続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

第2図書係補佐  又吉直樹

 

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)

 

 

漫才師にして芥川賞作家の又吉直樹が自分の傍にある本を語る。

 

とはいえ書評ではなく、様々な本をきっかけに著者の思い出というか、エッセイのようなものが綴られる。たまに本の感想もあるけれど。

 

自分が読んだことのある本が出てくると嬉しい。読んだことのない本は読んでみたい。そんな感じの気楽な一冊。個人的には「巷説百物語」「江戸川乱歩傑作選」「銀河鉄道の夜」「リンダリンダラバーソール」あたりが取り上げてもらえて嬉しかった。

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン

アヴェンジャーズ第2作。ロキの杖を意外とあっさり手に入れたアベンジャーズ。これで全てが丸く収まったかと思いきや、アイアンマンことトニー・スタークの好奇心と心の弱さが仇になる。いずれ来る脅威に備え完璧な防衛システムを作るウルトロン計画を独断で進めるトニー。しかし、ロキの杖に埋め込まれたマインドストーンに宿るAIがウルトロンのボディを制圧。かくして、完璧な防衛システムは世界の敵として立ちはだかる。

改めてみるとアベンジャーズの微妙な人間関係がよく描かれていて面白い。トニーとロジャーの微妙な距離感は絶妙だ。盛りだくさんの内容を、人間関係を軸にしてうまくまとめている。ゴチャゴチャしがちなアベンジャーズの中では非常にスッキリしている。

内容も盛りだくさんで、ウルトロンとの戦いを通しつつ、ヴィジョンの誕生、JARVISからFRIDAYへの切り替え、ハルクvsハルクバスター、ホークアイのご家族紹介などなど。冒頭のスタイリッシュな闘いも観客を引きつける。

最新先ではビビってほとんど出番がなかったハルクだが、この頃は大活躍していた。次回作ではハルクがこの頃のように大暴れする姿を見たいものだ。

かぐや姫の物語 高畑勲

結果的に高畑勲監督の遺作となった本作。監督は最後まで、冷静で正確な作品作りに徹した。それこそが高畑イズムであり、高畑監督の教養であったのだろう。宮崎駿が惚れ、青春を費やした高畑監督。それがこの作品に集約されていると思うと思う。

原作である竹取物語は日本最古の物語である。タイトルからもわかるように原作の主人公はあくまで竹取の翁である。そこを「かぐや姫」の物語としたところは、高畑監督の教養によるところなのだろう。現代人に魅せるべきは翁の姿ではなく、かぐや姫の姿であったということか。

劇中には、日本古来の文化が正確に描かれる。重要なものは「天井人」の存在だろう。古来日本には苦しみも悲しみもない天井の国が存在し、そこには永遠の命を持つ天上人が存在すると考えられていた。地上は苦しみに溢れる世界であり、汚れた世界であった。我々日本人は汚れた世界の一部であった。かぐや姫は違う。彼女は天上人であり、罪を犯した罰によって地上に降ろされたのだ。姫の罪とは何か?その解釈は人それ俺なのかもしれない。僕は映画を観て、姫の罪とは「地上への、地上で苦しみながらも必死に生きる生命への、憧れ」であると感じた。

天上人は不死の存在である。故に生の苦しみも、生の喜びもない。生老病死の苦しみがあって、人は初めて生きる喜びを得る。ただ、永遠に存在し続ける天上人に生きる喜びを味わうことはできない。故に、天上人には感情も記憶もないのだ。終盤、かぐや姫はに天上の羽衣をかけられ全ての記憶や感情を失うのはそのためであろう。

生きることは苦しい。しかしだからこそ、その喜びがある。これが高畑監督の生への教養ではないだろうか。そしてその教養がジブリ映画を作ったといっても過言ではないと思う。宮崎監督は常々「子供達に生まれてきてよかったんだよ」といえる映画を作っているという。高畑監督の思想が宮崎駿にも受け継がれているのだ。

今の日本人には教養がない。高度な教育も、恵まれた環境もあるが、日本人は教養を失った。生きることを苦しいと感じ、なおもその生に立ち向かう日本人が今の日本に何人いるだろうか。真の教育者は子供達に教養を身につけさせるべきだ。知識や知性はその土台にすぎない。

志らくの言いたい放題 立川志らく

 

志らくの言いたい放題 (PHP文庫)

志らくの言いたい放題 (PHP文庫)

 

 「談志最高の名言が『人生成り行き』なのでございます」(著者)

 

ぼくが立川談志という孤高の落語家に遭遇したのはいつだったか。談志の鼠穴に震えた。それから、ぼくにとって落語とはすなわち「談志の落語」である。今のところあの衝撃を超える落語に、ぼくはまだ出会ってはいない。

 

さて、本書はその立川談志の弟子のひとり、立川志らくの一冊。この人は談志の思想や論理を深く継承している。落語のという芸は個人のものであり、個人の根底にあるものを抜きに語ることはできない。同じストーリーでも、噺家によって異なる印象を与えるのは、個々人のもつ思想や論理が噺に大きな影響を与えるからなのだ。

