続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

貝殻

 小学生のころ絵画教室に通っていた。ただ、絵を描くのが好きで通っていただけで上手に描くとかはどうでもよかった。絵を描いているだけで楽しかったのだ。


 教室のスタイルとしては、先生の集めた写真からテーマを1枚を選び、それを見ながら自由に絵をかくというものだった。先生は時々みんなの絵を覗いては、ちょっとしたアドバイスをくれる。でも、簡単には褒めてくれない。ぼくは褒めてもらいたくてとにかく写真をキレイにコピーしようと一生懸命だった・・・でもやっぱりそう簡単に褒めてもらうことはできなかった。


 ある時、ぼくがテーマに選んだ写真は、たぶんどっかの雑貨屋さんの商品棚のようなものだったと思う。色んなものが並べられて、不思議な感じだった。ぼくはいつものようにキレイに写真をコピーしようとしたが、ふとその写真の隅に写った巻貝が目にとまった。なんだかわからないがそれを描きたいと思った。自由に描くのが教室のスタイルなので、当然ぼくはそれを描くことにした。しかし、思いっきり大きく貝殻を描こうと絵の具箱を開けたとき、なんという不幸か黄緑の絵の具のチューブが破れていたのだ・・・。別にほおっておけばいいのだが、ぼくは生来の”どけち”でありそんなことはできなかった。この絵の具を使うしかない!そう思ったぼくは写真では白い貝殻を黄緑でおもいっきりでっかく描いた。完全に勢いまかせだった。ただ、不思議と気持ちいい絵が描けた気がした。


 勢いにまかせて筆を走らせまくっていると、いつものように先生が絵を覗きこみにやってきた。正直、こんな勢いだけの、写真の隅っこの貝殻を、色もちがうのに描いたってだめだろうと思っていた。僕から見ても褒められるような絵じゃないのは明らかだ。
・・・が現実は違った。どういうわけかぼくの絵は先生の目に止まり、これがべた褒めだった。何を褒められたのかは覚えていない。ただ「いい絵を描けるようになった」と言われたのは覚えている。たぶん、初めて先生に褒められた・・・そのインパクトからかぼくはこのことをずっと覚えている。


 ぼくはいったい何を褒められたのか。長らく謎であったがふと今日その理由がわかった気がする。ぼくはこの絵ではじめて「想像力と創造力」を発揮したのだ。そして、それは絵を描くことの本質のひとつなのだろう。
つまり絵を描くとは、1次的な情報(写真、物語など)をもとに自らの想像力で味付けをし、絵としてとぎすまされたビジョンを作りだす。このビジョンを自らの筆でもってキャンバスに創造する。この2つの段階で構成されることが絵を描くという行為なのだ。そして、画力を上げるということは、よりとぎすまされたビジョンを作りだし、よりよい技術でこれを創造することなのだろう。


 ぼくはあの貝殻を描いたとき、あまりに偶然すぎてそのことがよくわかっていなかった。しかし、偶然にせよなんにせよぼくはあのとき初めて「絵描き」としての舞台にたったのだ。それを先生は褒めてくれたのだろう。
残念ながらそのすぐあとにぼくは絵画教室をやめることになってしまった。貝殻の絵も未完成のままである。でも、キャンパスと画材はまだ残っている。いつかあの貝殻を完成させて、先生のところへ持っていきたいと思う。