続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

雑誌のススメ

天は人の上に人を作らず。しかし、実際には人の力には違いがある。それはなぜか。福沢諭吉は学ぶと学ばざるの違いであると説いた。

 

と、大げさなことをいうわけではないが、最近、いろんな雑誌を読んでいる。主にビジネス誌だ。週末に本屋に行って、適当に気になった雑誌を買う。それを一週間かけてのんびり読んでいる。個人的にはとてもいい。世の中を広く浅く知る上で、雑誌はとてもいいのではないだろうか。

 

正直、今まで雑誌は無視してきた。情報の真偽がとても曖昧だし、雑誌ごとに思いっきり色眼鏡の記事が多い。公平性に欠ける上に曖昧な情報である。文字にするといかにも胡散臭い。しかし、改めて思えばこれほど実社会に促した情報の形態もないのではないだろうか。早い話、世の中には胡散臭い話しかないのである。

 

この胡散臭い世の中で、必要なことは多角的な目線である。同じ物事でも様々な視点を持つことで、その実存をより正確に捉えることができる。特に雑誌は、出来事や事実に対する誰かの解釈を記事として掲載しているので、多様な雑誌を読むことで様々な視点を持つことができる。

 

「おいおい。情弱かよ。インターネットを知らないのか?」といわれる方もいるだろう。だが、ぼくは(日本の)インターネットは匿名性が強すぎると思う。情報は発信源を合わせて考えなくては意味がない。大企業の社長が「景気はいい」と発言するのと、駄菓子屋のばあちゃんが「景気ええよ」と言うのでは全然意味が違うのだ。「Yahoo!News」にだって記者の名前が書いてあるが、正直誰なのかわからない。顔写真もなければ略歴も書かれていない。「お前誰やねん」と言う程度の情報しか後悔してないやつは匿名と同じである。

 

新聞と比べても雑誌は良い。新聞に求められるのは「即時性」である。スピードが命というわけだ。だから、情報の真偽とか、その解釈は二の次である。賢い人はそれでいいのだが、ぼくみたいな馬鹿には、誰かの解釈が必要だ。自分だけでは深い解釈を得られないのだ。多角的な解釈も難しい。それに、そこまでスピード感のある情報の収集を求められる立場にもない。ぼくレベルであれば雑誌の速度で十分だ。

 

というわけで、ぼくみたいな二流・三流の人間は雑誌を読もう。あと中高生も雑誌を読むといい。特に中高生は狭い世界に縛られがちだ。でも雑誌の力を借りれば脱出できる。

 

景気の悪い世の中だけど、雑誌社には頑張ってほしい。たぶん、きっと、日本の再生の一端を担っているのはあなたたちなのだ。