続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

感じること

感じることが大切だと思うメモ。

絵とか音楽とかに触れ合っていると、ときどきズガーンと圧倒されることがある。なんかこうすごいパワーみたいなものを感じる時がある。ズガーンとパワーを感じるからにはそこに理由があるはずなのだが、考えてみても案外理由をはっきりさせることができないことのほうが多い。不思議なことだが実際そうなのだ。

それでも実際にその絵や音楽の中に「何か」はあるのだと思う。ただ困ったことにそれを「考える」ことはできない。しかし辛うじて「感じる」ことはできる。これがたぶん大事なことで「自分の限界の外にあるものは、考えても理解出来ないが、感じることはできる」ということなのだろう。感じるほうがより敏感なのだ。そして、感じたことについて考えることはできる。逆に感じなければ考えることはできない。要は感じることが考えることの入り口になるのだ。

そもそも「考える」ということは知識や経験に基づいている。ぼく自身が、人類が、過去に積み上げてきたものに乗って、新しいものに手を伸ばすというのが「考える」ということだ。でも、残念ながら人間の積み重ねてきたものは意外と小さい。世の中にはまだまだ人の知らない不思議なことがいっぱいある。人の知識を地球だとすれば、まだ見ぬ世界の不思議は空に浮かぶ星のようなものだと思う。手を伸ばしても届くような距離ではない。それでも「考える」ことを続けて少しずつ積み上げていけばいつかは必ず星に届く。問題はやみくもに考えを積んでいるだけでは効率が悪いということだ。下手をすれば崩れかねない。

そこで「感じる」ことが重要なのだと思う。「感じる」ことは目の前にあるものをありのままに受け入れることだ。過去の知識や経験とは関係なく、いきなり星を掴むことができる。正確には掴むというより、見据えるというところなのかもしれない。しっかりと星のある場所を確認できるから、それで初めて狙いを定めて「考える」ことができる。あとは星を掴むまでは時間の問題だ。

そういうわけで最初に「感じる」ことができるヒトはすごいと思う。ぼくもできれば何か新しいものを「感じる」ことのできる人間になりたいと思う。