続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

うつ病をなおす 野村総一郎

うつ病をなおす (講談社現代新書)

うつ病をなおす (講談社現代新書)


2008年に出版された新書。
30年にわたり精神科医としてうつ病に取り組んできた著者の目線でうつ病を取り巻く現状がまとめられている。また後半にはうつ病とは何かという点にも光が当てられる。

医療の進歩は目覚ましいので、すでにこの本の情報は古いものだと思うが、それでもうつ病への理解を進める上では読んで見る価値はあるように思う。うつ病の発症機序仮設など、鵜呑みには出来ないが、うつ病を病気として観る考え方がわかる。

うつ病をに対して日本人はついつい精神論や根性論で解決しようとしがちである。改めて、うつ病は病気だと認識する必要があるかもしれない。

地下室の手記 ドストエフスキー

 

 

ぼくは病んだ人間だ・・・・・・ぼくは意地の悪い人間だ。(手記の著者)

 

地下室にこもり手記を綴る作者。この作品はその手記そのものであり、全ては作者の独り言に過ぎない。そこに描かれるのは、人の世に苦しみ、世を捨て、人間とは何かを追い求め、結果身動きの取れなくなった悲しい男の姿である。

 

すべてはフィクションである、しかしドストエフスキーはまえがきでこの手記の作者のような人物は広く存在するだろうと書く。それはもちろん当時のソ連の社会においてと言う意味であるが、ぼくには今の日本にもこの手記の作者のような人が多いように感じる。

 

歴史に詳しくないので当時のソ連の社会のことはよくわからないが、バリバリの社会主義というのは窮屈なのだろう。手記の作者も、理性にとらわれず人間の本能の開放を訴える。いまの日本も、どこかそういうところがあるんじゃないだろうか。人間の本能をむき出しにする場が失われているのではないだろうか。

 

人間は理性の皮をかぶった獣かもしれない。だが、獣の部分も含めて人間なのだ。そういう目線も、社会を作る上では必要なのかもしれない。

山猫珈琲(上巻) 湊かなえ

山猫珈琲 上巻

山猫珈琲 上巻

湊かなえのエッセイ詰め合わせ。
「告白」を書くような人がどんなことを考えているかと思ってよめば、いたって普通のいいおばちゃんなのである(失礼)。

朝の空き時間にちょこちょこ読み進めた。珈琲にあう、力の抜ける一冊といえる。

グレイテスト・ショーマン

 

19世紀アメリカ。 幼い頃から空想好きだったバーナムは、相手の親の反対を押し切り資産家の娘と結婚する。貧しくも幸せな家庭を築き、2人の娘にも恵まれる。しかし、あるとき務めていた会社が倒産する。妻のため、娘のため、バーナムは奇人を集めたショービジネスを行う。賛否両論有るがショーは一定の成功をおさめ、いつしかサーカス(馬鹿騒ぎ)と呼ばれるようになるが・・・。

 

うーん。薄い。映画は限られた時間に内容を盛り込むので、詰め込むほどに味が薄くなる。この映画はその典型だろう。当然、全体に展開も早すぎる。

 

ミュージカルのいいところは歌とダンスの力によって多少強引に、かつ観る人に自由な解釈を与えながらストーリーを進行できるところだが、いくらなんでも強引過ぎる。冒頭の青年バーナムが将来の妻と仲良くなるシーンなんて意味不明だし、中身もない。とても登場人物の心が動いたシーンにはみえない。

 

ミュージカル映画なのに歌と踊りがストーリーに馴染んでいないのも気になる。ミュージカルたるものストーリーの進行に歌と踊りが組み合わせられていくものだろう。歌と踊りをやっておいて、ストーリーはまた別で進行するシーンがおおい。これならストーリー部分だけでも映画になるんじゃないのか?歌と踊りの中で、ストーリーも進行していくところがミュージカルの楽しさだろう。

 

登場人物もキャラが薄い。伝記映画としての側面があるからかもしれないが、まずバーナムのことがよくわからない。なぜショービジネスに手を出したのかもわからない。金と名声のためならなんでもやるキャラを出しておきながら、後半で初心を思い出したかのようなシーンでは妻と娘の写真を見つめていた。お前そんなキャラじゃなかっただろう。ほとんどペテン師だったじゃないか。ペテン師の主人公に感情移入できないのも観客としては辛い。

 

