続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

赤目姫の潮解 森博嗣

 

 

 森博嗣の100年シリーズ3作目、最終巻。

 

 困ったことにあらすじがうまく書けない。非常に幻想的な作品で、ストーリーや時系列ははっきりしない。語り手の視点も移ろいで行くので、誰が主人公なのかもよくわからない。そして、ミチルとロイディは一切出てこない。読者や小説の形式というものに、すごく挑戦的な作品だ。

 

 1回通読しただけなので、たぶんほとんど理解はできないが、ぼくなりに理解したことを書き出しておこう。

 

 時代設定はおそらくミチルやロイディが居た時代と同じだと思われる。ロボットやネットワーク進歩した時代。身体も一部は、あるいは多くか機械に置き換えることができようになっているらしい。個人の意識もネットワーク上を移動できる。

 

 この世界には人間そっくりの「人形」が存在している。人間との判別は困難で、壊して内部をチェックする以外に方法はない。物理的に限りなく人に近い、しかし作られたものである人形が、人間社会のなかに紛れ込んでいる。人形は秘密裏に創られたものらしい。そして、人形は圧倒的な天才の作品と考えられている。おそらく真賀田四季が関係するのだろう。

 

 人間の意識はすでに肉体という制約から開放されている。ネットワークを介して、他人の身体、他の生物の身体、いろんなボディを利用することができる。機械の身体であっても人間は人間なのだ。一方で、ロボットも人間と変わらないほどの意識を持っている。人間と人形の境界は限りなく接近し、おぼろげとなりつつある。人間とはなにか?人形とは何が違うのか?このあたりはシリーズを貫くテーマであり、そして問われ続ける問なのだろう。本作でも答えが示されるわけではない。

 

 ネットワークが発達したことで、個人の意識が混信するということが起き始める。どうやらこれが本作における事件であるらしい。人間たちは戸惑う。それ以上に人形たちが焦る。人形たちのほうがより深くネットワークに接しているのだろう。どうやら赤目姫は事件の正体を探る人形たちの1人らしい。赤目姫、緑目王子、紫王。彼らはどうも人形たちのなかでも格の高い存在であるらしい。そして、赤目姫とネットワーク上で邂逅する青い目の存在。その言動はどこか真賀田四季博士を思わせる。彼女はネットワーク上に意識を移し今も存在し続けているのか。ある意味、地球は博士の巨大な実験場となりつつあるように思われる。

 

 個人的には、これは森博嗣版「攻殻機動隊」の世界なのかもしれない。義体化とか個人とネットワークの接続とか、人形遣いとの融合によりネットワーク上の存在となる素子とか。似通ったモチーフがたくさんある。同じモチーフでも攻殻機動隊はガチガチのSFになるが、森博嗣はこれを幻想小説に仕立て上げた。これは「移ろう主観」という小説以外では使うことが難しい設定を盛り込んだためだろう。

 

 全体を理解するのはとにかく難しい。でも、とりあえずもう一回読んでみようと思う。