続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

宮本武蔵(五) 吉川英治

 

宮本武蔵(五) (新潮文庫)

宮本武蔵(五) (新潮文庫)

 

 「では」(武蔵)

「では」(権之介)

 

物語は中盤。時代の流れに飲まれてか、武蔵も又八も、登場人物たちは江戸を目指す。まだ御新開とされ開拓が続く江戸の都。この時代の日本のフロンティアで物語はどう動いていくのか。

 

ついに又八と武蔵が再開する。共に関が原で戦った腕白坊主たちは全くちがう道を歩んだ。武蔵を光とするなら又八は影だ。あるいは又八はもうひとつの武蔵の可能性であったのかもしれない。強い光に当てられてか、又八の影はますます色濃くなっていく。誰も望んでいるわけではないのに。人の世はままならない。

 

新旧登場人物が入り乱れ、それぞれの物語が動いている。群像劇はますます複雑になっていく。先が楽しみだ。多いに盛り上がりを高めてくれる一巻であった。

宮本武蔵(四) 吉川英治

 

宮本武蔵〈4〉

宮本武蔵〈4〉

 

 武蔵は一歩退って、両手をあわせた。―しかし、その手は鰐口の綱へかけた手とは違っていた。

 

随分と間が空いてしまったが4巻を読破。吉岡一門を敵に回した武蔵に、清十郎の弟、伝七郎が果たし状を叩きつける。これを切り伏せ、ついに武蔵は吉岡一門全員と壮絶な決闘になだれ込んでいく。

 

印象的だったのは、武蔵が本阿弥光悦に誘われて遊郭で、女郎の吉野に諭されるシーンであろうか。張り詰めた糸のように自分を限界に追い込むだけでは、あまりに脆い。適度に遊びがあるからこそ、琵琶はいい音がするのだと吉野はいう。剣の道を歩むことに夢中で、他の道を顧みなかった武蔵にこれは大きな影響を与えたように思う。

 

上に引用したのは、その後吉岡勢との決闘に挑む直前、武蔵が八大神社で神に祈るシーンの最後のほうの一文だ。武蔵はその直前、無意識に神に頼ろうとした自分を恥じていた。さむらいの道を歩むなら他力を頼ることなどあってはならぬ。己の心の弱さを悔いていた。

 

しかし、一瞬、武蔵は思い直して手を合わせる。そうさせたのは、吉野の言葉ではなかっただろうか。

ブレードランナー2049 リドリー・スコット

ブレードランナーは子供の頃に金曜ロードショウか何かで観ただろうか。でもよく覚えてなかったので、この2049を観る前にTSUTAYAで借りて観た。今まで観なかったことを後悔するわけだが、それはまた別の機会に書くとしよう。

この2049は「ブレードランナー」の続編になる。前作同様リドリー・スコット監督がメガホンをとり、デストピア的SFが描かれる。まさか30年以上も感覚を開けて続編が作られると、当時の映画ファンは思ってもみなかっただろう。

映像は進化しつつも落ち着いた感じ。30年前のイメージが今も通用するあたりに当時の監督のキレッキレ具合がわかる。ちょっとエロとグロに走りがちな気がするが、その辺はエイリアンなんかを撮ってきた影響だろうか。

前作も世界観にヨーロッパの漫画アート・バンドデシネの影響が大きいようだが、本作にもその感じは強い。止め絵にしてもアートとして成立しそうなシーンがちょくちょく出てくる。アートのような背景に、登場人物が迷い込むように存在するのはおもしろい。ただ、衣装のセンスは前作止まりか、あまり進化した感じはなかった。時代設定が30年も経ってるから女の子の服装なんてもっと変わりそうだけど。いや、一周まわって戻ってると考えるべきか。

前作のラストがラストなだけに、ストーリー作りはかなり大変だと思うが、個人的にはいいと思う。多くのファンの期待に答えられるんじゃないだろうか。逆に、前作を観ていないとストーリーがよくわからないことになる。時折挟まれる印象的なシーンも「?」になってしまうだろう。

そして70を過ぎたハリソン・フォードの名演が光る。絶妙な演技で、ラストシーンなんて最高だった。ただ監督、70過ぎにはきついシーンが多くないですかね?受けるハリソンもハリソンだけど。