サーカスの団員も薄味だ。この映画で最も見せ場になると思われる「異端の人間の心の闇」と「心の闇の開放」はあっさり流された。結局彼らの大半は名前もわからず、その異端っぷりもよくわからない。彼らの迫害の歴史を真正面から描いてこそ、この映画は価値あるものになったはずなのに。広告ばらまいたらあっさり集まったメンバーという感じで終わらせてしまった。実にもったいない。「仲間」は「集まるまで」が最高に盛り上がるし、その後のストーリーを引き立てるのだ。そこのとこが雑すぎる。

 

コレで全てではないが、批判ばっかりしても仕方がない。箇条書きで良かったところも残しておこう。

 

・音楽はすごくいい。特に「This is Me」は良い。この音楽を最大限活かす脚本にすべきだった。

・サーカスのシーンは迫力がある。

・バーナムの娘2人がかわいい。だが、作中それなりに時が流れているはずなのに娘達の容姿が成長しないのが気になる。

・いつの間にかサーカスに参加していた象達がかわいい。火事にあってもサーカスを見捨てないとてもいい子達である。CGかもしれないが。

 

というわけでレンタルDVDで観るのをおすすめします。もちろん見なくても可。ララランドを観直すか、レ・ミゼラブルを観るほうがミュージカル映画を楽しめるでしょう。

 

 

フローズン・タイム

 

美大に通うベンは恋人に振られ、その苦悩から不眠症に陥る。割り切ってスーパーで深夜のバイトを始めるベンだったが、様々な人間関係から苦悩は更に高まる。そしてベンは時間を止める(DIOかよ笑)という能力に目覚めるのであった。 

 

原題はCashback。邦題も悪くないと思うが、原題を知っているほうが味が出るように思われる。あと監督がもともと写真家であるということもポイントだろう。静止した世界というテーマで監督の力が思う存分に発揮されている。

 

個人的には可もなく不可もなくという映画だろうか。部分部分では惹かれるところもあるが、全体としては冗長である。たぶんこの内容を30分ぐらいのショートフィルムでやったほうがインパクトがあるんじゃないだろうか。ただ、グダグダ感も楽しむのであればいいかもしれない。イギリス映画らしいといえばらしいが、ぼくはちょっと苦手である。

自閉症の僕が飛び跳ねる理由 東田直樹

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症患者である著者が中学生のときに綴った、自分たちのこと。

ここの本は自閉症というものを理解する上で、とても貴重な資料なのでは無いだろうか。自閉症患者の内面を、非常にわかりやすく質問形式で表している。もちろん著者の「ぼくら」という表現は、厳密には「ぼく」であり、他の自閉症患者も同じように感じているのかはわからない。しかし、同じように感じている可能性は高いだろう。

自閉症という文字が、この疾患に実際とはズレたイメージを与えている気がする。外界からのインプットを遮断し、内面にばかり目がいく。結果として非常に未熟で幼稚で、周りから理解できない性質を獲得してしまうのだと。

だか、この本を読めばそんなことは全くないことがわかる。自閉症患者も外界から多くをインプットし、考え、彼らなりに取り組もうとしているのだ。

自閉症精神疾患である。「精神」というのは意味が曖昧で、捉えにくいのだが、ここでは「心と身体をつなぐもの」という理解が当てはまるように思う。自閉症患者はこの精神にトラブルを抱えているため、うまく身体をコントロールできないのだ。それは手足だけでなく、脳内の記憶や意思決定にも及ぶようだ。その結果として、その行動は外から見ると幼稚で理解できないものに見えてしまうらしい。

しかし、自閉症患者も健常者と同じように、あるいは健常者以上に、複雑で豊かな心を持っている。その心の一端を知ることができるのがこの一冊だと思う。

自閉症を語るなら必ず読むべき一冊だと思った。

劇画ヒットラー 水木しげる

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

「どうしてあなたは、あのいまわしいヒットラーを殺さなかったのですか?」(CIAの職員)
「どうしてって…彼は私の親友だったからです」(クビツェック)
「そうですか……」(CIAの職員)

帯にあるように大変読みやすい。ヒットラー入門書という表現は的を得ていると思う。水木しげるの新たな一面をみた感じ。

登場人物のほとんどが、人間というよりも妖怪じみた顔つきをしているのが印象的だった。妖怪漫画の巨匠が描いたのだから当然かもしれないが、戦争に突き進んでいく人間の狂気のようなものがうまく現れているのではないだろうか。

今はなにかヒトラー映画を見たい気分だ。同じ映画でも、この本を読む前後ではきっと見えるものが違うだろう。