていたことも運命的に思われる。いや、やはりサリバン先生だろう。彼女はなんと20歳で6歳のヘレンの家庭教師になったという。サリバン先生自身も視力が弱かったらしく、同じ障害を抱える人間であったことが、素晴らしく粘り強く献身的な教育をヘレンに与えることに繋がったのは間違いない。

 

 学び、教育について改めて考えられる一冊だった。学校ばかりが学びの場ではない。そう思えば、ヘレンがそうだったように、ぼくたちもまた学びの途上にいるのだから。