続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

I am Mother

「正しい選択は?」(Mother)

 

Netflix映画。人類の死に絶えた世界。しかし、そこには人型ロボット「Mother」が管理する外部から隔離された施設があった。施設に保存される胎児からMotherは子供を育て上げる。本当に良い人類を育てるためMotherは慣れないながらもDaunghterを育てる。しかし、そのDaughterの前に一人の人間が外から現れる。混乱するDaunghter。果たしてMotherの思惑とは。

 

考察の余地が広い映画なので、空白を自分で上手く保管できると楽しめるのかもしれない。この映画のストーリーを追うだけでは、世界観を理解できないように敢えて作られた映画なのであろう。

 

Motherは着実に「より良い」人類を育てあげようとしている。しかし、その目的は謎である。そもそもMotherは誰が何のために作ったのか。なぜ人類を蘇らせようとしているのか。全く謎である。更に言えばどうして人類の胎児を大量に保存した施設が存在し、そこをMotherが管理しているのか。なぜ、Motherは自分の管理下で子供を育てようとしているのか。全て謎のままに終わる。

 

この映画はそこのところを妄想して楽しむ映画なのだろう。本編には答えはなく、何となく意外性のないままにDaughterがMotherの元から旅立ち、ある意味では新たなMotherとなるという今ひとつ面白みのない筋書きで終わる。

 

というわけで僕の妄想を書いておこう。

 

まず、人類は人口が肥大しすぎた結果、お互いを滅ぼし合うことになったのであろう。意外にも核は使用されなかったようだ。それでも熾烈を極める戦火は人類が滅びるのには十分だった。

 

一方で、長い戦争の間に、一部の科学者は人類を存続すべく施設を作り、そこに大量の胎児を保存したのだろう。たぶん、優生学に基づく優秀な遺伝子を持つ胎児たちだ。だから、この映画には白人しか出てこない。もちろんMotherも作られた。もし人類が滅びたらMotherが胎児を呼び覚まし人類は復活するのである。

 

果たして、人類は滅びMotherは活動を開始した。人類を再建すべく、Motherは子供を教育していく。しかし困ったことに、Motherを作った科学者も「より良い人間の基準」は想定できても、そのための「より良い人間の育て方」はわからなかった。そのため、Motherは「より良い人間の基準」だけを持ち、育て方を試行錯誤することになる。幾多もの失敗作を葬り去り、時には耐久性をテストすべく施設外の荒野へ失敗作を放逐ししながら、Motherはついに本作の主人公に辿り着く。やっと、やっと「より良い人間」を育てることに成功したのだ。

 

しかしそこへ施設外の人間。そう「失敗作」が訪れる。劇中のゴタゴタはこの帰還した失敗作による主人公の幻惑を描いたものだのだ。

 

結局、主人公はMotherが一体のロボットでは無く、数多の端末を支配するクラウド上の巨大なシステムであると知る。世界はMotherの端末に支配されているも同然だし「失敗作」は敢えて生かされていたのだ。全てMotherの手のひらの上だったのである。

 

ラストシーン。主人公はMother(の一端末)を倒し、生まれたばかりの弟と共に施設で生きる決意をする。しかし、その姿はどこかかつてのMotherを思い起こさせるものがある。かつてのDaughterは新たなMotherとなって、自分が赤ちゃんの頃に聞いた記憶に無い子守唄を口ずさむ。「♪ Baby mine, don't you cry...」。Motherの思惑は達せられた。主人公は新たなMotherとして「より良い人間」を育て上げていくだろう。かつてのMotherが試行錯誤の末に見出した主人公なのだ。育て方にも、その結果にも間違いはない。ロボットMotherは新たな人類の礎となるMotherをつくりだした。

 

ああ、人類は素晴らしく、そして人類は恐ろしい。旧人類の力であるMotherが生み出した新たな人類はどんな道を歩むのか。

 

と、全てぼくの妄想である。なかなか映画を楽しんでいると言えるのではないだろうか。