続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

常識の使い方

常識ってやつは使い方が大事だと思うメモ。

ウィキペディアによると、常識とは「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと」だそうだ。つまり、社会のみんなが共有している情報というものが常識なのである。

情報を共有するということは、自然と「プロセスの省略」を引き起こす。本来A→B→Cと進むものが、情報を共有しあっていることでA→Cへと簡略化されることがある。常識はこのために存在するといってもいい。

「プロセスの省略」は特にコミュニケーションの場で役に立つ。コミュニケーションで一番大変なのは細かい説明をすることだ。1から10まできっちり説明するというのは、説明する側もされる側もしんどい。さらに会話がサクサク進まないと人間イライラしてしまう。イライラしてて良いコミュニケーションができるわけがない。常識はテンポよくコミュニケーションを進めるのに必要なのだ。

一方で「プロセスの省略」はものを考えるとき非常に危険だ。一見A→Cにみえることであっても、実際はA→B→Cとより複雑なプロセスを含んでいる可能性がある。こういった場合、A→Cでは万人を納得させうる説明はできないはずなのに、これを常識だからとA→Cのままにしてしまうことがある。これはただの思考の停止だ。常識だから・・・と簡単に流していると大切なものを見落とすかもしれない。だから「考えるときは常識にとらわれてはいけない」と言われるのだ。

常識は社会の中で嫌でもいろいろなところにつきまとう。しかも困ったことに多くの場合は他人から常識を強制されることが多い。うっかりすると常識に呑み込まれて考えることをやめてしまう。常識にも良い面、悪い面があることを認識して、使いどころを見誤らないことが必要だ。