 

談志イズムに傾倒し、自ら談志原理主義者をなのる著者は、実に明確に、実に狂気的に談志を吸収しようとしている。ここに垣間見えるのは「師匠と弟子」のひとつの理想形だ。師弟関係はもはや古臭い制度なのかもしれない。だが、この制度を持ってしか受け継げないものもあると思う。著者の言葉を借りればそれは「価値観」というものだろう。

 

この本を、できれば中高生に読んで欲しい。「師匠を選ぶ」なんてのは古臭い考え方かもしれない。だが、形を変えながらも、実は人が学ぶことのできる対象は「人」か「事実」のどちらかしかない。どんな人間も生きる道を学ばなければならない。学ばなければ死あるのみだ。「事実」から学べる人間はごくわずかだ。天才と呼ばれる人たちだ。天才でなければ人に学ぶしかない。著者と談志の関係は、人から学ぶ一つの理想形である。未来ある若者は知って損はないだろう。

三島由紀夫レター教室 三島由紀夫

 

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

 

 

世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心をもつのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。(作者)

 

5人の登場人物の手紙をそのまま提示することで物語を紡ぐ。手紙小説とでも分類すべきものなのか、ちらほらと見かける形式だ。個人的には「若きウェルテルの悩み」や「夜は短し歩けよ乙女」など好きなカテゴリの小説だと思う。

 

老若男女がそれぞれの思惑で、狭い社会を揺れ動く。そのさまが手紙のやりとりだけでよくわかる。またそれぞれのキャラクターを手紙の文章で表現していくあたりに、作者の凄みを感じる。

 

この本は「レター教室」である。作者はまえがきで作中の手紙を自分が筆を執る際の参考にして欲しいと述べる。登場人物に老若男女を据えることで、幅広い読者の参考になるようにと作者が考えていることがわかる。この本をよむとき、読者は自分と自分に最も近い登場人物に自分を重ね合わせて読むのだろう。また、時を経ればこのこの本には新しい見え方がある一冊とも言えるはずだ。

 

文章や言葉は人の心に働きかける力を持つものだ。三島由紀夫はもちろんそれをよくわかっているのだろう。あとがきで作者は決まり文句の無難な手紙も良いが、人を惹きつけることこそ大切だと説く。それは、日本人からその力は失われつつあることを嘆いたからではないだろうか。だから、この一冊で日本に教室を開いたのだとぼくには思えた。

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー

 

 MCUの最新作。アベンジャーズはこれで・・・3作目?なんかもっといっぱいあったような気がするが、アベンジャーズをタイトルに冠するのは3作目。やっぱりアベンジャーズは各フェイズの締めの役割が強いようだ。

 

ついに最強の敵サノスが動き出す。宇宙の理を司る6つのインフィニティ・ストーン。これがサノスの手に全て渡れば、なんと指パッチンで全宇宙の半数の生命が消えて亡くなる。果たしてヒーロー達はサノスを止めることができるのか。

 

で、感想ですが「これ前編だけじゃねーか!」です。どうやらすでに後半の撮影も済んでいるらしく、来年公開とのこと。いや、予告にそんな雰囲気だしてなかっただろうが。個人的には映画は1本ずつが作品であって欲しい。続編で別のテーマを扱ってもいいけど、一つのテーマは一つの作品で消化すべきだ。本作は1本にまとめられなかったのか。

 

とはいえ、膨れ上がったMCUの世界観を、アベンジャーズとして1本にまとめるのは難しい。なんせそれぞれが主役を張れるヒーロー達の集まりだし、前作シビル・ウォーの経緯もありチームではなくバラバラに行動する。加えてガーディアンズとかスパイダーマンとか、これまたアベンジャーズとは別行動の新キャラも加わって収集がつかない。脚本家泣かせの設定といえる。こんなパワー溢れるキャラたちに、それぞれに花をもたせつつは話をまとめようってのは無理難題である。結果、各ヒーローの掘り下げは浅く、作品全体の薄っぺらさは否めない。

 

おそらく制作サイドもそれに気づいていたのだろう。ヒーローがダメならヴィランを掘り下げる、ということでサノスを掘り下げている。しかし、これもなんともビミョウである。サノスの行動原理は悪ではなくなってしまった。彼は宇宙規模で進む人口(?)増大を解決すべく、ちょっと生命の半分を間引こうとしただけなのだ。いや、十分無茶苦茶だけど、中途半端に善良な哲学がうかがえる。しかも感情移入しにくい。イカレタ善良な市民というキャクターは理解に苦しむ。恐怖のもとにしかならない。結果、制作サイドが意図していたと思われる「アンチ・ヒーロー」的なサノスは客席には届かなかった。

 

本作は、サノスとアベンジャーズの闘いを描いた前半であり、ヒーロー・サノスの側面を押し出した一作である。自分以外の誰かのために闘うなら、彼らは皆ヒーローである。