続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

ニュースの読み方使い方 池上彰

 ニュースの達人池上彰さんが情報収集とその活用についてノウハウを一挙公開するという本。

 普段、何気なくニュースを見たり新聞を読んだりしているが、そこから真に情報を得るというのは大変に難しい。株価の増減ひとつとっても、クリアに説明できるほど理解できている人はほんのひと握りだと思われる。情報を得るということは、ただ字面で確認するだけではない、情報源のバックグラウンドも含めて、数多の情報を照らし合わせ、解読していくことが必要である。一つの記事に現れるのは実に表面的な情報に過ぎないのだから。

 情報リテラシというものの重要性を改めて教えてくれる一冊。この高度情報化社会。誰も情報に触れずに生きることはでけいない。すdに古い本だが、全ての人に価値ある一冊だと思う。

なんくるなく、ない よしもとばなな

 よしもとばななさんのエッセイ。1999−2005年にかけて、沖縄旅行の記録と日々の想いが綴られる。

 エッセイというよりかは日記に近い。読者というよりは自分自身に向けて書いたような本。そんなプライベートを切り売りできるというのが作家の凄さというところだろうか。ただ、正直登場人物が全然わからないし、読み手としてはなんだかモヤモヤする。まあよしもとばななファンであればわかるのかもしれない。
 
 全体的に女性らしさ、いや女の子らしさが溢れる文章で、男の僕にはどうもついていけないところがあった。男女の違いというものを精神面で改めて感じた。とはいえ、それが良いとか悪いとかいうつもりはない。それを楽しむことが大事なように思う。

 冒頭、1999年の東京の騒がしさについて触れている。そういえばこの年はノストラダムスの大予言とか、2000年問題とかで世の中が根拠のない不安感に包まれていた。マスコミまでその不安感を散々煽って。結局、年が明けてみれば大したことは何もなかった。隕石が落ちてくる事もなかったし、世界中のコンピューターが誤作動することもなかった。なんとなく、今のコロナ騒ぎにも似たようなものを感じる。もちろん性質は全く違う問題なのだが、日本人の悪い国民性とでもいうものが顕になっているのではないだろうか。

 世紀末の喧騒を著者は沖縄の空気で乗り越えた。今また同じようなものが必要とされているのかもしれない。

遠巷説百物語 京極夏彦

 

 

 昔、あったずもな。

 

 巷説百物語シリーズ第6弾。舞台は東北盛岡領遠野。浪人、宇夫方詳五郎は秘密裏に遠野を治める盛岡藩筆頭家老・南部善晋の命を受け、庶民の巷に広がる噂とその実態を調べていた。しかし、いつしか、巷の噂の裏に怪しい影が蠢き始める。

 

 ぼくはこのシリーズが非常に好きで、まさかのシリーズ続行に感謝感激というところ。基本はいままでどおり、あちらを立てればこちらが立たず、どうにもならないこの世の中を裏の渡世のもの達が妖怪を使って収める物語。人の心の暗闇を巧みに捌く無法者たちの活躍に心が躍る。

 

  舞台を大きく変えつつも、おなじみのキャラクターたちは顕在。今までなかったキャラクター同士のコラボも楽しみだ。また、本作では遠野を治める盛岡藩が物語にぐいぐいと食い込んでくる。過去の物語では庶民の間の、個人的な問題が妖怪の対象であったが、本作はすべての背景に悪化した盛岡藩の政治体制がある。当然、妖怪の牙は盛岡藩にも向くわけで、体制への反逆としてのロックな一面もある。

 

 これまで以上に痛快な妖怪の噺。これ単独でも楽しめるので、ぜひ皆さんにおすすめしたい。

ハリー・ポッターと呪いの子

 

 

 

「しかし、この連中がここに並び立つなら、僕もここに立つ」(ロン)

 

 ハリー・ポッター・シリーズ。まさかの8作目。ハリーの物語が終わってから19年、かつての子どもたちは大人になっていた。ハリーも今や子供の親。長男・アルバス・セブルス・ポッターがホグワーツに入学するところから物語は始まる。

 

 ぼくがハリー・ポッター・シリーズを読んだのはいつのことやら。もう随分昔のように思える。登場するキャラクターたちは懐かしく、それぞれの成長と変わらないところに驚きと微笑ましい感情を覚える。

 

 本作は舞台の脚本となっており、シェークスピアから受け継がれるイギリスらしさを感じる。原作にはローリング女史を始め3名が名を連ね、研ぎ澄まされた脚本となっている。すなわち、過去のシリーズを印象的に引用しつつも、全体に新たなワクワクする物語を綴ることに成功している。こういうすぐれた脚本が日本でも生まれてくるといのだが。

 

 とかく懐かしい一冊であった。優れた作家の心の中でキャラクター達は生きている。またローリング女史が物語を紡ぐことに期待している。

ひとりで生きていく ヒロシ

 

 ひとりで生きる、

 それは旅をするように、

 日々を生きるということ。

 