印象に残ったのは、デッカード警部がコンサートホールで、エルビスのCan't help falling loveをバックに戦うシーン。途切れ途切れのBGMが切ない。そして最後に「この曲が好きなんだ」という台詞を吐く。なんとも、悲しいラブストーリーである。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ 川上和人

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。

タイトルからしてぶっちゃけまくりな鳥類学者が書く本。実際の研究のあれこれから、普段の生活で思いついたくだらないネタまで好き放題書いてある。

こうかくとふざけた本のようだが、著者の幅広い知識とウィットに富む文章で、楽しく気軽に研究の世界に触れることができる。居酒屋で話でも聞いているような不思議と楽しい感覚になる。読書は人との出会いである、という人がいるがこの本はまさにそういう本だろう。

楽しく本を読み終えると、鳥類学や研究の世界になんだか興味が湧いてくる。なんだか著者にうまくやられてしまった。

犬 中勘助

犬―他一篇 (岩波文庫)

犬―他一篇 (岩波文庫)

「水臭いではないかえ。わしがこれほど思うておるのにそなたは少しも報いてはくれぬ」(僧)

苦行を続ける僧はある日近所の娘に惚れてしまう。彼女を手に入れるため、彼は呪術で自身と娘の体を犬に変えてしまう。かくして畜生の肉欲に溺れる生活が始まるのであった。

人間の欲の愚かさを描く作品。直接的ではないにしてもなかなかグロいシーンが続く。恋愛の狂気とでもいうところを強調して紡がれるストーリーはホラー作品といっても過言ではない。

僧の愚かさは肉欲に溺れたことだけではない。上に引用したように、愛情に見返りを求めたことにある。愛情はgive and takeではない。give and giveである。結果としては同じかもしれないが、過程が違う。愛したから愛されて当然などとは勘違いも甚だしい。

愚かなのは僧だけではない。最青年軍師は武力と酒の力で無理やり娘を犯す。力に呑まれた人間を象徴している。一方で、娘はそんな青年に会いたいと願う。子供を宿したが故の本能か、あるいは妄念か。見ず知らずの男、しかも自分を凌辱した男に心とらわれる。一見、被害者のように見えて其の実一番の狂気に呑まれているのは彼女ではあるまいか。

人間だって畜生である。その上に理性の衣を纏っているだけに過ぎない。ただ、その衣こそが人間を人間たらしめている。救いようの無いラストも当然なのだろう。本作の登場人物は、早い段階で理性の衣を脱ぎ捨てているのだから。

生命とは何か 物理的にみた生細胞 シューレディンガー著 岡小天、鎮目恭夫訳

 

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

 

 1944年に発刊された物理学者の目線で生命の本質を探ろうとする一冊。まだ、遺伝子がタンパク質であると考えられていた時代を考えると、シューレディンガーの考察の鋭さに驚かされる。ちなみに同年、オズワルド・アベリーらが遺伝子の本質がDNAであることを論文として発表した。

 

古い本であるうえ翻訳本なので読むのに苦労した。読んではみたが今一つ理解できないことも多々ある。ぼくの読解力不足をはっきり感じつつも、それでも物理学者の眼からみえる「生物という系」の新鮮さに触れることができたように思う。

 

たとえば、著者は「なぜ生物は(原子と比べて)こんなに大きくなくてはいけないのだろうか?」と考える。個々の原子は無秩序に振る舞う。しかし、集団として統計学的に見れば、おおむね秩序だった振る舞いを見せる。生物の秩序のためにはある程度の原子集団が必要であると考えたのだ。こんな考え方は生物学者にはきっと出来ないだろう。目線が、立ち位置が全くちがう。

 

「考察する」ということを見せつけられたような、そんな気がした。 

 

聖書物語 木崎さと子

聖書物語 (角川ソフィア文庫)

聖書物語 (角川ソフィア文庫)

聖書をコンパクトな物語にまとめた一冊。
旧約聖書新約聖書をガッツリ読むのは大変だが、これを読めばなんとなく聖書で語られる印象的なシーンを知ることができる。

とはいえ宗教にあまり興味がなく、基礎知識の乏しいぼくにはどうにも読み辛く、眠い一冊であった。なんだかんだで読み切るのに半年もかかったので、たぶん向いていないのだろう。