書を捨てよ町へ出よう
戦後しばらくたって日本の復興も進んできた頃、主人公はどん底の中にいた。二十歳ぐらいの主人公は線路沿いの長屋に暮らす。働かない父親、万引を繰り返す婆さん、兎に狂う妹。何もかもうまくやってのける憧れの先輩の影を追いつつ、現実と理想の間で主人公は鬱屈し、そして爆発する。
「映画館の暗闇で腰掛けて待ってたって、何も始まらないよ…」。冒頭からガツンとくる台詞を主人公が観客に語りかけ物語は始まる。そしてエンディングでは「ライトが点けば映画の世界も消える…」と。たぶん映画ファンが一番聞きたくないことを真正面から言ってのける。そして、エロ・グロ・ナンセンス、なんでもありの映像と音楽が、観客の感情をガンガン揺さぶる。「怪作」とはこんな映画をいうのだろう。ぼくはパソコンの画面でみたが、それでも途中で耐えられずに一回休みを挟んで見た。これを映画館の大スクリーンと音響でみたら立ち上がれなくなってしまいそうだ。
物語には多くの弱い人々が登場する。主人公の家族はもちろん、その周囲にも弱い人々が多数いる。しかし、それは普通のことなのかもしれない。この映画に登場するような弱者は、いま現代にも同じように存在している。ただ当時も今も眼を向けられることがないだけだ。
社会というものは光ばかりではなない。光のあるからには影もあるのだ。最近の映画ではすっかり描かれなくなってしまったが、本当は影にこそ眼を向けることが必要なのだろう。眼をこらしてよくみなければ、われわれの社会の枠組みから外れて苦しむ人々に気づくこともできない。
多くの人が若い頃には胸の内に炎を宿している。この映画では、その炎に一人の人間が焼き尽くされる姿が描かれているのではないだろうか。あらゆる手段でこの映画は実験的に、挑発的に観客の心をゆさぶってくる。そして観客は自分の心の炎に気がつくのだ。燃え尽きたもの、燃え盛るもの、炭のようにジワジワと熱を放つもの。この映画には、人の心の奥底に有るものを確かめる試金石としての働きがあるように感じた。
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一
「密教を盗む」。空海はその決意のもと大陸へ渡った。唐は世界の文明の頂点に達していた。それでも時代はまだまだ闇の中。妖が闊歩し、東西の文明が入り乱れる中、小さな島国からきた若者が縦横無尽に駆け巡る。
夢枕獏がお得意の「陰陽師スタイル」で送る空海の物語。全4巻の一巻目なので、物語はまだまだ序章。しかし、それでも空海のにじみでる才能と、橘逸勢のワトソン君っぷりがしっかりと物語を読者に伝える。ってこれ完全に安倍晴明と源博雅のキャラを置き換えただけじゃないか。
とはいえ時代設定が違うし、舞台も唐なのでやはり物語の筋にも変化がある。あと、短編が基本の陰陽師シリーズと異なり最初から長編の予定の作品なのでじっくりと物語が進んでいく。陰陽師シリーズと同様に、なんとなくその時代の世界観を知るにはいい作品ではないだろうか。
夢枕獏の作品は文が短く改行も多いのですらすら読めるのがいいところだ。言葉も平易でわかりやすい。それでいてなんとなく深いセリフなんかがあるのもいい。まさに楽しむための読書という感じでよい。とはいえ、全4巻は結構めんどくさいと思ったりもするのだが。
日本のいちばん長い日 岡本喜八
第二次世界大戦はすでに終盤。劣勢の日本にポツダム宣言が突きつけられる。時の政府は混乱するも、原爆によるダメ押しと昭和天皇の御聖断によりついには宣言を受諾することを決める。しかし陸軍内には大きな抵抗があり、一部の青年将校達はクーデターを起こす。様々な思惑が入り交じる中、玉音放送までの長い一日が描かれる。
長い。2時間半の大作映画。しかし怒涛の勢いで目まぐるしく物語は進み、かつ張り詰めた緊張感のためにあまり長くは感じない。白黒映画で影が強調されることもこの緊張感に拍車をかける。この緊張感が、ある意味異様な戦時下の大日本帝国の雰囲気とあいまって独特の空気を生み出している。
ぼくは戦争を知らない世代だ。もう日本人のほとんどはそうなんだろう。ポツダム宣言とか終戦は教科書に載っていた言葉として知っている程度だ。そこにあったドラマのことなどわからなかったが、この映画を観て歴史というものは言葉ではなくドラマを含めて学ぶ必要があると感じた。
登場人物は基本的にみんな国のために行動する愛国者だ。ただ、根本は一緒でも向かう方向が人によって違う。あと、クーデターをおこした青年将校などは、道を踏み誤ったことに気づきながらも後に引くことができなかったようにも見える(別に当時の陸軍とか青年将校の肩を持つわけではない)。みんな目指すところは同じでも、立場や考え方の違いでものごとは複雑になってしまうのだ。たった一日の物語の中に人間社会というものを見た気がする。
映画としても複雑さのある群像劇で個人的にはおもしろかった。あと作品全体を包む緊張感にはやはり主要な俳優陣の迫真の演技が大きいのだろう。世界の三船はこんな演技もしていたのかと驚いた。7人の侍の印象が強いので、基本チャンバラの人だと思っていたので。
個人的には、なんとなく戦争というものを意識する今日このごろ。戦争の歴史を学ぶという意味で非常にいい映画だった。そして改めて戦争などすべきでないと思う。本当に、平和な世の中が続いてほしいと思うのだ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー3
パート1で無事現代に帰ったマーティ。しかし彼はすぐ過去へ戻ってきた。今度はドクが過去に飛ばされてしまったという。西部開拓の時代でマーティとドクの冒険が始まる!
