続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

日日是好日 大森立嗣

「まずは形をつくるの。そこに心が入るのよ」(武田先生)

1997年。大学生のノリコは、ひょんなことから近所の武田のおばちゃんのもとへお茶を習いに行くことになる。武田のおばちゃん改め武田先生のもとへ毎週土曜日はお稽古に。最初はいやいやながらの習い事だったが、次第にノリコの生活からお茶は切り離せないもになっていくのであった。


あんまり邦画はみないのだが、映画館で予告をみて「これは観とこう」となった作品。禅宗に由来するタイトルもいいし、お茶にもへうげものの影響で少し興味がある。なにより樹木希林演じる武田先生が良さそうだったのだ。

これは「現代の茶道」の映画である。平成の世の中に茶道を学んで何の得があるのか。なんの意味があるのか。その答えのいくつかがこの映画の中にあると思う。

1つは静けさを得ることだろう。週に一度のお稽古は茶道の型を学ぶ時間であり、決まった所作を繰り返し研磨する時間である。日々雑然と生きる平成の人間にはこのような安定感のある時間は滅多にないだろう。貴重な時間である。もちろん稽古中であるから、自分の所作に集中する。この静けさこそが重要である。

感じ入るためには、己を安定した状態に置かねばならない。自分がフラフラしていては、見えるものも見えない。劇中、ノリコはお湯と水の発する音の違いを感じ、雨音の違いを感じていた。心穏やかに静けさを会得したからこそであろう。

作中では時代が大きく変化していく。2000年前後はいろんなことが変わった時代だった。携帯電話、パソコン、インターネットの普及など、世の中を大きく変えるものが続いた。時代に振り回されず、自分の目線を保つため、茶道は大きな役割があるといえる。

これに呼応するように、ノリコを含む大くの登場人物は時間とともに変わっていく。しかし、武田先生は変わらない。ずっとおばあちゃんである。武田先生の不変がノリコを際立たせるのである。とかく時代の流れが早くなり、それに合わせた変化が賞賛される世の中、見直すことがあるのではないだろうか。