マイケル・ジャクソンの伝記映画。家族との葛藤を抱えつつもスターダムへ上り詰めるマイケルの半生を描く。
ぼくは物心ついたころにはマイケルはとっくにスターだった。ジャクソン5は過去のもの。メディアは大スターの一挙手一投足をスキャンダラスに報道し、ライブの成功を讃えた。高校生ぐらいの頃だろうか。マイケル・ジャクソンが死んだ。薬物中毒だったろうか?死人に鞭打つのは憚られるのだろう。メディアは一斉に彼の功績を讃えた。世界中のアーティストが、共演したダンサーが、マイケル・ジャクソンを褒め称えた。個人的には、生前のマイケルをボロクソに言っていた母が、手のひらを返したかのようにマイケルを褒め称えたのが印象に残っている。車で、繰り返しマイケル・ジャクソンのアルバムを流していた。人間は死ねば褒めてもらえるのだなと感じたものだ。以上がぼくの、矮小なマイケル・っジャクソン感である。
さて、映画を見終わった瞬間の感想としては「配慮の塊みたいな映画」である。エンドクレジットの頭にエグゼクティブプロデューサーの項目があるが、7−8名はいただろうか。しかも、そのうち半分ほどは「ジャクソン」であった。どうやら存命の兄弟や子供たちのようだ。名誉職なのだと思うが、映画の内容を踏まえて、それはどうなんという感じ。
世界的スター。マイケル・ジャクソンはその中でも一流と考えてもいい人だろう。世界中で彼の名前を知らない大人はほとんどいないと思う
。だからこその配慮だろうか。脚本にも配慮は感じられる。ストーリーの主軸はマイケルの父とマイケル本人の確執だ。家族のためと、時には暴力(躾と称しての)も辞せず、ジャクソン5を世に出す父・ジョセフ。ジャクソン5の成功をきっかけに、彼は金にがめついプロデューサーと化していく。子供達は彼の道具にすぎない。マイケルは、自身の才能を家族のためにと縛る父から自由を獲得しようともがく。そしてついに…
いや、この脚本も配慮の塊としか思えない。別にマイケル・ジャクソンは父親との確執に打ち勝ち自己を確立した為に、偉大なスターになったわけではないだろう。彼が成し遂げたことは、その後にあるのではないか。伝記としてまさに「半生」しか描けていない。だから、映画は急に尻切れ蜻蛉のように終わってしまうのだ。そんなにマイケルに詳しくないぼくでさえ、ここからが見たいのだ。
マイケル・ジャクソンといえば、その偉業にまとわりつく親族の存在を無視できない。その辺も配慮し尽くされている。マイケルの兄弟ったちは徹底して脇役で、物語に深く関わることはない。そんな訳ないだろう。一方で、父・ジョセフは基本的に悪役として描かれる。エグゼクティブ・プロデューサーの布陣を考えると兄弟たちは父が嫌いだったのだろう。正直、ジョセフを哀れに感じないわけではない。彼は彼なりに家族の生きる道を模索したのだ。その点は息子たちも認めているのかもしれないが。ジャネット・ジャクソンの存在もうすーく扱われている。ぼくの記憶がでは「ジャネット」の名前が劇中で呼ばれたことはないし、マイケルとの関わりは最小限であった。
ジェファー・ジャクソンの頑張りは素晴らしいと思う。デビュー作でマイケル・ジャクソンを演じ、そのライブ映像を再演するという至難の業に良く答えている。今後のキャリアが心配ではあるが、この一作について彼ほど期待に応えたものはいないだろう。彼のダンスを見てマイケルの凄さが理解できた。脚技である。マイケルは最高レベルの歌唱力を披露しながら、下半身の動きで観客を魅せ続けることができた。凄まじい運動量と歌唱力の融合であり、誰も真似することができるものではないのだろう。多分、映画だからジェファーにもできたのだ。
詰まるところ、この映画は映像的にはマイケルをよく再現できている。しかし、伝記としての物語には頗る疑問が残る。多分、マイケルファンほど納得できないことが多いだろう。光が強いほど影も濃い。マイケル・ジャクソンという光は、映画にするには闇が深すぎたのかもしれない。





