続: ぼくの一時保存

主に読書ブログ。たまに頭からはみ出したものをメモ。

天地明察(下) 冲方丁

天地明察(下) (角川文庫)

天地明察(下) (角川文庫)

「この国の暦を斬ってくれ」(保科正之)

 上から少し間を空けて読了。下巻ではすべての黒幕ともいうべき保科正之が登場。ついに春海は生涯をかけた大仕事、改暦の儀へ挑む。
 生きたの登場人物が糸のようにからまり合い、春海の元へ集結して行く様は心打たれる。何度も失敗を繰り返し結果を残すことはできなかったが、無駄なことばかりではなかった。春海の人生そのものが改暦の儀へ向けて集結して行くようだった。

夜を乗り越える 又吉直樹

その夜を乗り越えないと駄目なんです。(著者)

なぜ本を読むのか?その疑問に正面から向かい合った一冊。

本業芸人である著者らしく、読みやすいスッと入ってくる言葉で読書ということを分解していく。なんとなく本を敬遠している、食わず嫌いな人にぜひ読んでほしい。

またこの本で著者が紹介する名著のあれこれを読んで、著者の感想と自分の感想を比べてみるのも楽しいのではないだろうか。

あとがきで「もう自分の人生に必要な一生分の本は確保できています」と述べる著者。35歳でこんな境地にぼくはとても立てる気がしない。

天地明察 冲方丁

天地明察(上) (角川文庫)

天地明察(上) (角川文庫)

「羨ましい限りですねぇ。精魂を打ち込んで誤謬を為したのですからねえ」(伊藤)

御城碁で幕府に仕える渋川春海。しかし、彼はすでにその仕事に飽きていた。趣味の算術のほうがよっぽど面白かったのだ。そんな彼に与えられる大仕事は、この国の暦を作り直すことであった。春海と天との壮絶な勝負が始まろうとしていた。
この上巻では、一瞥即解の天才・関孝和、子供のように星を読むことを楽しむ伊藤と建部といった春海の師にあたる人物との出会いが描かれる。己が何を為すべきか、いまひとつ定まらぬ気持ちでいた春海は、師との出会い、勝負を通して自分の道を見出して行く。なんともワクワクする熱い展開で、時代物を読んでいる感じがまるでしない。今も昔も、仕事に生きがいを感じるという人の心は変わらない。
そんなストーリーより、途中に出てくる算額の問題にぼくは惹きつけられた。どうも解かずにはいられない。解かないと先が読めない。そんな性分のくせ、頭がいいわけでもないのでずいぶん苦労した。本を読んでる時間より、問題を解いてる時間のほうが長かったんじゃないだろうか。
がっかりなのは2問目の招差術の問題で、この問題は不適じゃないだろうか。どうも等差数列であることが前提でないと解けないようだ。問題文にそのような記載はない。また、等差数列だとしても星の数は14も要らない。無駄な条件が多い。
この2問目はストーリー的にも大事だ一問なので、なんだかがっかりしてしまう。作者や出版社を含めて、誰も気がつかなかったのだろうか。大変残念である。

攻殻機動隊 Ghost in the Shell ルパート・サンダース

 

攻殻機動隊 ( GHOST IN THE SHELL ) スカーレット ヨハンソン ポスター
 

 

 うーん。地雷でした。いや、たぶんそうだろうと思って観にいったけど。

 僕自身は押井守監督のGhost in the  Shellを観てすげえと思った口である。TVアニメシリーズも観ているし、近年原作マンガも読んだ。わりとずっぽり攻殻ファンである。

 本作で良かったのは、過去の作品(押井版やTVアニメ)の印象的なシーンを実写で再現している点だろう。カメラワークからキャラクターの動きまで、たぶんほとんどいじらずに再現しているのだと思う。監督の愛を感じた。特に押井版への愛がある。

 一方、名シーンを押し込むためストーリーや設定はぐちゃぐちゃになっている。そこかしこに突っ込みどころが有るし、世界観もハチャメチャである。たぶん、攻殻ファンの多くは、原作者士郎正宗押井守監督の作り上げた徹底的に考察された世界観や設定に惹かれているので、そこをないがしろにされると腹が立つ。

 キャラクターも外見の完成度は高いが、その内面は非常に大味。少佐の繊細さや、バトーの愛情を表現するのはアメリカ人には難しいのかもしれない。このあたりも作品が薄っぺらく見える原因だろう。

 その他の文句も書いておく。まず、なぜビートたけしのみ日本語で話すのか。作中に明らかに日本人と思われるキャラクターが登場するが彼らは皆英語である。なぜたけし演じる荒牧課長だけが日本語なのか。たけしが英語しゃべれないなら、アテレコでも良かったんじゃないか。いろんな言語が多国籍に飛び交うという設定でもないので、非常に違和感がある。

 もう一つ、監督の日本のイメージが雑過ぎる。正直、最後までみて舞台がどこの国かわからなかった。日本と中国と東南アジアをごっちゃにしたような街である。近未来の感じは、妙な立体映像の広告で打ち出されている程度。そのイメージは貧困過ぎないか?

