トカトントン 太宰治
「ただそれを空想してみるばかりで、実行の勇気はありませんでした」(私)
本作は「私」がとある作家へ書いた手紙の体を取っている。短編だがえぐりこむような表現がグッとくる。
「私」は戦争がおわり、故郷へ帰ってくる。小説家を目指し働きながら文章を書き綴るも、ついに完成間近といところで異変は起きる。頭の中でトカトントンと音が響く。その音が私のやる気をそぎ落とすのだ。私は小説を書くことをやめてしまう。それ以来、私は正体不明のトカトントンに悩まされ続けることになる。トカトントンは「私」を無気力にし、何もかも台無しにしてしまうのである。
つまるところ「私」は無意識に、挑戦することを恐れているのだ。
仕事に精を出そうとするもトカトントン、恋に目覚めようとするもトカトントン。「私」は頭の中にゴールを思い描くばかりで、ゴールへ至る道を踏み出せない。最初の一歩を踏み出せずに、同じところで足踏みを繰り返している。
トカトントンは作中、大工作業の音のようだと表現される。これは「ものづくり」の音である。私はゴールばかりを夢見て、そこへ至る過程をを考えない。動かなければ、行動しなければゴールには至れないのにも関わらず。
本作の最後は私が手紙をおくった作家からの返信で締めくくられる。その返信の中にはマタイ伝から次のように引用される。
「身を殺して霊魂 をころし得ぬ者どもを懼 るな、身と霊魂 とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
挑戦することは多くの場合苦痛を伴う。ただ、それは本当に怖れるものではないのだ。あなたの挑戦に対して誰もあなたの精神まで傷つけることはできない。恐れず挑めということではないかとぼくは思った。