続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

「他人の目」が気になる人へ 水島広子

「想像上の他人」から「目の前の人間」へ

アマゾンで売れてたので買った本。本の内容は優しく、人の心のあり方を見つめなおさせてくれる。生きづらいと感じる人(ぼくもそうだ)は読んでみるといい。少しだけ、生きる苦しさがマシになるだろう。

さて、それはさておきこの本が売れているということが大事だ。つまり、今の世の中にこの本の内容が必要とされていることだ。それぐらい生きづらさを感じている日本人は多いのだろう。その原因はなんだりうか。政治、経済、少子化、都市への一極化?とかく現代の日本社会は心に負荷をかける。気持ちはネガティヴになり、様々な形で制約が課される。チャレンジなき社会は滅びていく。ぼくたちはあとどれぐらい生き残っていけるのだろうか。

禅とジブリ 鈴木敏夫

禅とジブリ

禅とジブリ


この時代をどうやり過ごすか?(帯より)

ジブリのプロデューサー・鈴木敏夫と3人の禅僧との対談。

鈴木さんの哲学と時代を眺める目線を感じ取れる。

ところで、この本に興味を持ったのはポッドキャストで鈴木さんのラジオ「ジブリ汗まみれ」で、この対談の一部を聞いたからだ。で、結局この本の内容の半分ぐらいはラジオで聞いて知っていた。さらに元々対談なので、ラジオで聞いた方が細かなニュアンスが読み取りやすい。というわけでこの本よりもポッドキャストを聞くのがオススメだ。

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶

 

 

西洋哲学に続いて、東洋哲学の入門書。古代インドの哲学、古代中国の哲学にはじまり今日の仏教、禅に至るまでを、やはり著者独特の軽いオタクっぽいのりで紹介する。マンガネタやネットスラングを取り込むその作風は、改めて思うと今の若い人に「哲学」というものを少しでも近づけようという著者の作戦なのかもしれない。

 

日本人なので、なんとなく断片的に知っている話は出てくるが、やはり大きな歴史の流れはわからない。その大きな流れを少しわかった気にさせてくれるのがこのシリーズのいいところだ。たぶん、細かくみれば誇張された表現などもあって、正確ではないのだろう。それは哲学に興味を持ち、自ら学ぶ中で発見していけばいい。そういう気にさせてくれるのだから、まさに入門書である。

 

しかし、東洋哲学は西洋哲学と全く異なるもので驚いた。そして、哲学が生み出す文化の中で僕たちは生きている。日本人は少なからず根幹に東洋哲学の染み付いた文化の中で育つ。しかし、社会は否応なく西洋文化に飲み込まれている。根っこにある東洋文化と表面を覆う西洋文化。これらが複雑に混じり合った中で現代の僕たちは生きているのだ。

ボヘミアン・ラプソディ ブライアン・シンガー

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)

伝説のバンド・クイーンの伝説物語。虚実入り混じった物語は、バンドが史上最高のパフォーマンスを魅せたライブ・エイドへ向かって突き進む。

個人的にクイーンの音楽は好きだ。中学生ぐらいの時に何気なく聞いたボヘミアン・ラプソディに衝撃を受けたことを覚えている。「こんなに自由に音楽をつくっていいのか」という衝撃だった。当時、ぼくの周りに聴こえていたもっともらしいことを嘯く音楽とは全く違うものだった。

クイーンといえば個性的にして最高のボーカル、フレディ・マーキュリー抜きには語れない。この映画も基本的にはフレディの人生を中心に、クイーンの歴史を描く。その強すぎる個性と才能ゆえに仲間と衝突し、孤独に陥るフレディ。破滅的な生き方の中で、それでも彼を支えたのはほんとうの愛情だったのだろう。

映画はラストのライブ・エイドのステージに向かって進む。むしろこのステージから逆算されて物語が作られている。巧妙に虚実を織り交ぜた結果、ラストの盛り上がりは最高潮に達する。よく出来た脚本である。

予告映像時点ではフレディ役がそっくり驚いた。しかし映画を見ると他のメンバーもそっくりで驚く。ブライアン・メイなんて本人かと思ってしまった。ライブ・エイドのステージはほぼ完全コピーで驚くしかない。もうこの人達が新生クイーンを結成してもいいんじゃないかと思うほどであった。

オタクの迷い道 岡田斗司夫

 

オタクの迷い道 (文春文庫)

オタクの迷い道 (文春文庫)

 

 「ネットというものは差異がどんどんなくなる社会で、だからこそ差異こそが最も価値を生み出すんですよ」(著者)

 