 攻殻機動隊は知識と想像力をフルに活用して超未来の出来事を凄まじいリアリティで描く作品だと認識している。サンダース監督は原作者やアニメ作品の監督にはまだまだ劣るところがあるようだ。

 

豆腐小僧双六道中  京極夏彦

 

文庫版  豆腐小僧双六道中ふりだし (角川文庫)

文庫版 豆腐小僧双六道中ふりだし (角川文庫)

 

 「われらは文化なのだ。知性なのだぞ」(滑稽達磨)

 

  京極夏彦が妖怪描く、というちょっと変わったシリーズ。妖怪を題材として扱うのではなく、妖怪豆腐小僧を主人公に据えて、わきを固めるのも妖怪たち、妖怪珍道中の始まり始まり。

  タイトルがなんだがあほっぽくて、なんとなく読むのを避けていたがとうとう読んだ。そして後悔した。もっと早く読めばよかった。これこそ京極夏彦流の「妖怪とななんぞや?」に対する回答に溢れた妖怪入門書なのである。

  「おいらはいったいなにものなのだろう?」と自分探しの旅に出る妖怪・豆腐小僧。彼は旅先で様々な妖怪に出会い、人と出会い、少しずつ「妖怪」をわかっていく。この旅を追うことで、我々読者も「妖怪」を理解できるという仕組みの一冊。

  この本こそや柳田國男に始まり、水木しげるが書き綴って残した「妖怪」を現代につなぐバトンではないだろうか。妖怪研究家・京極夏彦ここにあり、という一冊である。

暗いところで待ち合わせ 乙一

 

暗いところで待ち合わせ

暗いところで待ち合わせ

 

2人ともお互いを知っていると気づいた瞬間から、たとえ無視をしようと、すでに触れ合うことは始まっていた

 

  視力を失い一人静かに暮らすミチル。彼女のもとに殺人事件の犯人として追われるアキヒロが転がり込む。こうして奇妙な共同生活が始まったのであった。

  乙一らしい「社会から居場所を失いかけている人間」を描いた作品。人と関わることを恐れ、世の中から逃げ回る。どんな人間にもそういう気持ちは大なり小なりあるのだろう。しかしこの気持が大きいとどうにも生きづらいのが今の世の中である。

  だからどこかに1箇所ぐらい、社会から逃れる場所がほしい。物語の最後でアキヒロはそれを見つけたのだろう。一方、ミチルは逃げ続けた社会に再び挑戦する心を得た。方向性はちがえども、それぞれが社会とのあり方を見つけていく。そんな物語なのだと感じた。

夜は短し歩けよ乙女 湯浅政明

 

 

「こうして出会ったのも、何かのご縁」(黒髪の乙女)

 

 森見登美彦氏の人気小説のアニメ映画化。

 「黒髪の乙女」に恋する「先輩」は外堀をナカメ作戦(なるべく、彼女の、目に留まる作戦)を実行し、外堀を埋め続けていた。ある日の大学のクラブのOB結婚式、今日こそは作戦第二弾会へと目論む先輩を、知ってか知らずか乙女は夜の街へと繰り出していく。果たして二人の運命や如何に。

 原作の現実とファンタジーがごっちゃになったような不思議な雰囲気がそのままアニメになった。きれいで不思議でえかわいらしい絵柄は実におもしろい。登場人物の動きや声もびっくりするぐらいイメージどおりである。原作ファンならぜひ観て欲しい。僕らの頭のなかに居た、あの不思議な京都の街が銀幕に映し出される。

 原作でもいい味を出していた樋口・羽貫コンビは映画でも乙女を夜の街へと導く。この2人みたいな関係を、ぼくは「友達でも恋人でもない不思議な何か」であると思っている。もとは大槻ケンヂのエッセイに出てきた男女の仲を表す表現だったか。確かにこのよくわからない人間関係は存在すると思うのだが、未だに適切な言葉が見つからない。ただ、ぼくもこういう関係を誰かと気づいてみたいとたまに思うのだ。

 映画オリジナルの要素もおもしろい。ファンタジック恋愛小説に監督は「時間とは何か」というテーマを盛り込んだ。原作では章を改めるごとに別の日だったが、映画では全ての出来事がたった一夜に凝縮された。李白さんや詭弁論部のOB達は過ぎゆく時間に流される老人となり、逆に乙女は時間の流れを謳歌する若者になった。印象的に挿入される時計には様々な文字盤が表示され、不思議な動きしている。残念ながらその解釈はぼくにはまだうまく出来ていないが、なんとなく感じるものは有る。うーん、もう一度観て考えてみたい。