続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

マトリックス リザレクションズ

 

 

「みんなすぐに自由を忘れてしまうからな」(ネオ)

「ええ、こいつのせいでね」(トリニティ)

 

 まさかのマトリックス第4弾。18年前に完結したトリロジーの正当な続編。トーマス・アンダーソンはゲームクリエイター。「マトリックス」三部作を作り上げ、世界的なクリエイターとして知られていた。しかし、彼のもとにモートフィアスが訪れる。自分が作ったゲームの世界が現実に現れ狼狽するトーマス。しかし、次第に彼は記憶を取り戻していく。

 

 いやー、笑った!監督ブチギレである。そもそもマトリックスは昔の三部作で完結していた。それを無理やり続編を作らせたのはワーナー・ブラザーズである。そのへんが、包み隠さずおもいっきり映画の中で暴露されている。さらに、監督は最近の映画界、映像クリエイターにも思うところがあるようだ。ようは拝金主義に溺れ、薄っぺらな動画の氾濫に警鐘を促している。登場人物の言葉を借りて入るものの、中身は完全に監督の言葉であり、ここま好き放題言っていいものかと笑ってしまった。

 

 そして、今まさに映画界は選択のときなのだろう。チープな娯楽品になりさがるか、アートの一つとして世界を切り開くか。映像が溢れる世の中だからこそ、映画という映像の最先端がその世界の方向性を示さねばならない。Youtubeの猫動画ごときに映画が負けていていいのだろうか。映画の目指す高みが今問われている。

 

 一方で、この映画ストーリーの完成度は高い。さすがウォシャウスキー監督である。しかし、おもしろくない。いや、おもしろくないように作られている。もう絶対続演なんて作らないという監督の意思表示だろう。その意志をちゃんと最後まで貫いた監督の立ち回りは神がかっている。かつて「マトリックス」は映画の歴史に楔を打ち込んだ。本作もまた、1つの楔ではあるまいか。映画はエンターテイメントだが、エンターテイメントだけではない。エンターテイメントの形に乗せて、いろいろなものを乗せることにこそ映画のおもしろさがある。昨今の拝金主義は映画からその余白を失わせてしまった。映画とはなにものか。ウォシャウスキー監督は自らの監督人生を欠けて大きな問を世間に投げかけている。