続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

ローマ アルフォンソ・キュアロン

キュアロン監督がNetfilixオリジナルで制作した映画。これが金獅子賞を受賞したという事で、映画界には少なからず衝撃が走ったものと思われる。

 

物語は1970年代メキシコの中流白人家庭とその召使いクレオを描く。多分実際に同じようなことがあってであろうリアリティある映画である。

 

そこにはスーパーヒーローや魔法は存在しない。ただごく普通の人間が暮らしている。そしてそれをごくごく自然に受け入れることができる。映画が元々描いていたのはそういう当たり前の人の暮らしである。この作品が評価されたのは「そろそろその原点を見直す時期だ」ということかもしれない。

 

SFブームに始まって、CGの劇的な進化に伴い映画はどんどん現実から離れてきた。僕らのような世代(20−30代)はあまり映画にリアリティを感じる事はない。一企業の社長がハイテクスーツに身を包み戦う事はないし、クモ男が飛び回っているのは空想のNYだ。映画の中にいる僕らのような普通の人はどんな生活をしているのか、そんな事は描かれていないし、描く必要もない。映画の世界は現実から離れすぎてしまった。

 

今こそ、現実を描く映画が必要なのだ。人々はそこから学ば部ことができる。現実を生きることを。生きる力をもらう、と言ってもいいかもしれない。

 

映像面ではまず白黒映画というのが挙げられる。今の時代に白黒なんて、と思うかもしれないが、白黒には白黒の良さがある。空想の余地があるというのは作品の面白さに関わる大事な要素だ。あの絨毯の色は、空の色は、観客のイメージに委ねられる。映画は観客が見て完成する。情報を詰め込みすぎては、観客に空想の余地がない。ピンからキリまで、いろいろな感想が出てくるのがいい映画なのだろう。

 

あとは、ところどころに挿入される飛行機が印象的だった。地上で生きる人々と対比して、それは自由を象徴しているのかもしれない。ただ、鳥ではないところに現代っぽさを感じるし、皮肉っぽさも感じる。飛行機は人が作ったものだし、飛行機で論でいる間むしろ乗客は不自由を余儀無くされる。自由な暮らしなど存在しないのかもしれない。それは、オープニングで描かれた水面に映る飛行機のようなものかもしれない。

 

個人的には映画館で観たい映画だった。ノートパソコンの小さな画面を2時間観るのはしんどい。疲れて退屈してしまった。なんだかんだで映画館ってよくできた空間なのだ。