 

 「ヒロシです・・・」でおなじみ(だった)芸人ヒロシが生き方を綴る本。

 

 人間いろんなしがらみのあんかで生きている。それはときに人の支えにもなるものだが、思い切って捨ててしまったほうが楽なときもある。この本で語られるヒロシの生き方は、そんなことを教えてくれる。

 

 きっと時代にマッチしているのだろう。日本を含む先進国では、昔ほど、人は支え合わなくても生きていけるようになった。文明の進歩はそんなところまできている。支え合いはいつしか檻となって、余計な負担ばかりが残る。ならばいっそ、そんなものから飛び出したほうがいい、ということか。

 

 自由に生きるということを考えさせられる一冊。最近ではヒロシといえばソロキャンプであったが、この間ネットニュースをみていたら、ご本人は「もうキャンプはしたくない。ベッドで寝たい」というような趣旨のことを言っていた。それを良いとか悪いとかぼくは思わないが、自由にこの発言をできていることは素晴らしいと思う。まさに檻から解き放たれた人の行動である。

 

 人間関係に疲れたら、一度この本を読むのもいいかもしれない。それは案外手放しても大丈夫な、その程度のものかもしれないのだから。

天国ゆきカレンダー 西本 秋

 

  七果は高校でいじめられていた。クラスメートたちは夏休みの課題と称して残酷な日課を書いたカレンダーを七果にわたす。そこには8/31に自ら命を絶つ支指示が。ふっきれた七果は贔屓のバンドの全国ライブを自転車で追いかけながら、カレンダーの課題をこなすことを決める。ひょんなことから出会った男子高校生・畑野とともに旅が始まる。

 

 いわゆるジュブナイル小説ってやつである。若さゆえの行動力、若さゆえの無知、若さゆえの無理解、若さゆえの過ち。若者には若者の世界がある。それは大人たちから見れば、無意味で、無軌道で、ときには滑稽ともいえる世界だが、そこには彼らなりのルールがあって、彼らはその中で育っていく。大人たちもかつてはそこにいたのに、大人になると忘れてしまう。

 

 ジュブナイル小説の基本は少年・少女の成長の物語である。本作では主人公・七果と相棒とも言える畑野がそれぞれ成長していく。七果は一人の人間として屹立することを学ぶ。いじめっ子たちに復讐することを考え、バンドの動向に一喜一憂していた彼女は、自分の足でたつことができていない。なにかも、周りに振り回されていて自分の意志というものがない。そして独りよがりな思考に包まれて、彼女には現実がみえていない。旅の中での出逢いや体験が彼女を包むヴェールを消し去っていく。現実は痛く苦しいものだけど、それを受け入れて生きていく価値がある。旅を終えた彼女は自分の足で立ち上がり、自らの意思で行動を始める。一人の人間として屹立すること。それが少年少女が大人になるということなのだろう。

 

 一方、畑野は旅立つ時点で自らの意思と行動力のある人間だった。しかし、彼もまたヴェールに包まれ、自らの世界に閉じこもっていた。彼の最大の成長は人を信じることができるようになったことだろう。信用できる人間が一人でも居るということは、とても大きな力になる。それは、社会につながることだから。群れを外れて生きていけるほど個人は強くないのだ。そもそも人間は群れの中で生きる生物なのだから。

 

 なにかに迷ったり苦しんでいる人に読んでほしい一冊。

分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議 河合香織

 

 COVID-19が人間社会を脅かして久しい。日本では「専門家会議」が立ち上がり、政府と意見を交わしながら取るべき対応を模索していった。2020年2月から、同年7月までのその奮闘を主に専門家会議の側から整理したのがこの一冊。

 

 全体的に淡々と事実をまとめ上げてくれた本なので読みやすい。ダイヤモンド・プリンセス号事件の前後から始まり専門家会議が解散し、政府の分科会へと移行するまでを語る。日本政府と専門家会議との距離感というのは、実に複雑で難しい。この本の焦点はこの距離感と、主に矢面に立つことになる副座長・尾身茂さんの身の振り方にあるともいえる。

 

 専門家会議が知恵を振り絞って対策を練ったとしても、それを実行するのは政府である。また、感染症対策の面以外にも多様な要素を加味すれば、専門家会議の意見がそのまま通ることは基本的にない。国内外の動向を見据え、如何に政府との間に落とし所をつくるのか。さらに。この国ではでる杭は打たれてしまう。あるいは出過ぎた振る舞いのために政府が専門家会議の意見を無視するようになるかもしれない。そんな状況で、感染症のプロとしてどう振る舞うべきか。専門家会議はウイルスだけを相手にしていたのではないということがよく分かる。

 

 政治というものは難しい。そして国家というシステムもまた複雑だ。国も政府も完全なものではない。だが、多くの欠陥を抱えながらも動かしていくしか無いのだろう。COVID-19への対応を通して、この国のかたちが垣間見える一冊だった。