続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

パラサイト 半地下の家族

 

Parasite Original Screenplay and Storyboard Book 『パラサイト 半地下の家族』 脚本とストーリーボードブック

Parasite Original Screenplay and Storyboard Book 『パラサイト 半地下の家族』 脚本とストーリーボードブック

  • 作者:Bong Joon Ho
  • 出版社/メーカー: Plain Archive
  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: ペーパーバック
 

 

父ギテク、母チュンスク、息子ギウ、娘ギジョン。キム家の4人は半地下のアパートに住む貧困者である。宅配ピザの箱を組み立てる内職で生計を立て、家の近所のノラWIFIで情報を得る。ある日、息子ギウが友人から金持ちの娘の家庭教師を紹介してもらったことで、一家の「計画」が動き出す。娘は金持ち息子の家庭教師に、父は運転手に、母は家政婦として、一家は金持ち家族のもとで働き始めるのだった。

 

アカデミー賞韓国映画が初受賞した。ひとつのエポックとして劇場でこの映画を見なくてはならないと感じた。惜しむらくは、アカデミー賞受賞の前にこの映画をみておくべきだった。どうしたってバイアスがかかってしまう。

 

いろんな要素を含みつつ、全体をきれいにまとめたよくできた映画だと思う。ホラー、サスペンス、コメディ、人情物。少なくともこれだけの要素が1つの映画の中にある。驚きである。よくできた映画は作品の内外に様々な想像の余地を残してくれるものだが、この作品もそうだ。すべてを描ききってしまっては馬脚を現すことになる。悠々と空を行く大鵬にこそ人は惹かれるのだから。

 

この映画の1つのポイントは、富裕層と貧困層という構造を単純な対立構造にしなかったことである。富裕層、貧困層、もっと貧困な層とした。つまり貧困にも程度の差があることを示した。そして、この3つの層を住まう場所の高さで表した。まぁこれ自体は昔ながらのアイデアだと思うのだが、平地と山の上という対立構造を、山の上、半地下、そして地下ともう一つ推し進めたのだ。

 

富と貧困は映画の1つのテーマとして昔から存在している。「タクシードライバー」や「真夜中のカーボーイ」。アメリカン・ニューシネマの時代にはこれが流行った。もう50年も前のことだ。今、またこのテーマに映画の光があたっている。同じ時代に「ジョーカー」が大ヒットしたのも偶然ではないと思う。

 

パラサイトでは「下には下がいる」ことが示された。これはアメリカン・ニューシネマの時代にはなかったことで、かつての貧困層は貧乏ではあるが、それでも社会の一員だった。しかしパラサイトの「地下の一家」はもはや社会に属していなかった。ジョーカーのアーサーもそうだ。貧困の末に、社会の外へいってしまった。現代の社会の貧困は、かつてのものとは違うのだ。今の貧困は、人を社会の外へ放り出してしま可能性を十分に持っている。

 

その背景には、行き過ぎた資本主義があるのだろう。資本主義最大の欠点は「金を稼ぐには金が要る」ということだろう。つまり、何をするにも先立つものが必要なのだ。持たざるものは、最初を一歩を踏み出すことができない。よって富むものは更にと富み、貧者は息詰まるという構造が徐々に広がっていく。しかも、その広がりは下方向に強く広がっていく。今は、世界中がそういう時代なのだ。

 

他にもいろいろと思うことはあるが、書いているときりがないのでここでは割愛しよう。

 

最後に、ラストシーンでギウは父にある計画を立てたことを報告する。この解釈もオーディエンスに委ねられていると思うが、ぼくはきっと成功しないだろうと思う。作中のギウの「計画」はずっと失敗してきた。彼は人を殺す覚悟を極めてなお、凡ミスを犯す。その「計画」には膨大な時間と労力がかかるはずだ。しかし、彼の持つ成功のイメージは、せいぜい2−3年以内の場合を想定しているのだろう。そんなに世の中は、資本主義の世の中は甘くない。生きることがとても難しくなった時代。それを実にクリティカルに描いた映画だと思った。