OTAKU文化って、ここ10年ぐらいで広く認知されて、今では1つの趣味趣向として確立されたものだと思っていた。しかし、どうも違うらしい。この本には2000年前後のオタクの動向が記録されている。オタクはもっと根深く、そして「濃い」存在であることがおの一冊から十分すぎるほどに伝わってくる。

 

近年の「オタク」はどうやらファッションオタクとでもいうべきもののようだ。「OTAKU」とは「調べ尽くしたい。語り尽くしたい」というある種病的なまでの心の病(笑)である。アニメが好き、とか二次元に行きたい、みたいな薄っぺらい感情ではないのだ。

 

とはいえ、社会情勢は大きく変化し、オタク事情もかわっていく。これはある意味文化人類学的現象なのかもしれない。オタキング岡田斗司夫はその中心を駆け巡り、記録を残す存在である。50年後、100年後、1000年後には、この本が日本文化人類学の引用文献となるのかもしれない。それまで人類が存続し続ければの話だが。

ヴェノム ルーベン・フライシャー

映画チラシ ヴェノム トム・ハーディ

映画チラシ ヴェノム トム・ハーディ

「we are VENOM!」

スパイダーマンの宿敵、スパーヴィラン、VENOMがついに映画化。

サム・ライミスパイダーマンが大ヒットし、ヴェノムの登場が期待されたのはもうずいぶん昔の話だろうか。結局3作目に登場したヴェノムは「こんなのヴェノムじゃねぇよ」とつっこみたくなるガリガリ野郎だった。挙句、中ボスポジションであっさりやられ、メインヴィランの座はマッドマンに奪われる始末。そして進行中だったスピンオフ映画はいつのまにか忘れ去られるのであった。

そんなVENOMがついに陽の目を見る。デップーが大ヒットした時に、「これはヴェノムが来るぞ」と思っていたが、思いの外早く世の中には現れた。ありがとう、ソニー

本作のヴェノムはとりあえず宿敵スパイダーマンとは無関係ということになっている。宿主であるエディはデイリービーグル社をやめ、スパイダーマンに会うことなくニューヨークの街を離れた。新たにサンフランシスコの街で記者として活動するエディだが、持ち前の正義感と権力に立て付く衝動を抑えられず仕事をクビになってしまう。彼女にもフラれまさにどん底。さらには事件に巻き込まれ、とうとうエディはシンビオート(ヴェノムを含む寄生生物の名前)に寄生される。自分の中に巣食う化け物に戸惑うエディ。果たして、エディとヴェノムはどうなってしまうのか。

劇中のアクションシーンは実に楽しい。筋骨隆々、驚異的な動きで敵をなぎ倒すヴェノム。獣のように獰猛で、一方で一瞬の隙も無い冷静な動作。これをぼくらは待っていた。

また、宿主エディを気遣うヴェノムの言動も面白い。「扉を開けるな」という類の注意から、「今彼女に謝らないとチャンスがなくなっちゃうぞ」という恋愛関係のアドバイスまで。ヴェノムさんマジ優しい。なんて気遣いのできる寄生生命体なんだ。

ラストシーンは鋼の錬金術士オマージュだろうか。めっちゃグリードっぽい。グリードの元ネタ自体がヴェノムみたいなところもあるので、不思議な感じだが、もしそうならいいなと思う。

原作のヴェノムとは結構設定が変わっているので、気に入らない人もいるかもしれないが、個人的には十分楽しめた。75点ぐらいだろうか。シリーズ化はどうかと思うが、スパイダーマンが登場できれば熱いかもしれない。

陰陽師 酔月ノ巻 夢枕獏

 

陰陽師 酔月ノ巻 (文春文庫)

陰陽師 酔月ノ巻 (文春文庫)

 

 「この天地すらも、往くものじゃ」(天帝)

 

陰陽師シリーズ第・・・何作目だ。もうわからなくなってきた。もはや夢枕獏のライフワークとも言えるシリーズ。あとがきをみるともう25年も続いている。いや、この先のシリーズもあるから、すでに30年は経っているのだろうか。

 

ライフワークとなっていることもあり、作者の人生のあれこれが如実に反映される作品である。本作のあとがきには、作者は自分が「秋」にあると述べている。若い始まりの春にはじまり、血気盛んな夏を過ぎ、落ち着きと豊穣の秋に書かれた陰陽師。平安の夜の闇を、より詩的に描いていく。

 

本作には李白漢詩がよく出てくるのが特徴的であった。平安の暗い闇を思いながら読む漢詩はまた趣があって良い。心地よい読後感が残る。