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続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

遊ぶ

 お金を使わないと遊べない人がいる・・・と思う。お金を払っておもしろいものを見に行き、いつもよりいいものを食べてパーっと遊ぶ。そういうものこそが遊びであり、そうでなくては遊びではないとする人がいる。少なくともぼくの周りにはそういった人がごく少数だがいるように思われる。ちょっとそれは違うんじゃないかとぼくは思う。ぼくは学生だし、基本的に贅沢な暮しが出来るような身分ではない。お金を使わないで済むのならそれで済ませたい人間だ。当然金をパーっと使うのにも慣れていない。そんなわけでぼくには上のような人を理解できないのだと思う。ただ、「遊び」というものを考えてみればやっぱりおかしいと思うのだ。


 「遊び」は人が集まることで始まるものだ。1人で遊ぶのはつまらない。複数の人がそれぞれの情報を持ち寄って、それらがおこすある種無秩序な化学反応が「遊びの本質」である・・・とぼくは考える。もちろんひとり遊びってのもあるのだが、その時は友達の代わりにおもちゃや本やテレビなんかが必要で、こういったものから取り入れたものを自分の中で化学反応を起こさせているのだ。当然情報を自分で無意識に制限するから化学反応も制限される。おもしろみに欠けるのだ。
そして、人は本来自然と集まるものだ。人は一人で生きていけないなんて言葉はよく聞くし、ずっと1人でいるのは大抵の人はつらい。インターネットの普及は「ひきこもり」なんてを作り出したけど、これも結局ネット上で人とのつながりを感じることができるから成り立つものだと思う。あらゆるつながりを断たれたら、ぼくはくるってしまうだろう。人がつながりを求めて自然と集まるなら、自然と「遊び」も始まるものだ。事実ネット上では匿名で集まった人達が「遊び」をしている。


 「お金を使わないと遊べない」というのはつまるところ「人を集めるためにお金を使わないといけない」ということなのだろう。つまりなにか理由をつけないと集まる事ができないのだ。原因としては上下関係だったり、男女の差であったり、物理的な距離であったり、単純に普段疎遠であるのかもしれない。そういうちょっとした壁を崩すためにお金を使う。悪いことではないが、何度も同じ友人に対してそれを行うということは、毎回その関係をリセットしている・・・つまり自分で壁をまた作っているのか、相手に壁をつくられているのかのどちらかなのだろう。前者であれ後者であれ、あまりいい人間関係とはいえない。


 結局、「遊び」=「お金を使って人を集める」になっている人は、壁を壊す→また壁ができる→壊す→また壁ができる・・・という不毛な無限ループにはまっているのだ。ただ、壁を壊すことができるという自分の社交性の高さに酔っているので本人も気づいていない。たぶん、そんなとこじゃないかと思う。


 幸い、自分の周りには多くはないが、ふらりと集まってバカな「遊び」にのってくれる連中が何人かいる。思えばこういう連中はぼくとの間に壁を築かずにいてくれてる連中なのだ。なんだかすごくありがたい気がしてきた。もうちょっと大事にしようと思う。