続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

令和を生きる 平成の失敗を越えて 半藤一利、池上彰

 

  (自民党改憲草案について)「歴史に何も学ばず、歴史を無視し、ただ多数の力で押し切ろうとしているとんでもない動きだと思います」(半藤一利

 

 (いろりろな視点があるとは思うが)現代日本では類をみない社会知識と言葉をもつ2人の対談集。

 

 ぼくたちは、どうしようもなくこの国の歴史の一員である。そしてこの国の歴史の中で生きていくしか無い。いや、もちろん他国の国籍を得てこの国を出ることもできるが、多くの日本人は日本の国民として生きて死んでいくだろう。多くの日本人はこの国の歴史の流れの中に生きる。

 

 だから、この国が今どこに居るのかを知らねばならない。そして、それは一個人にやすやす把握できるものではない。だからこんな本を読むのだ。この国は今度に居るのか、そんなことを一生懸命考えている人はいる。もちろん答えはひとつではない。過去も未来も人間にとっては明瞭ではないからだ。しかし、それでも今この瞬間だけは偽りなく存在する。できるだけ正確に、できるだけ前向きに、今この瞬間を解釈することが生きるコツだ。だからぼく達は歴史に学ばなければならない。人間には性質がある。そして人間は自分自身のことを客観的にみることが難しい。だから、過去という自分から切り離された人間の活動から人間の性質を学ぶのだ。

 

 ぼくを含む現代の若者はその人生の大半を「平成」の時代に過ごしてきた。昭和は帝国主義と戦争が終焉を迎える時代であった。平成は新たな世界秩序の始まりであり、日本の反省の時代ともいえる。そして、停滞の時代でもあった。特に日本の経済は停滞した。バブルが弾けた悪夢が日本を覆う。それでも先進国に食らいつき、力を消耗してきたこの国は次の時代・令和に何を残せたのか。令和は何を平成から受け継ぎ、そして捨てるべきなのか。今、令和がまだ始まったばかりのこの時期に考えてみるべきなのだろう。令和が終わるころ、たぶん、平成に育てられた若者たちは老い先短い存在になるだろう。昭和の悲劇を伝えるものは絶えて久しくなるだろう。その時に、ぼくは、あなたは、一体何をすべきだろうか?