続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

『君の意思ではない』(ロジャース)
『だが、俺がやった』(パッキー)

今年のGWは話題になった映画が多かった。このシビル・ウォーもその1つ。

強大な敵をヒーローが倒す、というドラゴンボール的なマンネリから脱するため、ストーリーはヒーローvsヒーローへ。『アイアンマンとキャプテン・アメリカはどっちが強いの?』は子供達の永遠のテーマだろう。面白くならないわけがない。

バトルシーンはさすがの迫力。ヒーロー達が力を尽くし戦う姿はカッコいい。ヒーロー達の人間関係も広がる。親愛なる隣人も装いも新たに物語の幕を上げた。

この映画のテーマは『力と意思』だと受け取った。ヒーロー達は超常的な力を持っている。中には核爆弾に例えられるほどのものも居る。しかし、力とは使い方である。力そのものは正義ではないのだ。悪役達だって化け物じみた力を持っている。

アイアンマンのように力を管理するのか。キャプテン・アメリカのように自らの意思で力を行使するのか。この辺の対立はアメリカらしい、

この映画を面白くするのはウィンター・ソルジャーことパッキーの存在だ。彼はキャプテン・アメリカと同等の力を持つ。かつて悪の組織に洗脳されたことがあり、特定のキーワードで簡単に操られてしまう。ウィンター・ソルジャーは力も意思も強い。しかし、そこに乖離がある。彼を受け入れることができるのか。それが社会に問われるテーマなのだ。キャプテンとアイアンマンはその対立軸の代表に過ぎない。

ヒーローvsヒーローの皮をかぶり、この映画は素晴らしいテーマを内包した。永遠に問われるべき、答えなきテーマだ。