いわずもがなのスピルバーグ映画。唐突にみたくなってAmazon prime videoを探したら見つかった。便利な時代になったものだ(未来感)。
よく出来たストーリーと、CGに頼りすぎない感じが良い。CGが無いわけではないがまだまだ今の映画と比べれば未発達。そこを創意工夫で映像をつくっていることがよくわかる。
スピーディで息もつかせぬ冒険劇はさすがというところ。最初から最後までワクワクしながらあっという間に見れてしまう。西部開拓時代が舞台になっていることもあり、子供向けにはちょっとだけアメリカの歴史というものに触れるいい機会かもしれない。現代とのギャップを生かしたギャグもセンスがいい。ただ、もう今の子供達にはこの映画も過去のものなので理解できないかもしれない。自分がおっさんであることをフト思い出した。
とはいえ、まさにエンターテイメントの王道を行くシリーズ。コロナで暇な子どもたちは一度観てみるといいだろう。そして、コロナが終息したらUSJに行くがいい。
アジア未知動物紀行 高野秀行
著者は・・・冒険家、でいいのか。変なものをみたいとの一心で世界中を駆け巡り、未だ存在のあやふやな「未知動物」を探し求める。本作では、ベトナムの猿人「フイハイ」、奄美の妖怪「ケンモン」、アフガニスタンの凶獣「ペシャクパラング」を探す。
もう名前の時点で動物というより妖怪を探しているのに近いのがひと目で分かる。実際、旅のなかでも動物をさがすというより、正体を探るに近いような雰囲気だ。その過程で、文字にならないような国々の文化やヒトの暮らしが垣間見える。著者の「現場主義」ということもあり、実際の現地の人となりや習慣に基づいた「正体の考察」は案外深みがあって面白い。根っこは違えど、その方向性は水木しげるや京極夏彦に近いのではないだろうか。「未知動物」というものを通して、実は暮らしや文化、思想など、そこには人間が描かれている。
単純に珍道中ものとしても面白い。読みやすく、読み手を惹きつける文章で十分楽しめた。気楽に楽しめるいい一冊だ。旅のお供にどうぞ。
電脳コイル
今よりほんの少し先の未来。世界の人々はメガネ型デバイスでネットに繋がっていた。町中はメガネを通して見ることのできる電脳空間存在し、現実と仮想の世界が入り乱れる。ある日大黒市にひっこして来た二人の「ゆうこ」。優子(あだ名:ヤサコ)と勇子(イサコ)を中心に、電脳空間の謎をめぐる物語が始まる。
随分昔にNHKでやってたアニメ。これが大変おもしろかった。ふと気づくとamazon prime videoで見れるようになっていたのでおもわず一気見してしまった。
ネットが進化した近未来が舞台なのだが、町並みなどはほとんどぼくらの生きる現代とかわらない。違うのは電脳デバイス「メガネ」の存在と、メガネを介して見ることが出来るサイバー空間。メガネはぼくらがいうところの携帯電話のように普及している(電話機能もある)。
物語は2人の「ゆうこ」を中心にした小学6年生の目線で描かれる。そこには駄菓子屋のようなお店があったり、学校の怪談のような噂話があったりと、ぼくらの小学生時代と重なるような「子供の世界」がある。そういうノスタルジーや怪談話にヒントを残しつつ、物語は謎がふかまりながら進む。
世界観がとてもしっかり出来ていてキャラクターもよく動く。世界と、文化とそこに生きる人々がしっかり存在している。こういう物語はきっとキャラクターが勝手に動き出していくのだ。いいアニメのお手本のようなものだと個人的には思っている。
蝸牛考 柳田國男
- 作者:柳田 國男
- 発売日: 1980/05/16
- メディア: 文庫
柳田國男が蝸牛(かたつむり)の方言を題材に言葉の起こりやその変遷を論じる一冊。方言周囲論に集約されるその内容は、実に広く深く日本各地のことばを収集した柳田翁ならではのもの。
現代日本はあまりにも統一されてしまった。蝸牛を表す方言だけでも、実に多様な言葉があることを思えば、日本の文化もまた実に多様であることが伺える。『かたつむり』もまた一つの方言なのだ。
古いものが、新しくより良いものへと変わっていく。確かにそれはあるのだが、その進化は一直線に全てが並ぶわけではない日本の国にある様々なは文化もまたことばと同じである。
国際化の中で、日本とは、日本人とは、ということを考えなくてはならないと時代になった。その時、答えが一つにまとまってしまうことはとても恐ろしい。この小さな島国にも、色んなものがある。どれもとても大事なものなのだ。