続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

ブラック・ファイル 野心の代償 シンタロウ・シモカワ

製薬会社のCEO、アーサーはマスコミに叩かれまくっていた。臨床試験の結果を改竄し、その結果薬によって260名もの人々が死んだのだ。そしてついにはアーサーの愛人、エミリーが誘拐される事態に。場面は時をさかのぼり1週間前、弁護士のビルはとある筋からアーサー訴訟の証拠を入手するが…

あらすじをみてると法廷サスペンスっぽいが、実際にはもっとドロドロした人間模様が描かれる。全体的に落ち着いた雰囲気のBGMが続き、なかなかの緊張感だ。

アンソニー・ホプキンスアル・パチーノが脇を固めるというえ贅沢な映画。イ・ビョンホンも添えられている。さすがの演技で安心感があっていい。アル・パチーノのラストシーンはゴッドファーザーっぽくてーかっこいい。渋い。

監督が日系の人だからか、ラストは日本映画でありそうな終わり方。謎を残さない律儀な感じも日本映画っぽい。

派手さはないがジワジワくる。ハリウッドっぽくない映画でした。

ピエロがお前を嘲笑う バラン・ボー・オダー

影の薄い少年ベンヤミン、彼はコンピュータに精通し、ひょんなことからハッカー集団CLAYの一因となる。裏の世界で名前を上げていくCLAY。しかし、その進撃は長くは続かないかった。

映画はベンヤミンの出頭に始まり、彼がこれまでの経緯を話すことで進んでいく。最初は遊びのような感覚で始めたハッキング。いつしか事はだんだんと大きくなり、遂にはCLAYは破局を迎える。

印象的なのは、ダークネットと呼ばれるアングラなチャットでハッカー達がコミュニケーションしているシーン。狭い電車の車両の中で、仮面をつけたハッカー達が会話している。インターネットに存在する独特の世界観をうまく表せているのではないだろうか。顔が見えず公平なようでいて、なんとなく序列のある不思議な空間ができている。

ハッカー映画なので、コンピュータ上での戦いを想像するところだが、本作にはアクションシーンも盛りだくさん。なるほどハッキングというのはただコンピュータに強ければできるというものではないようだ。端末を探し、ネットワークを構築し、情報を奪い合う。意外と肉体派なところもあるのだ。現実にそうなのかは知らないけれど。

ラスト20分ほどは熱い展開が続く。しっかりとストーリを固めて練られた脚本に、ドイツ人の気質を感じる映画だ。ドイツ版、デスノートといったところだろうか。見応え十分な一作だった。

いつか春の日のどっかの街へ 大槻ケンヂ

「ああ、大切なものか。大切だと思っていたものは、子供の頃にたくさんあったけれどね。大人になるにつれて、だんだんそれが数を少なくしていく。で、気づくと、実はあまりなかったんだと思うくらいになっている。なんかの映画のセリフさ」(妄想の中の大槻ケンヂ)

大槻ケンヂのエッセイのような小説、ということで虚実入り乱れてのほほんとしたお話が続く。40代になっていまさらギターの魅力にとりつかれた著者。やってみるもので、弾き語りのライブまでやってしまう。ギターを始めたことで様々な変化も起きる。人生、いくつになってもチャレンジは出来るものなのだ。

個人的にお気に入りのエピソードは、友人に、彼女の妹の赤ちゃんのために歌を作って欲しいと頼まれる話。

「君が今までたくさん作ってきた死んでいく歌の真逆、生まれてこれから生きていく人のための歌を」(友人)

この頃、身の周りで訃報が相次いが大槻ケンヂにとってこの言葉は大きな影響があったのではないだろうか。
ちょっと不覚にも泣きそうになってしまった。

夜行 森見登美彦

夜行

夜行

『春風の花を散らすと見る夢は、さめても胸の騒ぐなりけり』

かつて京都の英会話スクールに通った仲間たちは、10年ぶりに『鞍馬の火祭』を見物に行こうと話をまとめる。久しぶりの再会に心躍らせつつも、心の片隅には暗闇があった。かつて同じように祭りを見物した際に、行方不明となった友人『長谷川さん』のことが気にかかる。そして謎多き銅版画家の『岸田道生』。彼の連作『夜行』とは一体なんなのか。

本作は帯にあるようにまさに森見登美彦10年の集大成といえる。京都を舞台に、ミステリーとホラーの中におどけたような可愛らしさが混ざり込み、著者独特の世界を作り出している。

テーマが銅版画であるのも良い。銅版画は表と裏で全く違う絵のように見える。『夜行』が裏なのか表なのか?いや、そんなことは重要ではないのだ。作者が認めれば、見るものが認めれば、それが表である。

人生の裏側にはif世界が広がる。文学の面白さは、if 世界への侵入にあるのかもしれない。

小説の究極のテーマは「現実と虚構」である。優れた文学作品は読者を虚構の世界へ連れて行ってくれる。それはリアリティによって成されることもあれば、独自の世界設定によるものかもしれない。

虚構と現実。現実と虚構。胡蝶の夢から続くこの永遠のテーマを、著者なりに見事に咀嚼した作品であると思う。現実は虚構であり、虚構は現実なのだ。そこにはただ人があるだけなのだ。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

アメリカの大学生3人組は、伝説の魔女『ブレア・ウィッチ』についてドキュメン映画を作成することにした。彼らはハンディカム片手に魔女の住む森へ分け入り、行方不明となり、ハンディカムだけが発見された。

映画自体がハンディカム映像ということになっており、あえて画質、音質の悪い映像が恐怖を誘う・・・.はずがレンタルビデオを家のテレビで観ても今ひとつこの恐怖は伝わってこない。

これは映画館で観る映画なんだろう(ほとんど映画はそうかもしれないが)。家で小さな画面でリラックスして観ても仕方がない。

評判が良かっただけに少し残念な一本だった。

自閉症の世界 スティーブ・シルバーマン

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

ぼくたちの存在を嘆くみなさんの声は、僕たちにはそう聞こえます。回復を祈るみなさんの声は、ぼくたちにはそう聞こえます(シンクレア)

自閉症ってなに?
この問いにクリアに答えられる日本人は何人いるにであろうか?いや、世界中に何人いるにであろうか?

狂人か天才か。

自閉症アスペルガー症候群。果たしてそれは病気なのか?どう定義すべきなのか?その歴史がこの一冊にまとまっている。とはいえ、文庫600ページを超えるこに分厚い本は、決して答えを提示しているわけではない。ただ、人類が到達した場所をその過程と共に示すだけだ。

この一冊から学ぶことは、真実に迫るのは科学者だけではない、ということだ。真実は、真実を求める者の前に垣間見える。

脳髄は人間の迷宮である。病も、奇跡も、紙一重なのかもしれない。

ダニー・ザ・ドッグ ルイ・レテリエ

ギャングのボスに戦闘マシーンとして育てられたダニー。彼は人としての教育を受けることはできず、首輪のついた番犬であった。ある日、取り立て先の骨董品屋でダニーは心優しいピアノ調律士に出会う。少しずつ「人」として成長していくダニー。一方、ボスは闇のファイトクラブでダニーを戦わせ金を手にすることを目論む。

ジェット・リーの演技が際立つ。ダニーの戦闘マシーンと純朴な少年の顔を見事に演じ分けている。

他のキャラクターもしっかりキャラが立っており、物語をしっかりと固める。モーガン・フリーマンの安定感はさすが。

しっかりとしたキャラを際立たせることで、単純なストーリーでもしっかり楽しむことができる。そんなことを再確認した映画だった。